【取材手記】「チキンラーメン」「カップヌードル」はいかにして生まれたのか——日清食品創業者・安藤百福が貫いた生き方

~本記事は月刊誌『致知』2026年1月号 特集「拓く進む」に掲載のインタビュー(「安藤百福 時代を切り拓いたその信念に学ぶ」)の取材手記です~

「チキンラーメン」「カップヌードル」の生みの親の生涯

きっと誰もが一度は食べたことのある「チキンラーメン」「カップヌードル」。

とりわけ1971年9月18日に世界初のカップ麺として誕生したカップヌードルは、日本人の食生活に深く浸透し、あらゆる世代から愛されてきました。いまや世界100か国で親しまれ、世界累計販売食数は500億食を突破しています。

この20世紀を代表する発明を成し遂げたのが、日清食品創業者の安藤百福さんです。47歳で無一文になりながらも再起し、48歳でチキンラーメンを、61歳の時にはカップヌードルを開発。90代になっても宇宙食ラーメンの開発に乗り出すなど、掲げた夢に向かって96年の生涯を挑戦し続けた、まさに傑物です。

その波瀾万丈の人生は、2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』のモデルとなり、一躍脚光を浴びました。

月刊『致知』最新号(2026年1月号)特集「拓く進む」では、安藤さんの側近として20年以上行動を共にした筒井之隆さんがご登場。筒井さんでなければ知り得ない〝素顔〟を交えて、安藤さんの足跡に迫りました。テーマは「安藤百福 時代を切り拓いたその信念に学ぶ」です。

安藤百福(あんどう・ももふく)
明治43年台湾生まれ。大正13年高等小学校を卒業後、祖父の経営する織物業を手伝う。昭和9年立命館大学専門学部経済科修了。23年中交総社(現・日清食品)創業。33年世界初の即席麺「チキンラーメン」を発明、日清食品に商号変更。46年世界初のカップ麺「カップヌードル」を発明。平成14年勲二等旭日重光章受章。19年96歳で逝去。著書に『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』(日本経済新聞社)『食欲礼賛』(PHP研究所)など。©日清食品ホールディングス

日本を代表する経営者の素顔

お二人の出逢いは、筒井さんが読売新聞に勤めていた38歳の時でした。安藤さんが全国の郷土料理を探訪する連載を開始するにあたり、筒井さんは取材に同行して記事を書くことになったのです。

筒井さんは安藤さんの印象について、こう語ります。

安藤さんは〝世界の食を変えた男〟との異名を取る日本を代表する経営者のお一人ですが、決して威張らず、ユーモアに富み、一記者である私とも懇意にしてくださいました。約3年間にわたって安藤さんと共に全国各地を渡り歩くうちに、その人柄に惹かれていったのです

安藤さんもまた、筒井さんの文才に惚れ込んだのでしょう。何度も口説いた末、1985年、筒井さんが41歳の時に日清食品に入社。以来、秘書室長や広報部長として安藤さんが亡くなるまでの22年間傍に仕えました。

最も思い出に残る安藤さんとの出来事や教えについては本誌に掲載されていますが、ここでは紙幅の関係で割愛せざるを得なかったエピソードをご紹介します。

筒井さんが日清食品に入社して数年が経った頃、悪化すると敗血症や多臓器不全を引き起こす腹膜炎を患いました。幸い、開腹手術で一命を取り留めたものの、腸の機能が回復し切らず、水を飲むこともできない。辛く苦しい入院生活を余儀なくされました。

そんな折、安藤さんから一本の電話が入り、こうおっしゃったのです。「筒井君、こういう時はリンゴを擦って食べるといい。それも青森のリンゴがいいんだよ」と。

実は、安藤さんも過去に腹膜炎を患い、何度も手術を経験していました。筒井さんの身を案じて、実体験を基に助言されたのです。翌日、安藤さんから受け取ったリンゴを安藤さんが一口食べた途端、嘘のように腸内が活発化したといいます。「僕の命を救っていただいた」と、感慨深げに振り返る姿が印象的でした。

このエピソードからも、安藤さんが一人ひとりの社員に誠実に、思いやりを持って接していたことが如実に伝わってきます。

〈安藤氏と秘書室長時代の筒井氏〉

「何か世の中を明るくする仕事はないか」

安藤さんの特筆すべき点は、時代の流れをいち早く察知し、すぐに事業化に踏み出す並外れた行動力です。

例えば、22歳で独立を決意した安藤さんは商売をやるなら誰もやっていない新しいことをやりたいと、当時流行の兆しがあったメリヤスに着目。編み物であれば織物業を営んでいた祖父の邪魔にならないという配慮もあってメリヤスの販売会社を設立したところ、大盛況となりました。

その後も、幻灯機や飛行機のエンジン部品の製造から、炭焼き、バラック住宅、製塩、桑の葉ではなくヒマの葉でカイコを育て絹を織る蚕糸事業まで、次々と事業を興しては成功へと導いていきました。

「何か人の役に立つことはないか。何か世の中を明るくする仕事はないか。そう思って周辺を見渡すと、事業のヒントはいくらでも見つかった」

当時を振り返って、安藤さんはこう語られています。世の中を明るくしたい。その確固たる信念が、安藤さんを突き動かす原動力になったのでしょう。

しかしながら、戦中から戦後にかけて安藤さんは度重なる逆境に直面します。どちらも無罪釈放に終わったものの、国から支給された資材の横流しの疑いをかけられて45日間に及ぶ激しい拷問を受けたり、脱税容疑で巣鴨プリズンに3年間収監されたり。挙句の果てには1957年、頼まれて理事長を務めていた信用組合が破綻し、すべての財産を失いました。47歳の時です。

47歳で無一文になった悲しみたるや、いかばかりであったか……。断腸の思いであったことは想像に難くありません。安藤さんは絶望の底からいかにして再起し、20世紀を代表する発明を成し遂げたのでしょうか。

本記事では全5ページにわたって、「チキンラーメン」「カップヌードル」の誕生秘話を筒井さんの語りで詳らかに紹介しています。

 ↓ インタビュー内容はこちら!
◇〝世界の食を変えた男〟の謦咳に接して
◇周辺を見渡すと事業のヒントはいくらでも見つかった
◇発明は閃きから 執念なきものに発明はない
◇立派な仕事とは新しい事業構造を組み立てること
◇かくして世界初のカップ麺は誕生した
◇人生に遅すぎることはない

「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でも掴んでこい」

挑戦によって時代を切り拓いた安藤さんの実感のこもった言葉の数々は、どれも忘れられません。ここでは、誌面で紹介し切れなかった名言も交えていくつかご紹介します。

「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でも掴んでこい」

「どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない」

「発明は閃きから。閃きは執念から。執念なきものに発明はない」

「足るを知れば、おのずと感謝の気持ちが湧いてきて、心が和らぐ」

「人のやらないことをやれ。やれそうもないことを成し遂げるのが仕事というものである」

「人生に遅すぎることはない。60歳、70歳からでも新たな挑戦はある」

転んでもたたでは起きるな。人生に遅すぎることはない――含蓄に富んだ教えです。

安藤さんが度重なる逆境を乗り越える過程で掴んだ人生訓には、運命を切り開く要諦が凝縮されています。ぜひ本誌の記事をお読みください。

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