生きているのではなく、生かされている——覚醒剤中毒から立ち直った長原和宣氏の壮絶体験

覚醒剤中毒から立ち直った体験をもとに、元受刑者の自立更生支援活動「職親プロジェクト」(日本財団)や刑務所での講演活動に力を尽くしているドリームジャパン社長の長原和宣さん。その取り組みはNHK「塀の中の13人〜出所者支援はいま〜」などでも大きな反響を呼んでいます。元受刑者が出所後も当たり前に働ける社会の実現を目指す長原さんに、壮絶なご自身の体験をお話しいただきました。対談のお相手は、同じく元受刑者を雇用し、その多くを更生に導いてきた北洋建設社長の小澤輝真さんです。

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非行に走り、暴力団の世界へ

〈小澤〉
長原さんの人生の歩み、元受刑者の就労支援に携わるようになったいきさつも教えていただけますか。

〈長原〉
私は1968年、スピードスケートなど、ウインタースポーツで有名な白樺学園高校の創設者・長原林造の孫として帯広に生まれました。ですから、さっき70万円のドラムを買ってもらったという話がありましたが、私も小澤社長と同じように、比較的恵まれた環境で育ったんですね。

ところが、中学に上がる時に「勉強の妨げになるから」と、親に大好きだった野球をやめさせられたことをきっかけに、どんどん非行に走っていったんです。ストレスから悪い友達と付き合うようになり、本当にどうしようもない悪さばかりやり、気づけばヤクザ、暴力団の世界に入っていました。

〈小澤〉
ああ、暴力団の世界に。

〈長原〉
そのような中、ほんの好奇心から覚醒剤を体験したことがありました。幸いその時には中毒に陥るほど覚醒剤にのめり込むこともなく、母親に泣かれたことで目が覚め、組長の許しを得て堅気にしてもらうことができました。

ただ、親のコネで入った高校でも悪さばかりして、退学になりましてね。もうどうしようもないと自衛隊に放り込まれたんです。

〈小澤〉
とはいえ、自衛隊での生活は厳しかったのではないですか。

〈長原〉
暴力団で縦社会には慣れていたこともあり、自衛隊組織にも違和感なく馴染むことができました。素晴らしい同期や上司に恵まれて一所懸命頑張り、最後は陸曹まで昇進し、その間に定時制高校を卒業させていただきました。

ただ、戦闘訓練に明け暮れる自衛官という立場にだんだん疑問を覚えるようになりまして、入隊から8年で除隊し、部隊のあった静岡の運送会社に勤めることにしたんです。仕事は順調で、結婚して子供にも恵まれました。プライベートで野球チームも結成し、20代後半は充実した毎日でした。

亡き祖父が助けてくれた

〈小澤〉
非行から立ち直り、順調に人生を歩んでいかれたのですね。

〈長原〉
このまま順調に歩んでいけるかなと思いました。しかし再び薬物と出合ってしまうんです。

野球の相手チームの監督さんが、表向きは地元の食品関係のドライバーさんだったのですが、実は薬物中毒者でしてね。それが噂になって、野球仲間から外そうという話になった時に、私が昔の経験を打ち明けて彼を慰めました。すると、その途端に彼の態度がガラッと変わりましてね。「長原君はやっていたの。じゃあ、今度くれてあげるよ」と、執拗に薬の使用を迫ってくるようになったんです。

次第に抵抗しきれなくなっていって、何度か覚醒剤を打たれるうちに、こちらから「売ってください」とお願いするまでになってしまいました。自分で注射器を所持してからは、打つ回数もみるみる増えていき、幻聴・幻覚もどんどん酷くなる。人とも付き合えなくなって、とても仕事どころではなくなりました。それでもやめられずに覚醒剤を打ち続けました。

私の様子があまりにおかしいので、一週間ほど地元の精神病院に入院させられたことがあったのですが、その時も医者には薬物をやっていることを最後まで隠し、退院したその夜にはもう覚醒剤を打っているという状況でしたね。

