「一幸庵」店主・水上力氏がつくる和菓子の美学——水上力×青木定治

東京・茗荷谷に店を構えて45年、世界の料理人が絶えず見学に訪れるお菓子調進所「一幸庵」店主の水上 力氏。5年間の修行時代に掴んだお菓子への向き合い方から、和菓子の美学を語っていただきました。(対談のお相手は、水上氏を〝親父さん〟と慕い、洋菓子の本場・パリで人気を博し、国内外で計14店舗を展開するSadaharu AOKI paris オーナーシェフの青木定治氏です。)

◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら
 ※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください


10年経ってようやく身についたもの

<青木>
このままでは僕が話し続けてしまうので、ぜひ親父さんの修業時代の話も聞かせてください。

<水上>
京都と名古屋の和菓子屋で5年間修業した後、1977年、28歳の時に独立しました。

修業時代、心に残っているのが名古屋の旦那から言われたひと言です。

「お前は大卒で、頭を使う訓練をしてきている。高卒の人が10年かかることを5年で、中卒の人が10年かかることを1年で覚えて当たり前だ」と。

当時は長年やっている人のほうが遥かにうまいし、追いつかないと思っていたけど、独立して10年が経つ頃、それが突然分かるようになりました。

どういうことかと言うと、技術は後からいくらでもついてくるからどうだっていいんです。

饅頭を100個包んだ人より1,000個包んだ人のほうがうまいのは当然なんだから。

そうじゃなくて、職人としていかに仕事が染みついているか。

どうすればおいしいものがつくれるかが体に染み込んでいなければいけないんです。

<青木>
技術よりもお菓子に向き合う姿勢が大事だということですか。

<水上>
そう。

名古屋の旦那から習ったのが、羽二重餅という白玉粉と餅粉を合わせてつくるシンプルなお菓子です。

旦那は明確な言葉では教えてくれないけど、「もっと火を入れろ」「ちゃんと練れ」「卵白をよく立てろ」と、毎日のように様々な注意を受けました。

当時は違いが分からなくなるほどでしたが、独立して10年、ある日突然、餅を触った時に「これだ!」とハッとした瞬間があったんです。

何がどう違うのか、言葉では表しにくいけど、「ああ、旦那が言いたかったのはこれだったのか」と衝撃を受けました。

それからは肩の力が抜けて、自分のつくる和菓子から角かどが取れてよりおいしくなったと思います。

私は10年で理解できたけど、5年で分かる人もいれば一生分からない人もいる。この感覚はいくら言葉で説明しても無駄で、自分で会得するしかないだろうね。

<青木>
自分で会得するしかない世界、それはすごくよく分かります。

僕もフランス人と同じ舌になるまでに10年はかかりました。

やっぱり、日本人の感覚のままではいつまで経っても外国人で、この世界では通用しないんです。

だからフランス人と同じ舌・感覚を持ち、意見が言えるレベルにならなければと思っていました。

<水上>
修業中の若い人の中には修業を「仕事を覚えること」と捉えている人がいるようですが、それだけが目的なら製菓学校へ行けばいいんです。

修業とは、店の主人がどんなことを考え、どのような段取りで、どうやってお菓子をつくっているか、それを全身全霊で学び取ることに他なりません。

修業時代にこのお菓子への向き合い方を自分で掴つかめたことが、その後のすべての土台になったね。

水上力がつくる和菓子の美学

<水上>
それから、私にとって一生の師が随筆家の岡部伊都子さんです。

京都での修業中、たまたま本屋で『四季の菓子』というタイトルに惹かれて手に取ったのですが、岡部さんの考え方に衝撃を受けました。

高度経済成長期で、つくって売れればいいという考え方が日本中に漂う中、岡部さんのエッセイの中には岡部さんたち家族がどういう気持ちでお菓子を食べているのかが日常の1コマとして書かれてある。

