2023年05月22日
〝いけばなの根源〟である華道家元・池坊。その560年にわたる伝統の「技」と「心」を、今日に伝え続けているのが四十五世を継いだ池坊専永さん、90歳です。中学3年生で始めたいけばなの厳しい修業の中で氏が掴んだ心得は、あらゆる仕事・人生に通ずる要諦が詰まっています。
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師と弟子の真剣勝負
——厳しい修行で得難い財産を見つけられたのですね。いけばなはいつから始められましたか?
〈池坊〉
中学3年生です。これも私の意思とは関係なく、比叡山にわざわざお花の先生が来られて、寝食を共にしながらいけばなの修業が始まりました。
放課後、同級生が遊んでいる中、私はお花を生けなければならないのです。嫌で溜め息ばかりをついていましたが、「最後に残るのは腕であり、腕だけは人に盗まれない」とその頃よく言われていたため、とにかく上達しようと一生懸命でした。
どの世界でもそうだと思いますが、師が事細かに技を教えてくれることはありません。師匠の背中越しに、所作の一つひとつを盗んでいくしかないのです。
昔から、料理の世界では味を盗まれないよう使い終わった鍋を流しの水につけてから若い料理人に渡すというでしょう。私の先生も技を盗まれないよう、生け終わったらすぐにパンパンパンと枝を細かく切って片付けてしまう。
だから生けている様子や切られる前の枝を食い入るように見つめていました。
——師と弟子の厳しい真剣勝負の世界であることが伝わってきます。
〈池坊〉
いけばなの世界では作品以上に師匠の手元を見なさいと言われます。師匠が花を生けているその手さばきを見て、花の選び方、手の動き、鋏の入れ方など一挙手一投足を学ぶのです。
それから作品を生ける前の自分の心を大切にしなさいとも言われます。生け始める前に自分の心を整え、それから草花に向き合うことで、よい花が生けられると。
植物をよく観ることも大切です。花は単なる材料ではなく生き物で、一つとして同じものはありません。
同じ柳でも今日仕入れた柳と明日の柳では色や表情、芽の出方が異なるのです。同じ水仙でもどの角度が1番美しく見せられるのか。花にも葉にも表裏、陰陽があるので、どう組み合わせるのがよいのか。花の魅力を引き立てるためにはどんな花材を取り合わせて生けたらいいのか。器や飾る場所によっても生け方が変わってくるので、こうした知識をひたすら勉強し、実際に自分の手で何度も花を生けて稽古を重ねていきました。
(本記事は月刊『致知』2023年4月号特集「人生の四季をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)
◉「いけばなを通じて目に見えない心を見る」「いけばなは芸術ではなく文化」等、いけばなの道一筋に歩んでこられた池坊さんのお話しには、独自の道をひらくヒントに溢れています。本記事の【詳細・購読はこちら】
◇池坊・専永(いけのぼう・せんえい)
昭和8年京都市生まれ。20年先代である父の死去に伴い、11歳で華道家元を継承すると同時に得度。20年比叡山中学に入学。僧侶の修行のため比叡山・坂本にある慈照院(当時)にて生活する。厳しい修行を重ね、20歳の時に六角堂(紫雲山頂法寺)住職に就任。31年同志社大学卒業。52年にいけばなの新しい型である「生花新風体」を、平成11年に「立花新風体」を発表。18年文化普及の功労により、旭日中綬章を受章。著書に『池のほとり』(日本華道社)など。