2018年08月22日
小林義功和尚は、禅宗である臨済宗の僧堂で8年半、真言宗の護摩の道場で5年間それぞれ修行を積み、その後、平成5年から2年間、日本全国托鉢行脚を行うという大変ユニークな経歴の持ち主です。義功和尚はどういうきっかけで仏道を志し、どのような修行体験をしてこられたのでしょうか。WEB限定で新たに配信する当連載では、ご自身の修行体験を軽妙なタッチで綴っていただきました。今回はご自身の禅堂での生活を振り返られています。
無念無想どころではなかった初めての座禅
お釈迦さまは人生は苦であると喝破された。そして、菩提樹下で座を組み悟られ、安心を得た。ならば私の苦も悟れば解決が付くか。必死であった。目標が明確であったから懸命である。これが私の出家の動機であった。
禅の究極には悟りがある。禅堂はその悟りに基づいた生活。その生活が展開されている。入門を許可された雲水はこの禅堂に入る。前門から後門にかけて東西に2本の通路があり、その北側、南側に畳が一列に並んで敷き詰められている。その畳1枚が雲水1人の部屋であり宿所である。仕切りはない。
畳の通路側には座禅用の単布団が並んでいる。この布団は1枚の敷布団のようなもの。これを2つに折る。そして、上の1枚をさらに折る。だから後ろは3枚重(かさね)。そして、その上に座布団が載るから4枚重。その高いところに尻を置いて足を組むのだ。
最初、この座禅には苦しめられた。座禅をしたことのない者が足を組む。だから痛い。痛いの何の、その痛みに耐えるのだ。しかも、背筋をピーンと伸ばす。顎を引いて視線を落とし、静かに呼吸をする。そう、手で印を組み、その姿勢を保つ。通常は40分。身体の動きを一切止めるのだ。これはきついがこれを繰り返すのだ。だから、無念無想どころではない。痛い、痛いの絶叫である。それも1年すれば慣れてくる。
この通路から畳の奥。そこには小さな単箱がある。幅90センチ、高さ30センチ、奥行40センチほどか。そこに自分の必需品を入れる。その単箱の上の棚には柏布団 (寝具)がある。そこが押入れだ。布団は敷布団を2つに折ってクルクルっと巻いたものである。寝る時はこの布団を2つに折ったまま広げ、その間に体を入れる。ちょうど餡子を餅で包んだ柏餅に似ている。だから、柏布団と称している。
臨済禅はこの禅堂での修行と共に、参禅がある。ここに特徴がある。参禅は禅問答である。私は何も知らなかったが、老師が提示した公案(問題)を参究して悟りに導くのだという。フーン、趣旨としては悪くはない。面白い。ところが続けるうちに、どうも馴染めない。違和感が付きまとった。
それよりも私には会話が出来ない。その苦しみを突破する為の悟りだ、参禅だと思って期待もしたが、どうやら思い違いであった。参禅は参禅であり私の苦悩は私の苦悩。その路線は平行線のまま終わった。
ただ、僧堂には作務(さむ/雲水の仕事)がある。この作務は座禅と同じ。私語を極力排除する。私はこれに救われた。先輩が掃除といえばほうきを持って庭を掃き、草取りならば草を抜く。山での作務といえば裏山に上り杉の枝打ち、雑木の伐採。切揃えて積み上げる。先輩の指示のままに「はい」といって体を機敏に動かせばそれでよい。ここは極楽だ。こんなに楽しいところはないと思った。どんな作務でも嫌がらずに率先してやっていたから、評判もよかった。これは1つの収穫であった。
禅から密教の道へ
3年が瞬く間に経過した。私は無文老師の隠侍(身辺の世話役)として京都の霊雲院に移った。そこは僧堂とは異なり、学生や来客に接し会話をする機会が自然多くなる。
「しまった」
道場なら体を動かしていればそれで済むが、ここは違う。会話を嫌う人間が会話と向き合う。困ったものだ。また、苦しみの始まりだ。穏やかではない。体さえ動かしていれば極楽だったのに、会話となると一転して地獄。出家してもどうやらこの苦しみから逃れようがないらしい。そのことに気がついた。この苦しみを脱出する為にと出家したのに・・・。不安が渦巻き胸に重くのしかかる。が、改めて無になりきれば・・・と心を奮い立たせるのだが簡単ではない。私なんてちっぽけな人間だ。私のことなど忘れてしまえ!と自分を叱り飛ばして、接客に励むのだが・・・。どうしてどうして現実の壁はビクともしない。跳ね飛ばされ跳ね飛ばされ、心の傷を深めるばかり。幾たびこのことで涙を流し自問自答したことか。問題のすべてはここにある。何時もここに返ってくる。会話が出来ない。会話に苦しんでいる。それが私なのだと。
僧堂に入門してから5年が経過した。悩みはやはり悩みのままだ。禅修行に疑念が生じ私は3ヶ月に1度自分の心の点検を始めた。好転したかと問うのだが、変わっていない。それがいつもの答えであった。希望がすっかり消えていた。母の反対を押し切って出家したというのに・・・。正直途方に暮れた。すでに7年が経過していた。そうした折に「密教の秘密」(池口惠觀著)を本屋で見つけて魅せられたのだ。燃え盛る炎の前で火傷を恐れず必死になって行をする。この荒行に徹底したら自分を吹っ切ることが出来るのではないか。何かつかめるかも知れない。小さな希望の光が目の前に出現したのだ。しかし、今は隠侍の勤めに専念しなければならない。行動に移すことはその後のこと・・・と。逸る気持ちを抑えたが、私はひそかに決意した。この悩みは私の悩みである。誰の問題でもない。私の問題なのだ。自分の心に正直に邁進すること。右顧左眄して自分の本心をくらましてはならぬ! ひるむな! これが私の本心だと。新たに覚悟を決めた。
つづく