2026年10月20日
茶店をルーツに400年もの歴史を刻み、日本はもとより世界からも注目を集めている京都の老舗料亭「瓢亭」。14代目の髙橋英一さんが、2026年10月16日、文化審議会より重要無形文化財(人間国宝)に認定され、生活文化の領域で初の人間国宝となりました。『致知』で語っていただいた若き日の母の教え、また修業時代につかんだ心得についてご紹介します。対談のお相手は、京都で1番予約の取りにくい店ともいわれる「草喰なかひがし」店主の中東久雄氏です。
(本記事は月刊『致知』2019年10月号対談「料理で掴んだ人生の妙諦」より一部抜粋・編集したものです)
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謙虚に謙虚に
<中東>
自分で美山荘を立ち上げた兄は、400年以上の歴史を刻んでこられた瓢亭さんのことをずっと意識しておったようでしてね。やっぱり伝統の力には勝てない。髙橋さんが400年以上もの伝統を守っておられるのがいかに大変なことかとよく申しておりました。
<髙橋>
うちが料理屋になったのは1837年、天保8年8月15日でした。それまで南禅寺へお参りをする方のために茶屋を営んでいた名残で、私が子供の頃は表に床几を出しておりましてね。通りすがりの人がそこでよく一服しておられました。先ほど、うちはあまり贅沢にはせんと申しましたが、うちの料理の特徴をひと言で表現するなら、お茶の心のある料理と言えるでしょうな。
<中東>
あぁ、お茶の心のある料理と。
<髙橋>
要するに、旬の素材をおいしく料理する。私どもはその当たり前を貫いてきたといえるでしょう。
松下幸之助さんがうちの料理を随分気に入ってくださっていましたけど、そういう派手さがないところがよかったみたいですね。ご自宅が近くだったので、「きょうは何がある?」とお電話で晩のおかずをご注文いただくこともありました。川魚がすごくお好きで、鮴の炊いたものとか、アマゴの唐揚げとか、そういうものをよくお持ちしたものです。
あんなに偉い方ですけど、実に謙虚で質素な方で。母はそういう松下さんをものすごく尊敬していたものですから、私も松下さんのことをよう引き合いに出されて、とにかく偉そうにしたらあかん、謙虚に、謙虚にと言われて育ってきました。
<中東>
渋谷のお店でお世話になった時に特に印象に残ったのが、髙橋さんがお客様を見送られる時の姿勢でした。とにかく腰が低くて、本当ににこやかな笑顔で送り出される。その姿勢はいまでも変わりませんね。
<髙橋>
もともと弱虫でね、誰ともよう喧嘩をせんのです(笑)。そやから出しゃばったこともようしませんし、常に一歩引いてるようなところがありました。
けど、こと料理に関しては子供の頃から好きでしてね。自分が進む道は料理以外にないと、決めていたようなところがあったんです。
親からは、店が忙しかったら試験中でも構わず「おい、手伝え」と言われましたけど、私はこれ幸いと勉強を放り出して手伝ったものです。「学校を出たら修業に行かなあかんのやで」って言われてましたけど、そんなことは当たり前やと思って全然嫌な気もしませんでした。
とにかく調理場の雰囲気というのがすごく好きやったんです。
<中東>
お若い頃は、東京と大阪で修業なさっていたそうですね。
<髙橋>
3年間修業に出ていました。東京でお世話になったのは、毎日100人規模の宴会が催されるような大きな料亭でした。その後入れていただいた大阪のお店は、家族と従業員が3人ほどの小さなお店で、また違った勉強をさせてもらいました。
ただ、うちには瓢亭の料理という垣根があって、その中で仕事をしておりますからね。たまにそこから片脚を出して、ちょっと変わったことをしてみるのはええけど、両脚を出してしまったらいかん。それでは瓢亭の料理ではなくなってしまうと、若い頃から心の中で自分を戒めているところがありました。そやから、よその料理を見て気持ちが揺らぐことはありませんでした。
ただ、人に揉まれて修業することは大事やという思いがありましたから、他人と同じ釜の飯を食べながら自分を磨かせていただいたんです。

料理屋とデンボは大きくなったら潰れる
<中東>
修業から戻られて程なく、14代目の当主になられましたね。
<髙橋>
