「日本一厳しい禅道場」の師家が限界の中で到達した、〝理屈では説明できない境地〟〈山川宗玄〉


日本一厳しいとされる禅の専門道場・正眼寺の師家であり、4月に臨済宗妙心寺派管長に就任された山川宗玄師。自身もまた、若かりし頃に過酷な修行時代を送りました。足は化膿、睡眠不足、心身ともに極限状態にいた氏が見た世界とは。80年以上、求道一筋に生きてこられた青山俊董師と共に、生きる上での要訣について語っていただきました。

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心身の限界の中で掴んだ世界

<山川>
正眼僧堂での生活についてお話をさせていただくと、初めて托鉢に出たのは、旦過詰というまだ正式に入門が許される前です。

ある雨の日、先輩の雲水たちに連れ出されて寺から15キロ以上離れた場所で托鉢をしたのですが、馴れない草鞋は全くぐちゃぐちゃになって足にはすぐにマメができ、帰山した後、その部分が化膿し始めました。そういう状態で修行が始まったんです。

当時、堂内には35人の雲水がいて、末単という一番後輩の私は何をするにも最後でした。禅堂では一日の規矩(お勤め)が済んで9時半に布団に入るのですが、寝られるかというとそうではなく、5分ほどすると先輩たちはゴソゴソと外に出て夜坐(夜遅くまで坐禅をすること)を始めます。私は皆が戻るまでは禅堂に戻ることはできない。35人の先輩が5分おきに戻るとしても自分の番が回ってくるのは早くとも夜中の1時か1時半。それで3時半には起きなくてはいけないわけです。

足は化膿状態で我慢できないほど痛い。膝のほうもだんだんおかしくなり、睡眠不足も加わって体はもうヘトヘトでした。夜坐をしながら「このままいくと怪しいな」と考えるようになりました。死ぬとは思いませんでしたが、それに近い状態になって二度と普通の生活ができなくなるのでは、という恐怖感が湧いてくるのです。

一応科学を学んだ人間ですから考える癖がついている。それで何を考えたかというと、ここで体がおかしくなるのも逃げ出すのも避けたい。だとしたら皆が見ている前でバタッと気を失って倒れるのが一番いい。そうしたら誰かが救急車を呼んでくれて病院に運ばれる。この体を見ればどんな医者でも「これは修行どころではない」と言ってくれる。お墨付きをもらって堂々と家に帰れる、とそういう筋書きを書いたんです(笑)。

では、早く倒れるにはどうしたらいいか。いまの修行をもっと頑張ればいい。坐禅の時にはいままで以上にグッと背筋を伸ばす、足は折れるかと思うくらいにしっかり曲げて組む、作務(労働)の時間は誰よりも多く働く。早く倒れたいためにすべて真剣にやりました(笑)。私の考えではうまくいけば3日、長くとも5日でバタッと倒れて病院に運ばれるはずでした。

ところが、倒れないんですね。

<青山>
倒れられなかった。

<山川>
はい。不思議なことに1週間経っても倒れませんでした。本堂の縁で夜坐をしていると、柱時計の音が聞こえます。ボーン、ボーンと2回鳴ると2時になったことが分かる。その時「起床まであと1時間半しか残っていないのか」という思いが湧いてきます。

倒れたいと思っているのに、なぜかそういう思いが出てくる。人間とは不思議なものですね。

ある日、その夜は美しい月が出ていたことを覚えていますが、柱時計が2時を打った時、いつもなら「1時間半しか」という思いが湧いてくるのが、その時だけなぜか「1時間半も寝られるのか」「いや1時間半も寝させていただけるのか」という気持ちになったのです。これはもう理屈では説明がつきません。

その途端に私の心の「我」のようなものがガラガラガラガラと大きく崩れて、涙がとめどなく流れてきました。

その時、思った。

「修行をしている限りは死なないんだ。大丈夫なんだ」と。「生きているのではなく生かされている」ことが実感として分かったのですね。

体が強くなって前向きに修行に打ち込めるようになったのはそこからです。

<青山>
とてもいいお話ですね。「しか」と「も」。同じ一つのことでも受け止め方で全く世界は変わってくる。

病気もそうですわな。坂村真民先生に「病が/また一つの世界を/ひらいてくれた/桃/咲く」という詩がありますが、病をされる度に先生の心の花が開いていったと私はいただきたい。

私も立て続けに病気をいただきました。周りの者が3回くらい葬式の準備をしたほどでしたが、大病によって気づくことが山ほどありました。それで病気を南無と拝ませていただいているわけですけれども、白隠禅師が「三合五勺の病に、八石五斗との気の病」とおっしゃっているように、同じ病でもマイナス思考をするとどんどん悪いほうに向かってしまう。

私の場合、よき師や教えに出会ったこともあって病気を財産にできるのは幸いなことだと思っています。


◉『致知』10月号 特集「この道より我を生かす道なし この道を歩く」◉
対談〝「一筋の道を歩み見えてきたもの」〟
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)
山川宗玄(臨済宗妙心寺派管長)

 ↓ 対談内容はこちら!

◆雲水に戻って管長の役割を果たす
◆渡すより渡されっぱなしの人生
◆くだり坂にはくだり坂の風光がある
◆迷いを認めてもらえる世界を求めて
◆よき師縁に恵まれて
◆自分の思いを超えて導かれる世界がある
◆心身の限界の中で掴んだ世界
◆師を殺すほどの気迫で向き合う
◆仕事は仕事から学ぶ
◆現代に生かすべき禅の教え
◆限りない道を歩き続ける

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◇青山俊董(あおやま・しゅんどう)
昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年曹洞宗大本山総持寺の西堂に就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。

◇山川宗玄(やまかわ・そうげん)
昭和24年東京都生まれ。埼玉大学理工学部卒業。49年野火止平林僧堂の白水敬山老師について得度。同年正眼僧堂に入門。平成6年正眼寺住職、正眼僧堂師家、正眼短期大学学長。令和6年4月より全国約3300寺を擁する大本山妙心寺派管長に就任。著書に『生きる』『無心の一歩を歩む』『無門関提唱』(いずれも春秋社)『禅の知恵に学ぶ』(NHK出版)『くり返し読みたいブッダの言葉』(リベラル社)など。

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