「どっしりと根を下ろし、素直に自分と向かい合い、停滞しないで動き続ける」——随筆家・白洲正子さんが貫いた生き方

伯爵令嬢として生まれながら、敗戦による辛苦の日々もたくましく生き抜き、美術・文芸評論家、随筆家として活躍された白洲正子さん。その人生を支えたものは何であったか。生前、月刊『致知』で語っていただいた一節をお届けします。
(本記事は『致知』1988年6月号 特集「人生の公案」より一部を抜粋・編集したものです)

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往きつ戻りつ生きる

――やはり、先生は一つ一つのことに一所懸命に取り組まれながら、本当に人生を楽しんでこられたんだな、という感じを受けますが。

<白洲>
本質的に楽天家なのね。まあ、 確かに毎日を楽しんでやってきたわね。

戦争中だって、空襲なんかくると困るなと思って、東京の町田市鶴川というところの江戸時代の農家に移って百姓をしたの。そこで、米も麦も野菜も全部作って自給自足の生活をしたのよね。今でも豆類は少しだけど作っているんですよ。当時は炭まで焼いたんですからね。だから、戦争中も楽しかったわね。買い出しに行くと、お百姓さんが憎たらしいのよ(笑)。もっと着物を出せば食糧を分けてやるとかなんとかいうのね。それと丁々発止とやりあってうまく食べ物を手に入れるのなんか、 本当に楽しかったわね(笑)。

――ああ、そうですか(笑)。

<白洲>
でも内心では、やはりつらかった。自給自足といったって、体はつらいし、子供を飢えさせてはいけないと思うからね。もう一度やれっていわれても、もうやりたくないわね。

――それはそうでしょうね。

<白洲>
でも、運が良かったと思うのね。主人も40ぐらいだったから徴兵されませんでしたし、子供は小さかったから戦争には行かなかった。家族は誰も戦争にとられなかったからね。それでも生きていくのはつらいことだったわね、戦争中は。

何でもそうだけど、奥へ奥へと入り込んでいくと、本当にやること自体がつらくなってくるのね、もう技術じゃないから。でも、そのつらさから逃げたら駄目なの。逃げたかったこともあるけれども、私は楽天家だから、つらいことも楽しいことに変えていけるのね。私は、何事も、楽しさとつらさとは一緒のものだって思うから。ただ、 そのどちらにウエイトを置いて感じ取っていくかという感性の問題じゃないかしら。

――なるほど。

<白洲>
私は、『千日回峰行』という本を書いているんだけど、こんな平和な時代に大変な荒行をやっている人たちがいるということを知ってね、こんな馬鹿馬鹿しいことをして何になるんだろうかという興味を持って、いろいろ取材して回ったのね。

――命がけの修行だそうですね。

<白洲>
ええ、そうよ。12年間も山に籠って、千日間は険しい山の峰を回って歩くのね、1日も休まず、しかも最後の9日間は飲まず、食わず、眠らずでしょう。
すると、どうなるかというとね、例えば鳥がチチと鳴くでしょう。すると意識しないのに、自分の胸の内でチチと鳴いてるっていうのね。自然に鳥とお話をしてるわけ。それは幻覚でも幻聴でもなく、夢うつつの中で、心が透明になって自然と一体化してるわけよね。それで、島が舞い上がるでしょう。 すると、自分も鳥といっしょになって飛び立って、空から下界を見渡しているっていうのね。

――ああ、そうですか。

<白洲>
その悟りを開いた人の中に、一人、素敵な方がおられるのね。この人に会ったら、偉いことは何もいわないのね。説教するわけでもない。何か難しい訓示を垂れるわけでもない。だけど、別れたあとで、なんていうのかなあ、こっちもすごく心が洗われるっていうのか、心が透明になったみたいで、すごくいい気持ちなのね。

――なるほど。

<白洲>
そういう人が本物なんでしょう。年に2、3度お会いして、ただ何ということもない世間話をするだけなんですけどね。それで私の方も心が洗われるのね。でもね、同じ身命を懸けた荒行をやっても、こういう素晴らしいお坊さんとつまらないお坊さんがいるのね。それは、どうしてなのかと考えてみたの。 で、わかったことは、駄目なお坊さんは、悟りを開いたことで、その境地に安住してしまうのね。つまり、悟りは1回こっきりじゃないってことね。時間は絶えず流れているわけよ。それなのに1つところに止まっていたのでは、それは後戻りしてるってことでしょ。つまらなくなるのは無理ないと思った。

――なるほど。

<白洲>
お能でも同じね。奥が深くて、1つ奥に入っても、また次の奥が見えてくるっていうふうになるんだけど、 悟りも同じで、その奥にまた悟りがある。それで、またそれを目指して進んでいく。それが透明な心を培っているんだと思うのね。だから、1つところに安住しないで、持続することが大切なんです。私もこれだけは肝に銘じています。

今の世の中は忙しくて騒がしくて、 つい我を忘れてしまいそうになるけど、 日常のごく普通の生活でいいのね。その中にどっしりと根を下ろし、素直に自分と向かい合い、停滞しないで動き続ける。これまでも私はそうやってきたし、これからもその生き方は貫きたいと思いますね。

もちろん、先へ先へと進めるかどうかわからないけれども、動いてみたら間違いだったと気づいて、引き返すということの繰り返しばかりだったんだけれども、それでもいいのね。それが人生、生きている証だという気がするから。


(本記事は『致知』1988年6月号 特集「人生の公案」より一部を抜粋・編集したものです)

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