28歳の時でした。修業から帰ってきた時には、父はもう体を壊して調理場に立っておりませんで、3年後に亡くなったもんですからね。
<中東>
先代から特別に伝授されたことはございましたか。
<髙橋>
よく家訓はありますかと聞かれるんですけど、本当にないんですよ。最初にも申し上げたように、奇抜なことはするなとか、当たり前のことを常識を持ってせえとか、人の和を大切にせえとか、言われていたことはごくごく当たり前のことばかりでした。
ただ、食材の使い方についてはうるさかったですね。「どの食材からできているか分からんものは、絶対につくったらあかん」と。
それから、「料理屋とデンボは、大きくなったら潰れる」という話は、父親ばかりでなく、同業の美濃吉の当時の女将さんからも耳にタコができるくらい聞かされていました。
<中東>
〝デンボ〟って懐かしい言葉ですね(笑)。昔はおできのことをデンボと言っていました。
<髙橋>
無茶したらあかん、贅沢をしたらあかんと。主人に能力があれば大きくしたって構わんでしょう。けど私は能力がないのが分かってるから(笑)、謙虚になれ、謙虚になれと常に頭を押さえられていました。
<中東>
それにしても、28歳の若さで400年の伝統を誇るお店を担われるのは、大変なことだったと思います。
<髙橋>
その頃は料理長も、それに続く人たちも、父親とそんなに年齢が変わらんわけですから、そりゃやりにくかったですね。皆昔の職人さんですから、最初は何を言うても通らんところはありました。
けど、私はそういうのがあまり気にならないほうですので、苦労とは思いませんでした。言うことが通らんでも、しっかり話し合っているとお互いに分かってくるものです。いま思い返しても、未熟な私に皆ようしてくれました。
とにかく私は若い時から自然体、平常心っていうのをものすごく意識してきました。だから人とわだかまりもないし、誰とも同じようにお付き合いをする。店主になったからというても別に偉そうにするわけではなし、変わらずやってきたというのが正直なところです。何より自然体でいなあかん、謙虚でいなあかんというのが私の一番の思いですから、それで皆とうまくやっていけたんやと思います。
◉高橋英一氏と中東久雄氏はかねて昵懇の間柄。料理の道に情熱を傾けるお二人の率直な語らいを通じて、一流の条件を探ります
↓ 対談内容はこちら!
◆奇抜なことはするな
◆謙虚に謙虚に
◆料理屋とデンボは大きくなったら潰れる
◆摘草料理を創始した兄の下で
◆最後まで弟の将来を気にかけていた兄
◆自分のやってきたことを信じて
◆食材は求めるものではなく与えられるもの
◆器用な人より不器用な人
◆背中を見て何かを掴み取れ
◆日常の中で自分を成長させていく
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◎時を同じくして人間国宝となられた、華道家元四十五世・池坊専永氏も『致知』にご登場いただいております。
◇髙橋英一(たかはし・えいいち)
昭和14年京都府生まれ。同志社大学卒業。東京と大阪で3年間修業。39年より瓢亭勤務。42年瓢亭第14代を継承。料亭として、また流派を超えた様々な茶事懐石に携わる料理店として暖簾を守る。平成4年京都府優秀技能者表彰(京都府の「現代の名工」)受賞。19年厚生労働大臣卓越技能者表彰(国の「現代の名工」)受賞。22年黄綬褒章受章。25年京都府指定無形文化財保持者認定。30年旭日小綬章受章。著書に『京都・瓢亭─懐石と器のこころ』(世界文化社)『懐石入門』、監修に『懐石料理基礎と応用』(共に柴田書店)ほか。
◇中東久雄(なかひがし・ひさお)
昭和27年京都府生まれ。摘草料理で知られる料理旅館「美山荘」で生まれ育ち、少年期から家業の手伝いに勤しむ。高校卒業後、本格的に料理の道に入り美山荘に27年間勤務。平成9年に独立して「草喰なかひがし」を開業。24年農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞、29年同シルバー賞、28年京都和食文化賞受賞。著書に『草菜根―そしてご飯で、ごちそうさん』(文化出版局)『おいしいとはどういうことか』(幻冬舎新書)。
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