2025年01月16日
ベストセラーとなった『小説 上杉鷹山』を筆頭に、数多くの歴史小説やエッセイを手がけた作家の童門冬二さんが2024年1月13日にお亡くなりになりました。96歳でした。弊誌『致知』では1993年10月号の連載開始から2023年9月号まで、30年間にわたり様々なテーマで歴史小説やエッセイをご執筆いただくなど、多大なるご恩顧を賜りました。生前のご厚情に感謝を表し、月刊『致知』2018年10月号で語られた作家としての原点、作家人生で掴んだ人生の法則をご紹介します。※対談のお相手は、同じく作家の三戸岡道夫さんです。
歴史という鉱脈を掘り続けて
〈三戸岡〉
童門先生はお若い頃、特攻隊を志願されていたそうですね。
〈童門〉
ええ。旧制中学を卒業すると、海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊しました。青森の三沢基地に配属され、硫黄島に行けと言われたんですが、乗る飛行機がないんです。結局はそれで助かったわけだけど、その頃は毎朝のご挨拶でロッキードやP38(戦闘機)が飛んできてダダダダーと攻撃を仕掛けてくる。何人もの仲間がバタバタと殺されて、僅か30センチで生死が分かれてしまうという強烈な感覚を持ちましたね。
ベトナム戦争の時、帰国した青年たちが一時期、地域で白い目で見られていたでしょう。私も戦争が終わって東京に戻ると同じ現象に出くわした。それでぐれちゃった。その頃は渋谷、新宿、池袋の闇市から闇市を渡り歩いて、安いお酒と伝助博打にうつつをぬかす毎日でした。
そんな自堕落な生活をしていた私を心配していただいたのか、ある都議会議員から「いつまでもそんな生活をしていないで、ギアチェンジをして人のためになることをしたらどうだ」と諭されました。「何をすればいいんですか」と聞いたら「取りあえず都庁にでも入れ」と。それで、あの当時のこと、試験もなしに都庁に入ったんです。
目黒区役所を振り出しに、だんだん都庁の本丸に入って仕事をするようになり、行政の仕事は起こってしまったことの救済と始末で、結局は後追いだなと思い始めたんです。流行りの言葉で言うとアフターばかりでビフォーがない。そのビフォーをどうしようかというので小説を書き始めました。
〈三戸岡〉
行政のビフォーを考えるために、小説を書き始められた。
〈童門〉
つまり、これから都政で起こり得る問題に関して信長や秀吉、家康であればどういう手を打つかを考え、それを地方行政に広げていこうと思ったんです。
〈三戸岡〉
そんなふうに歴史に関心が深まっていったのは、いつ頃からですか。
〈童門〉
都庁に入って10年以上が経った昭和35年に私の『暗い川が手を叩く』が芥川賞候補になったんです。決選投票で北杜夫さんに敗れたわけですが、「北杜夫に決まった」という一報が流れた途端、私のところに詰めていた記者連中が「お邪魔しました」と言って波が引くようにサーッと引き揚げていっちゃった。その見事さに、「俺はこういう非情な世界では到底生きられない」と思って、一度は筆を断ったんですよ。
〈三戸岡〉
先生にも筆を断った時期がおありだった。
〈童門〉
純文学の作家として一度は断筆した私がなぜ歴史小説を書き始めたかというと、歴史専門の出版社の編集者がある時、都庁を訪ねてきて「新撰組をどう思いますか」と聞くんです。「新撰組は身分に関係なく、皆を武士にして士道を重んじた。僕はあれは身分解放集団だと思っています」と話したら「じゃあ、それでいきましょう。それを書いてください」って(笑)。そこからですね。
書いていくうちに純文学よりも歴史文学のほうが面白くなって、いつの間にか歴史という無限の鉱脈を掘ることに一所懸命になっている自分がいたんです。
人生の法則は「起承転転」
〈三戸岡〉
そのように考えていくと、歴史は探究すればするほど、まだまだ多くの発見があるということなのでしょうね。
〈童門〉
その通りです。だから私の人生の法則は「起承転転」。いつまでも結というものがない(笑)。
〈三戸岡〉
いまなお現在進行形ということですね。
〈童門〉
歴史上、「この人は」と思う人物は皆そうだと思うんですよ。どこまで経ってもいまの自分に満足せず人生を完結していない。しかも、死んだ後に誰かから褒められようなどという、そんなみみっちい私心がないんです。
『名将言行録』などを読んでいますとね、先ほどの小早川隆景もそうですが、いろいろな武将たちの記録に「風度」という言葉が出てくるんです。ITやAIの社会が到来したとしても、結局人間としての武器になるのは、この風度だと私は考えています。「あの人の言うことなら」「あの人のすることなら」と周囲から認められるだけの人間力ですね。この風度が人間がAIに打ち勝つ最後の切り札なのではないでしょうか。
私は、ITもAIも新幹線も飛行機もない時代のことをテーマにして小説を書いています。人によっては、そんな古い時代のことを研究して何の役に立つんだという人もいるでしょう。しかし、先人たちは何もないからこそ必死に知恵を絞り出している。機械からは絶対に生まれない恕の精神、相手を思いやる気持ち、そこから生まれた様々な人生の知恵にはやはり温かみがありますよ。それを大事にしていきたいですね。
AIの浸透によって銀行員がいらなくなるんじゃないか、という話もよく聞きます。しかし、商いの一番の原点は仁義礼智信の五常ですよ。渋沢栄一が明治6年に国立第一銀行を設立した時の「論語と算盤」の精神であり、近江商人の「三方よし(売り手よし、買い手よし、社会よし)」の精神なんですね。そういう昔から一貫した法則さえしっかり守っていれば、人間、決して道から外れることはないのではないでしょうか。私はそう思っています。
(本記事は月刊『致知』2018年10月号特集「人生の法則」より一部抜粋・編集したものです)
◎童門冬二さんが弊誌『致知』創刊45周年を祝しお寄せいただいた推薦コメントはこちら↓↓◎
私は常々『致知』は〝日本の良心〟だと思ってきました。不透明な時代の静かな懐中電灯、霧の中の心強い一灯として『致知』の照らす光が日本を支えています。
細井平洲の言葉に「学問は闇夜を歩く者の足下を照らす提灯だ」とあります。この「学問」はそのまま『致知』に置き換えられると思います。『致知』の品格ある静かな活躍に、日本の良識はどれだけ救われているでしょうか。
どんな状況でも日本の美しい心の詩を歌い続ける。その地道な歩みはまさに〝積小為大〟。この国になくてはならない存在となりました。『致知』は現実に身じろぎもしない大樹です。50周年、100周年と永遠に歩み続けられることを願っています。
◇童門冬二(どうもん・ふゆじ)
昭和2年東京生まれ。東京都庁にて広報室長、企画調整局長を歴任後、54年に退職。本格的な作家活動に入る。第43回芥川賞候補。平成11年勲三等瑞宝章を受章。著書は代表作の『小説 上杉鷹山』(学陽書房)をはじめ、『人生を励ます太宰治の言葉』『楠木正成』『水戸光圀』(いずれも致知出版社)『歴史の生かし方』『歴史に学ぶ「人たらし」の極意』(ともに青春出版社)など多数。
◇三戸岡道夫(みとおか・みちお)
昭和3年静岡県生まれ。師範学校を経て、28年東京大学法学部卒業。協和銀行副頭取を最後に作家活動に入る。本名は大貫満雄。著書に『親子で学びたい二宮金次郎伝』(致知出版社)『二宮金次郎の一生』『すべての日本人に二宮金次郎71の提言』などの伝記の他、『修羅の銀行』(いずれも栄光出版社)など、銀行員時代の経験をもとにしたビジネス小説も手掛ける。