2025年03月15日
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。昨年開催されたパリオリンピックで〝鬼門〟と呼ばれる男子柔道81㎏級で金メダルを獲得し、東京オリンピックに続いて2連覇の偉業を成し遂げた永瀬貴規さん。歓喜の瞬間も表情を崩さず、礼に徹する姿は多くの称賛を集めました。そんな永瀬さんの強さの原点とは何か。月刊「致知」2025年3月号のインタビューで語っていただいた一節を、一部抜粋・編集してご紹介します。
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見て学ぶ、真似て覚える
──永瀬選手が連覇された81㎏級は柔道界で〝鬼門〟と呼ばれていると伺いました。
<永瀬>
はい。実は2000年を最後に、日本人選手はオリンピックのこの階級で優勝できていませんでした。私は日本代表になった当初からこの壁を破り、日本人でもやれると証明するんだという強い信念でやってきましたので、今回その答えが出せてよかったです。
──永瀬選手の柔道の原点はどういうものでしたか。
<永瀬>
1969年の世界選手権で銀メダルに輝いた尊敬する大叔父の平尾勝司が道場を開いていたことが、柔道を始めたきっかけです。兄が柔道を習い始め、私も一緒に通うことになりました。
好きになるのに時間はかかりませんでした。第一、柔道は見ていて分かりやすいですよ。そ
れと、体重は軽い部類だったんですけども、自分より大きい相手を投げた時、純粋に「気持ちいいな」と思いました。体が大きい、力が強いだけがすべてじゃない。その面白さが子供なりに感じられ、どんどんのめり込んでいったんです。
──柔よく剛を制す、を体感した。
ええ。まあ柔道が好きな分、負けると毎回泣いていましたけど(笑)。
次はあの選手に勝ってやろうと、自分の試合映像を飽きずにずっと観ていた記憶があります。
あとは道場の仲間の動きを見る、また大会を見に行って「あの技、格好いいな」と思えばすぐに真似して覚えました。見るのが好きな少年だったなと思います。
中学には柔道部がなかったので、道場通いを続けながら近隣の中学校に出向いたり、道場の保護者の協力を得て高校生の稽古に混ぜてもらったりしました。結構きつい3年間でしたが、これが自分の土台を培ってくれたのだと思います。
(本記事は『致知』2025年3月号 インタビュー「勝利は日々の精進の先にある」より一部を抜粋・編集したものです)
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
◇松山照紀(まつやま・しょうき)
昭和37年福岡県生まれ。大学生だった20歳の時に妊娠、学生結婚するも、離婚してシングルマザーに。手に職をつけるべく看護師を志す。医療の限界や迷いを感じていた37歳の時に坐禅と出逢い、48歳で出家。平成28年より現職。「すべての女性の駆け込み寺」を目指し、無料の電話相談などに取り組んでいる。著書に『駆け込み寺の庵主さん:心のモヤモヤ「供養」します』(双葉社)がある。