2026年07月03日
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
ワキ方下掛宝生流十三世宗家として、600年以上続く能楽の歴史と伝統を守り、次世代に継承している宝生欣哉氏。2023年には、親子三世代、能楽界最年少で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。能楽界を支える氏に、能の道に入った経緯を交え、体験から掴んだ成長していく要諦、一道を極めていく心構えを伺いました。
(本記事は『致知』2026年7月号インタビュー「能楽修業に終わりなし」より一部を抜粋・編集したものです)
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
教えてもらうのではなく、自分で掴み取っていく
──宝生さんは、自然な形で能の道に入っていかれたのですか。
<宝生>
そうですね。5歳頃から祖父、父と稽古が始まり、装束を着て舞台に出たのは8歳でした。ご褒美をもらったりして、特に祖父は優しく稽古してくれました。
ところが、それがだんだん厳しくなっていって、稽古が嫌になったんです。小学生の時は、学校から帰って父がいると、すぐ稽古になりますから、ばれないよう玄関に入ってランドセルを置き、そのまま遊びに行くなんてことはしょっちゅうやっていました(笑)。おそらく、能楽界でも私の稽古量はかなり少なかったと思います。
──その中で、いかにワキ方の技量を高めていかれたのですか。
<宝生>
もちろん、完全に逃げることはできませんから、嫌々ながらでも小・中・高とずっと稽古は続きました。ただ、父は具体的なことは教えてくれないんです。例えば、舞台で立ち止まった位置が悪いと言うだけで、どこに立ち止まればよいのかは教えない。謡の稽古で台詞を忘れても、父は私が思い出すまでずーっと黙っているんです。沈黙が30分続く時もありました。で、最後は馬鹿野郎! と怒鳴られて、時に手が飛んでくることも当時はよくありました。
──厳しく鍛えられたのですね。
<宝生>
要は、手取り足取り教えてもらうのではなく、自分で「ああ、そうか」と気づいて実践していく、体で覚えていかないと、本当には成長できないということです。
──厳しさの中に芸の伝承があると。能の世界で生きていくと覚悟したのはいつ頃になりますか。
<宝生>
実は、学校の部活で剣道をやっていたのですが、高校でも続けたいと父に伝えたところ、「舞台の手伝いと部活両方は無理なのでやめなさい」と。この父の一声、半ば強制で能が最優先の人生になりました。
自分に何か志があったのではありません。能楽の家に生まれたという運命を受け入れる以外に道はなかったということです。
↓ インタビュー内容はこちら!
◆自分はまだまだ能楽の道に終わりなし
◆下掛宝生流の芸を次世代に継承する
◆教えてもらうのではなく、自分で掴み取っていく
◆学びと成長の機会はあらゆる場所にある
◆父からもらった唯一の「ありがとう」
◆素直な心が道を究める力になる
▼詳細は下記バナーをクリック▼
▼本記事は『致知』電子版で全文お読みいただけます。▼
◇宝生欣哉(ほうしょう・きんや)
昭和42年東京都生まれ。幼い頃から祖父・弥一師、父・閑師に師事。8歳で『猩々乱(しょうじょうみだれ)』で初舞台。25歳で『道成寺』を披く。海外公演にも多数参加。平成12年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。28年下掛宝生流13世宗家を継承。令和5年親子三世代、能楽界最年少で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください









