2025年07月11日
焼鳥屋「鳥貴族」を徒手空拳で立ち上げ、居酒屋チェーンとして日本一の店舗数へと育て上げてきた大倉忠司氏。いまでは全国各地で黄色と赤色の看板を見ることができますが、かつては閑古鳥が鳴く日々でした。精神的にも、経済的にも苦しい中、大倉さんはいかにして光明を見出してきたのでしょうか。苦難の道のりで積み重ねてきた一念に迫ります。対談のお相手は、世田谷の住宅街の一角から串カツ専門店「串カツ田中」をスタートし、僅か11年で東証一部上場へと導いた貫啓二氏です。
(本記事は月刊『致知』2025年7月号 特集「一念の微」より一部抜粋・編集したものです)
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全メニュー均一価格で見出した光明
〈大倉〉
鳥貴族の創業期は連日閑古鳥が鳴く有り様でしたよ。なにせ1号店は僅か9坪。1年間は赤字続きで、このままでは両親の家を取られ、創業から2週間後に生まれた長男も路頭に迷わせてしまう。背負うものが多くあったので、食事が喉を通りませんでしたね。
〈貫〉
その時は何が仕事を続ける原動力になりましたか。
〈大倉〉
モチベーションを高めるために「外食産業日本一」と半紙に書いて天井に貼り、毎朝起きたら目に入るようにしていました。
また、当時居酒屋で日本一だった「村さ来」の創業者の本が心の支えでした。ページを開けば、1号店を開業した頃はお客様が来なかったと書かれている。あの村さ来でさえ創業時は不振に喘いでいたなら、鳥貴族もいずれお客様が来てくれるはずだと。毎晩枕元に置き、特に売り上げが悪い時にはその部分を何度も反芻し、萎える心を奮い立たせていたものです。
1つ過去の自分を褒めたいのは、経営が苦しい時に不動産投資などに手をつけなかったことです。バブル期の当時は儲け話が度々舞い込んできましたけど、すべて断りました。
浮利を追わないで、1本1本の焼鳥を積み重ねようと。この一念で40年やってきました。
〈貫〉
創業時から変わらない一念を貫いてこられた。
〈大倉〉
そして長いトンネルを抜け出すきっかけとなったのは創業から1年後、全メニュー「250円均一」を打ち出したことです。
均一価格を導入するアイデアは創業前からありましたが、原価率や採算が読めないため、勇気がなかったんですね。しかし、倒産の2文字が頭にちらつくにつれ、手詰まりになっていく。焼鳥を通じてお客様に笑顔になっていただくにはこれしかないと、250円均一に踏み切ったわけです。
だからといってすぐにお客様が激増したわけではありません。少しずつ、少しずつ、口コミの力でお客様がお客様を呼んでくださる。1年後には40%の売り上げアップを果たし、経営は軌道に乗っていきました。お客様に喜んでいただけることをすれば、やっていけると強く実感しましたね。
〈貫〉
創業期の逆境体験がお客様の喜びを追求する大倉社長の経営スタイルに繋がったのですね。
〈大倉〉
現在は数回の値上げを経て、370円均一(取材時)になっています。他にも、国産の新鮮な鶏肉を使用し、各店舗で串打ちしてお客様に届けるスタイルなどは創業期に確立されました。
その後3年目に2号店を出し、チェーン展開へ乗り出します。私は独立前、ダイエー創業者の中内㓛氏の流通革命に惹かれ、氏の著作はほぼすべて読みましてね。鳥貴族のビジネスモデルはチェーンストア理論の影響を非常に受けていて、単一メニューにこだわりキッチンやオペレーションの簡易化を実現したことが店舗拡大の原動力になりました。
本記事の内容 ~全10ページ(約14,000字)~
◇10年以上にわたり親交を深めてきた間柄
◇海外での成功なくして将来はない
◇出逢いによって導かれた焼鳥の一道
◇苦節10年で辿り着いた天職
◇全メニュー均一価格で見出した光明
◇全従業員の物心両面の幸福を追求する
◇理念は人生を豊かにするための道標
◇かくしてコロナ禍の危機を乗り越えてきた
◇最後に残るのは人間力 成功するまで諦めない
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◇大倉忠司(おおくら・ただし)
昭和35年大阪府生まれ。54年調理師専門学校卒業後、大手ホテルのイタリアンレストランに勤務。地元の焼鳥店を経て、60年「鳥貴族」1号店を東大阪市内に開業。61年イターナルサービス(現:エターナルホスピタリティグループ)を設立、同社社長に就任。平成28年東証一部(現・プライム)上場。現在、鳥貴族は直営店、FC店合わせて約650店舗を展開している。著書に『鳥貴族「280円均一」の経営哲学』(東洋経済新報社)がある。
◇貫 啓二(ぬき・けいじ)
昭和46年大阪府生まれ。平成元年高校卒業後、トヨタ輸送入社。10年ショットバーを大阪市内に開業。14年ケージーグラッシーズ(現:串カツ田中ホールディングス)を設立、同社社長に就任。様々な飲食業を営んだ後、20年「串カツ田中」1号店を東京・世田谷にオープン。令和元年東証一部(現・スタンダード)上場。4年より現職。現在、串カツ田中は直営店、FC店合わせて約330店舗を展開している。
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