2026年06月09日
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世界最高齢のアイアンマン世界選手権完走者としてギネス世界記録を持つ稲田弘氏。93歳となったいまなお自らの心身を磨き高め、挑戦を続けている稲田氏ですが、学生時代は陸上、野球にテニスと様々なスポーツに挑戦するも、いずれもうまくできなかったと言います。水泳では全く泳げなかったという稲田氏はなぜ、今日の活躍に至ったのか。学生時代を振り返っていただきながら、稲田氏の原点に迫ります。
(本記事は『致知』2026年6月号インタビュー「常に夢を持って挑戦し続ける」より一部を抜粋・編集したものです)
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スポーツ音痴の学生時代カナヅチからの挑戦
──トライアスロンに懸ける情熱が伝わってきます。
<稲田>
こういう話をすると、よく「幼い頃から運動してきたんでしょ」と言われます。でも、学生時代はスポーツ音痴だったんです。
大阪で生まれ、小学3年生の時にリアカーに轢かれて左足首を骨折しましてね。当時は戦時中で外科なんてなかったから、整骨院で治療しても1年ほどはろくに歩けない状態が続きました。それが尾を引いて、中学で入った陸上部では早く走れない。いつも補欠だったので、あっという間に辞めてしまいました。
他にも野球とか、テニスとか、いろいろ挑戦しても全部ダメ。一番ひどかったのは、大学時代にやったボクシングですね。デビュー戦は僅か5秒でノックアウト。恥ずかしいったらありゃしない。
そんな僕でも唯一続いたのが、高校・大学時代の山岳部です。一歩ずつ進む感覚が楽しくて、社会人になってからも、よく休日に妻と山を登りましたね。山登りを通して、最後までしぶとく体を動かす力が培われたように思います。
──運動にのめり込むきっかけは。
<稲田>
それは、妻が血小板減少性紫斑病という指定難病を患ったことです。出血すると止まらなくなる難病で、最悪の場合は死に直結します。自宅療養する妻の介護に専念するため、僕は1992年、60歳で定年退職しました。
ただ、僕も自宅でじっとしていたら、共倒れになるんじゃないかと。どうにか運動不足を解消しなければと思っていた折、千葉県八千代市の自宅近くにオープンするスポーツクラブのポスターを偶然目にしました。「これだ!」と直感して、退職3日後には会員になったんです。
クラブにはプールがあったから、とにかく入ってみたわけです。でも、僕はカナヅチで全く泳ぐことができない。水に飛び込むだけでも怖くて仕方ありませんでした。
──いまの稲田さんからは想像もつきません。
<稲田>
幸いだったのは、コーチが優秀でね。水泳の手ほどきはもちろん、フォームの改善から負担の軽い泳ぎ方まで丁寧に教えてくれました。おまけに当時はオープン間もなく、泳いでいたのは僕一人だけ。マンツーマン指導のおかげで、水泳の虜になったんです。
それからは妻の介護に奔走する傍ら、毎日プールに通い詰め、1日に2、3回行く時もしばしば。泳げば泳ぐほど上達しましたし、徐々にスタミナもついて、長距離を泳いでも疲れなくなりました。
(本記事は『致知』2026年6月号インタビュー「常に夢を持って挑戦し続ける」より一部を抜粋・編集したものです)
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◆24時間トライアスロン漬けの生活
◆スポーツ音痴の学生時代カナヅチからの挑戦
◆「私ができない分も頑張ってね」
◆世界中に拡散された1枚の写真
◆日本人としての誇りを見せるために走り続ける
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◇稲田 弘(いなだ・ひろむ)
昭和7年大阪府生まれ。30年早稲田大学卒業後、NHKで放送記者として活躍。平成4年難病になった妻の看病のために定年退職後、運動不足解消を目的に水泳を始める。14年トライアスロンに初挑戦。24年アイアンマン世界選手権初完走、80-84歳カテゴリーでコースレコードを樹立。30年アイアンマン世界選手権85-89歳カテゴリーで世界チャンピオン、コースレコードを樹立。24、30年の年代別での優勝はギネス世界記録に認定。現在も現役最高齢選手として活躍中。著書に『やれば出来る』(徳間書店)がある。
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