それを読んで、職人の自己満足でお菓子をつくってはいけない。食べる人がいてこその菓子職人なんだと教えられました。

<青木>
職人として大切な考え方のベースですね。

<水上>
一幸庵は父の店の分家という形で銀行から借金して構えたけど、最初の数年は結構辛かった。

開店していようが閉店していようが、1日1万円、月に30万円の借金を返済しなくちゃいけないんだから、最初の頃はもう食うや食わずの状況。

常連客の紹介で見合いをして29歳で結婚し、翌年に長女が生まれても、私の給料分はすべて借金の返済に回していたから、生活費は共に店で働く妻の給料だけで賄っていました。

<青木>
創業期は親父さんでも苦労しましたか。

<水上>
一幸庵のわらび餅はいまでこそ店の代名詞のようになっているけど、最初は一日に20~30個をつくって売るのがやっと。

急激に売れるようになるなんてことは絶対になくて、40年かけて一段ずつ階段を上ってきただけ。

まして洋菓子に押されて和菓子の市場自体が縮小している中だから、本当に一歩ずつの歩みでしたね。

何も一流を目指していたわけじゃないけど、お代をいただいているわけだから最高においしいものをつくって当たり前。

そう考えて自分がおいしいと納得するお菓子だけを必死になってつくっていた。

ありがたかったのはそれにお客様がついてきてくれたこと。一幸庵はお客様が育ててくれたんです。

<青木>
お客様が育ててくれた。

<水上>
もともと一幸庵は「京菓子調進所一幸庵」と名づけて京菓子をつくっていたんです。

でもある時、様々な要因が重なり商売を辞めようかと考え、1か月ほど店を閉めた時期がありました。

そうしたらお客様から、「あんたは京都に飯を食わせてもらってるの? 違うでしょ。お客様たちはみんな水上力のお菓子を買いに来てるんだよ」とガツンと言われてね。

その時に、そうだ、自分がつくっているのは京菓子でも江戸菓子でもない、お菓子なんだ。水上力のお菓子なんだ!と思い至りました。

それで名前を「お菓子調進所一幸庵」に変えたんです。

ちょうどその後に青木さんと知り合ったんだけど、自分の中の枠を破ることができたから、青木さんに気兼ねなくパイやタルトなど洋菓子をつくってほしいと言えるようになりましたし、柔軟な発想で和菓子と洋菓子を掛け合わせることを考えるようになったんです。

<青木>
そんな葛藤があったなんて知りませんでした。


(本記事は月刊『致知』2022年9月号 特集「実行するは我にあり」より一部を抜粋・編集したものです)

【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】

 

 

◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。

たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら
購読動機は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら


◇水上 力(みずかみ・ちから)
昭和23年東京都生まれ。江戸菓子屋の四男として育つ。京都・名古屋で約5年間、和菓子職人としての修業を積み、52年東京・茗荷谷に「一幸庵」を開店。「エコール・ヴァローナ 東京」や「ジャン・シャルル・ロシュー」といった国際的なパティスリーメゾンとのコラボを積極的に行う。著書に日英仏の3か国語で書いた『IKKOAN 一幸庵 72の季節のかたち』(青幻舎)の他、『和菓子職人 一幸庵 水上力』(淡交社)がある。

◇青木定治(あおき・さだはる)
昭和43年愛知県生まれ。青山シャンドンで働いた後、64年に渡仏。平成7年仏・パティシエの登竜門「シャルル・プルースト杯」において味覚部門優勝。現在パリに5店舗、日本に9店舖を持つ。30年フランスの権威あるショコラ品評会「C.C.C.(ClubdesCroqueurs de Chocolat)」にて、5年連続最高位、8年連続の受賞。著書に『パリ発! サダハル・アオキのフランス菓子』(NHK出版)『サダハル・アオキのお菓子』(角川マガジンズ)など多数。

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 11,500円(1冊あたり958円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 31,000円(1冊あたり861円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

閉じる