2025年03月12日
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。今年、デビュー50周年を迎えるヴァイオリニストの千住真理子さん。25年前、当時デビュー25周年の時に、ヴァイオリニストとしての節目となった出来事とステージに懸ける想いを「致知」で語っていただきました。当時の貴重なインタビューをお届けします。
(本記事は月刊『致知』2000年9月号 特集「人生を幸福に生きる」より一部を抜粋・編集したものです)
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節目となった二つの出来事
──今年デビュー25周年ですね。現在の心境を聞かせてください。
<千住>
うわー、そんなにたっちゃったのかな、というのが正直なところです。
でも、いろいろなことがあったので、やっと25年やってきたんだなあという気持ちでいっぱいです。ですからやっぱり、内容は濃いですね(笑)。
──25年の間に何か大きな節目となる出来事はありましたか?
<千住>
大学に入った20歳ころに、 ヴァイオリニストをやめようと決意しました。それで1、2年、ヴァイオリンから離れた時期がありました。
──それはまたどうしてですか?
<千住>
音楽って本当に人のためになるのだろうか?私のヴァイオリンで人は感動するのだろうか?という疑問を抱いたのです。
それと私は10代のころからずっと‘‘天才少女,,と呼ばれてきたのですが、それに対する反発がありました。そう呼ばれることが私にはとても苦痛でした。
天才というのが、練習しないで弾ける人のことだとすれば、私は他人の少なくとも3倍は努力してきたという自覚がありました。それなのにどうして他人は私の努力を認めてくれないのだろう……と。
「天才なんだから弾けるだろう」とか、「天才なのに弾けなかった」という声が必ずついてまわったのです。そういう壁に突き当たってしまったんです。
──そこから、どうやって立ち直ることができたのですか?
<千住>
音楽の素晴らしさ、音楽は人を感動させるということにヴァイオリンから離れてみて気がついたんです。
2つの出来事がありました。
その最初の出来事は、ホスピスにヴァイオリンを弾きに来てほしいという依頼でした。
初めは、もうヴァイオリニストではないので、とお断りしました。すると、「ヴァイオリニストとしてお願いしているのではありません。千住真理子さんをよく知っている人が末期がんで、最期にあなたの演奏を聴きたいと言っています。一人の人間としてお願いします」というお話だったので、それならばと思って出掛けたのです。
ところが全然弾いていなかったので、思うような演奏ができません。それでもとにかく一所懸命に弾きました。そうしたら演奏を聴いてくださったその方が、「これまで本当に毎日が苦しくて、生きていてもしょうがないと思っていました。でも、きょうは千住さんの演奏を聴いて、ああ、生きていてよかったと思いました。感動しました。ありがとう」と言ってくださったのです。
その言葉を聞いたとき、私はもちろん嬉しかったけれど、本当は嬉しかったんじゃなくて、悔しかったんです。弾けない自分が。
それまでずーっと、毎日十何時間も練習してきた私がその方のところに行ってあげられればよかったのに、弾けない私がその方の大切な最期の一瞬に、とんでもない演奏をしてしまった。取り返しのつかないことをしてしまったと思いました。その方が怒ってくれればまだよかったけれど、「ありがとう」と言ってくれて……。その方のためにちゃんと弾けるようにしよう、と思ったのが、ヴァイオリンに帰るきっかけでした。
ヴァイオリンと私
──いま、日々心掛けていらっしゃることは何ですか?
<千住>
楽器を弾く以上、訓練を怠っては表現になりません。内容的にどんなに深まっていっても、技術が衰えては表現にはならないんです。ですからとにかく練習です。できるだけ多くの時間を練習に割くように努めています。
──千住さんにとって、ステージに立つ、とはどういうことでしょう?
<千住>
私にとってステージは人生ですね。ですから、ステージに立つというよりも、私はステージに戻って行くという感覚のほうが強いんですよ。ステージ以外は全部舞台裏なんです。
──ヴァイオリンの魅力とは?
<千住>
ヴァイオリンの一番の魅力は、 自分のハートに近いところに楽器を抱えるということです。自分の心がヴァイオリンに乗り移っていくような気がしますし、できることなら、私自身が音になりたいと願うのです。