〈小澤〉
本当に薬物中毒は恐ろしいです。私は、元受刑者で薬物の前科がある社員には不定期に集まってもらい検査をしています。長原さんは薬物中毒からどうやって抜け出すことができたのですか。

〈長原〉
本当に不思議なことなんですけど、覚醒剤を打つと幻覚で死んだ祖父が現れて、「和宣、おまえいつまで薬物をやっているんだ!」「薬物を捨てろ!」と毎日のように叱ってくれるんですよ。祖父の姿があまりにはっきり見えるので、「捨てろ!」といわれて実際に覚醒剤を焼いたり、注射器も鋏で切ったりして処分したことが何度もありました。

そしていまも忘れられない出来事が起こるんです。ある時、「覚醒剤をやめなければ、おまえの足を切って走れないようにしてやる!」という祖父の声が聞こえたと思ったら、本当に足が切られているような、火がついたような痛みが走り、それが数時間も続きました。私は祖父から「もう生かしちゃおかないぞ!」いうほどの厳しい最高の“ヤキ”を入れられたんです。「許してください。やめます」と泣きながら謝りました。

この体験、祖父の存在が私が立ち直っていく上での大きな分岐点、支えになっていくんです。

その後、私は銃撃隊に光線銃で追われている幻覚を見て車を暴走させ事故を起こし、駆けつけた警察によって薬物中毒が発覚。精神病院で集中治療を受けたのち逮捕されました。拘留中に何度も取り調べを受け、執行猶予付きの温情判決をいただいたんです。1998年、私が30歳の時でした。

〈小澤〉
逮捕されたことが結果的にはよかったのですね。

〈長原〉
それで一からやり直そうということになり、一家で生まれ育った帯広に移り住みました。これも不思議なんですけど、実家の仏前で手を合わせた時に、鳥肌が立つような強烈なインスピレーションを受け、ああ、これは祖父が帯広に呼び戻してくれたんだと感じました。

また、実家の両親にも何と自分は迷惑をかけたんだろうというやり切れない気持ちになりましたし、子供が幼稚園で描いてきた絵など見ると、この子たちにも悪いことをしてしまった、このままではいけない、という慚愧の念が胸を突き上げてきましたね。

そうした中で、自分は生きていると思っていたけれど、生かされていたんだということを教えていただきました。同時に、覚醒剤中毒で何度死んでもおかしくなかった自分がいま生きている、生きているだけで丸儲けなんだ。助けてくれた祖父のため、両親、家族のため、周りの人たちのためにも、真っ当に生きることこそが自分の天命であると思い至ったんです。


(本記事は月刊『致知』2020年7月号 特集「百折不撓」より一部を抜粋・編集したものです)

『致知』2020年7月号では、長原氏と小澤氏にこれまでの人生の歩み、乗り越えてきた艱難辛苦、どんな状況でも諦めずに信じる道を不屈不撓で歩み続ける大切さを語り合っていただいています。ぜひご覧ください。(こちらから致知電子版でお読みいただけます)

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◇長原和宣(ながはら・かずのり)
昭和43年北海道帯広生まれ。高校中退後、61年陸上自衛隊入隊(平成2年夜学にて高校卒業)。除隊後、運送業に従事。その頃、覚醒剤中毒に陥るも克服し、平成13年に長原配送(現・ドリームジャパン)を創業。現在、事業経営と共に、一般社団法人ナガハラジャパンドリームを設立し、前科者の更生活動を全国で推進。就労支援を行う日本財団「職親プロジェクト」にも力を入れている。

◇小澤輝真(おざわ・てるまさ)
昭和49年北海道札幌生まれ。創業者である父の死に伴い、18歳で北洋建設に入社。平成24年父と同じ難病「脊髄小脳変性症」を発症。放送大学教養学部、日本大学経済学部卒、放送大学大学院修士課程修了(犯罪者雇用学専攻)。受刑者雇用の実績が高く評価され、「東久邇宮文化褒賞」「東久邇宮記念賞」、法務省より「法務大臣感謝状」、札幌市より「安全で安心なまちづくり表彰」など受賞・表彰多数。

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