2018年09月19日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国托鉢行脚を行うという大変ユニークな経歴の持ち主です。義功和尚はどういうきっかけで仏道を志し、どのような修行体験をしてこられたのでしょうか。WEB限定の当連載では、ご自身の修行体験を軽妙なタッチで綴っていただきました。今回は、寺で修行していた義功和尚がいよいよ行脚を決断されます。
「納得するまでやらんとね」
「もしもし、高野さんですか。鹿児島の小林です」
「ああ、君か」
「全国を托鉢して廻りたいんですが」
「ほうーいいね。・・・今、帰って来たところだ。ドアを開け玄関に立ったら、電話だ。出たら君じゃないか。いやあ、実に良いタイミングだ」
高野さんは忙しい。電話すると大体奥様がでる。今日は北海道の○○さん宅です。電話番号は・・・。今日は東京ですからそちらへ。今日は仙台ですとその都度連絡場所が変る。ところが今日は直接本人である。こんなことは初めてだ。なるほど絶妙のタイミングだ。反対されるかと不安もあったが、これで解消した。高野さんが賛成してくれたので、母のことはこれで一応落着したことになる。
入院して1ヶ月で退院し最福寺に戻りました。次は師匠である。どうなるか? こればかりは予想もつかない。難関ではあるが許可をもらわなければ前に進まない。
最福寺の境内にある光明館で師匠と直に会った。
「私の不注意から大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
とお詫びを申し上げ、
「全治するまで入院生活をさせて頂き有難う御座いました」
とお礼を申し上げた。ただ、胸中は穏やかではありません。これからだ。ここで一気に話すのだ。逃げるな! 先へ延ばすな! 言え!言うんだ!必死で自分を励ましている。
「全国を托鉢して廻りたいのですが・・・」
ポツリと申し上げた。言うだけは言った。わずかな沈黙があってから。
「納得するまでやらんとね」
ほう、納得するまでとはさすが師匠だ。私の心を読み切っている。驚いた。ともかく許可は頂いた。後は前進あるのみ。退路は断たれたのだ。
オロオロしていた私が強くなっていった
今、こうして過去を思い出しながら振り返ると感慨深い。私は大地にへばりついた虫けらのように、自分は弱い人間だと思い生きてきた。下ばかり見て歩いた人生。堂々と相手の目を見て話すことも、天を仰ぐことも出来なかった。いつも視線を逸らし、オロオロ、オロオロ。自分の世界に閉じ籠っていた。その自分に愛想を尽かし、ささやかなる行動に出た。その行動を繰り返すうちに次第に強くなっていたようだ。
大学時代の私はというと、惨めで情ない。その姿ばかりが浮かんでくる。人間失格といっても過言ではない。その頃のことである。書店で「生命の実相」という本を見つけた。著者は生長の家の教祖谷口雅春氏である。その説くところによると肉体はない。病気もないというのだ。心の中に完全円満なる自分を自覚すれば。どんな病気も治る。だから、自分は病気だ、癌だという思いを断ち切れば病気は治る、病気になる筈がないと。
これが悟りの境地なら、すばらしいことだと感激した。そこで教祖が提唱する神想観をした。正座をし肩の力を抜いて合掌し想念に浸る。これを繰り返していた。ある時のこと、スポッと体がなくなった。息をしている私が宙に浮いている。どうしたんだ? 体はあるがあるという感覚が消えている。20分も続いただろうか。不思議な体験をした。
そこで、原宿にあった生長の家の本部を尋ねたいと思った。
翌日、電車を乗り継いで原宿駅で下車。地図をたよりに本部の正面に立ったのだが・・・。そのまま通過した。そして、その建物の回りを一周。また正面に立ったのだが、そこで5秒間立ち止まった。がまた通過。これを5回繰り返した。入りたいのはやまやまだが、入れない。入るだけのこと。簡単なことだ。それが出来ない。わざわざ電車に乗って2時間以上もかけて、ここに来ている。しかし、入れない。その軟弱な自分に負けて、その場を離れて原宿の駅に戻ってしまった。
電車の座席に揺られながら、自分の不甲斐なさを呪った。ドアを押して入る。そんな簡単なことが出来ない。情ない。この不懣が鬱積する。その怒りの捌け口はどこへ。自分への嫌悪である。その夜、寝床に入っても悔やんだ、また嘆いた・・・よし! もう一度挑戦だ。と奮い立った。今度はなんとしてでも入ると覚悟を決めた。
翌日、再び本部の前に立った。逃げるなよ! このまま通過したら後悔するぞ。入れ!と必死に自分を激励する。・・・が足が張り付いて動かない。考えるな! 足だけ前へ進めるのだ。何も考えるな! そして、ようやく中に入った。神想観を教えて下さいとお願いし、指導して頂いた。しかし、それは本に書いてあったことの繰り返しであった。本部まで来て教えを受けることでもなかったが、頭でっかちの人間が自分を再起させるために、始めて行動した第一歩であった。
すでに記述したが、高校から大学に掛け、精神も肉体もボロボロになった。これでは廃人ではないか。その危機感がバネとなって三島のヨガ道場へ行った。そして、水行や断食を覚え1つ1つの実践と体験を積み重ねたが、その実践と体験の繰り返しが自分の難問を克服する原動力になったのだと思う。
つづく