2025年04月16日
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。マツコ・デラックスさんをモデルにしたマツコロイドや夏目漱石そっくりの漱石アンドロイドなど、人間そっくりのアンドロイド研究開発の第一人者である石黒浩氏。先日開幕した大阪・関西万博2025では、石黒氏が手掛けるシグネチャーパビリオン「いのちの未来」の展示が行われています。そんな石黒氏の「閃き」の原点とは何か。明治大学教授・齋藤孝氏と、宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系教授・川口淳一郎との鼎談の一部をご紹介します。
(本記事は『致知』2017年9月号 特集「閃き」を一部抜粋・編集したものです)
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次のページは開かなきゃいけない
<石黒>
閃きということで言えば、僕はもともと芸術家になりたいという思いが背景にありましたから、新しいことにチャレンジするのは割合抵抗がないんですね。
しかし、博士課程ではひとしきり苦労しました。僕のテーマはコンピュータビジョンという人工知能研究の一部で、博士課程にいた頃には世界の人工知能技術は最盛期に入ろうとしていました。面白い論文がたくさんあったんですけど、自分独自のアイデアがなかなか見つかりませんでした。
リラックスする余裕などなくて死に物狂いというか、実際「博士号が取れなかったら死のう」と決めていました。
すると半月くらい体が震えっぱなしになってきて、ありとあらゆる方法でアイデアを見つけようという感覚になったんです。毎日やっていたのは電車に乗って震えることだけでしたけれども(笑)、ある時、それまで見えなかったロボットの研究と数学的な要素の結びつけ方がパッと分かったんですね。
まるで右脳と左脳が繋がった感覚で、メタ(高次)なところでいろいろな法則を見つけることがすごくやりやすくなりました。ここまで研究を進めることができたのは、この体験があったからだとはっきり言うことができます。
<川口>
僕の体験からも、苦しみを経て生まれたものは確かにありますね。
1998年、日本初の火星探査機「のぞみ」が打ち上げられた時、火星に1,000キロまで近づいたものの、機体の故障によって結局は火星周回軌道に乗せることができませんでした。
この時、僕たち軌道計算チームは、軌道に乗り損ねた「のぞみ」が再チャレンジできる方法を考え出したんです。時間が切羽詰まる中、年末年始の2週間くらいでそのアイデアを形にしたんですが、命懸けとはいえないまでも、切羽詰まった状態に追い込まれることで、いいアイデアが生まれたんですね。
この起死回生の軌道計画のノウハウは「のぞみ」では成功しませんでしたが、後に「はやぶさ」や「あかつき」で生かすことができました。
実を言うと、こういう困った状態というのは、僕にとっては楽しい時間なんですね。埋められていない部分を埋めるのが研究の醍醐味だからです。
僕はよく「高い塔を建てなければ、新たな地平線は見えてこない」と言っていますが、常に完全を目指して研ぎ究めていくのが研究本来の役割なんですね。それに加えて僕が最近よく言っているのが「次のページは開かなきゃいけない」。
<齋藤>
次のページは開かなきゃいけない。
<川口>
それは、いま見ているページの理解度は関係がありません。
ページを開いて先に進まないことのほうがリスクがあると僕は思っていて、不完全でボコボコの穴だらけのページでもいい。自分が楽しんでチャレンジを続けることに意義があるんです。