2025年06月13日
~本記事は月刊誌『致知』2025年7月号 特集「一念の微」に掲載の対談(「我が修行に終わりなし」)の取材手記です~
強烈な求道心の柳澤氏、宮本氏
1,300年の歴史を持つ奈良の大峯修験道。その長い歴史の中で初めて「千日回峰行」という極めて困難な行を満行した修験者がいらっしゃることを知ったのは、天台宗の僧侶である宮本祖豊氏より送られてきた『積徳のすすめ』(当社より4月に刊行)の原稿を読んでいた時でした。
その修験者こそ7月号の表紙を飾っていただいた大峯金峯山回峰大行満・柳澤眞悟氏。 宮本氏もまた、比叡山において「十二年籠山行(ろうざんぎょう)」という難行を満行されています。強烈な求道心を持っていまなお前進を続けるお二人に、柳澤氏が住職を務める奈良県吉野の北野修験道行蔵院にて対談いただきました。
まずは、柳澤氏が満行された「回峰行」とはどのようなものか、氏の発言の中からご紹介します。
「ひと言で申し上げますと、吉野山・金峯山寺の蔵王堂から大峯山頂の本堂まで片道24キロ、標高差1355メートルの道のりを100日間往復するというものです。……(中略)……起床は午前1時頃。滝に打たれた後、鈴懸という修験独特の装束を整えて2時くらいに蔵王堂を出発します。山中の25か所でお経を唱え、上りは6時間半、下りは5時間半ほどを歩くでしょうか。蔵王堂に戻るのはだいたい午後の3時くらいです。
私がこの大峯百日回峰行を行ったのは1975年、26歳の時のことですが、90日目くらいに消化不良でご飯が食べられなくなったことがありました。水すら飲めない。3日間ほど断食しながら歩いて、とうとう山中で倒れてしまったんです。
行の失敗は許されませんから、携行する貝の緒で首を括ることも考えました」
話を聞いているだけで圧倒されそうですが、柳澤氏の驚くべき点は、この百日回峰行に2度挑み、さらに8年の歳月をかけて千日回峰行を成し遂げられたことです。「自分では納得できなかった」という言葉から、いかに厳しく自己に向き合ってこられたかが分かります。
しかも、行はそれで終わりではありません。千日回峰行満行の後には「四無行(しむぎょう)」という命懸けの行が待っています。この行は9日間、食べることも、水を飲むことも、眠ることも、横になることも許されず、蔵王権現、不動明王の真言をひたすらひたすら唱え続けるというものです。氏はこの行も見事に成し遂げられました。
限界は自分がつくっている
一方、宮本氏が臨まれたのも、文字通り命懸けそのものの行でした。ここでは「好相行(こうそうぎょう)と呼ばれる行について、宮本氏の発言から引用してみましょう。
「私は1994年、34歳で好相行に入りました。具体的に何をやるかと申しますと、浄土院の拝殿の奥の間を幕で仕切り、中央に半畳のゴザを敷く。そこで三千もの仏の名前を一仏一仏唱えながら、五体投地を延々と繰り返すんです。
両膝、両肘、額を床に着けて礼拝し、立ってはまた体を折り曲げて礼拝する。一日に三千仏を唱えるのに、初めの元気な時でも15時間はかかります。これを毎日続けていくと食事、排泄、沐浴以外はほぼ一日、礼拝をしていることになります。眠ることも横になることもできません。しかも、大勢の武士が斬りつけてくるような幻覚が四六時中、私を襲ってきました。
この好相行の何が厳しいかといえば、仏さんが目の前に立つまで満行できないことです。記録を読むと歴代の満行者はだいたい3か月ほどで目の前に仏さんが立つとあります。ところが、私の場合、3か月どころか5か月、6か月経っても一向に観えてこないんです」
宮本氏は幾度もドクターストッフを受けながら、3年がかりでこの行を満行されるのです。宮本氏の以下の言葉からは、その凄まじさが伝わってきます。
「先が見えない中で肉体的、精神的な限界を何度も味わうわけですが、中断は死を意味しますから、目の前に死がぶら下がった状態で、とにかく続けなくてはいけません。
これが最後だと思って五体投地を行うとできる。ではもう一回と気持ちを奮い立たせるとぎりぎりできる。3回できたら『続けられるんじゃないか』という気持ちになり、その途端、すっすっと同じように礼拝ができるようになる。
こういう体験を通して限界とは自分がつくっているだけだと気づかされたんです」
人生の真理はシンプル
想像を絶する厳しい修行を通して、お二人は何を掴まれたのでしょうか。『致知』最新号で語られた内容は、私たちに力や希望を与えるものばかりですが、ここではお二人の人生観が窺える言葉をそれぞれ紹介します。
〈柳澤氏〉
「私は現在、何事もなく平穏に過ごしているように思われるようですが、修行を続けてきた者として心の中は常に逆境に立たされていますよ。それを越えるために心掛けているのは、苦しいことがあってもそれを他人のせいにしない、他人の悪口を一切言わないということです」
〈宮本氏〉
「何をするにも一つひとつを丁寧に誠心誠意やっていく。自分が置かれた環境で一日一日それを積み重ねていくこと。よき人生はそのことに尽きるように思います。『一隅を照らす』とは自分のポストにベストを尽くすことです」
お二人の言葉がいたってシンプルであることに驚かされます。しかし、そのシンプルな言葉の中にこそ、人生の真理があるのかもしれません。誌面を通してぜひお二人が歩まれた道や、それを通して至られた世界に触れていただけたら嬉しく思います。
この対談の概要は以下の通りです。
◇苛酷な〝動の行〟〝静の行〟を満行して
◇生死を超えてこそ真の修行
◇10年真剣に修行をして半歩、一歩進む
◇百日回峰行を2度発願した理由
◇700日目で起きた心の転換
◇限界は自分がつくる
◇命が尽きるぎりぎりまで自分を高め続ける
◇一隅を照らすとはポストにベストを尽くすこと
◇非難を浴びても信じる道をひたむきに
◇自分自身を見つめて生きる
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