2024年08月21日
~本記事は月刊誌『致知』2024年9月号 連載「二十代をどう生きるか」の取材手記です~
化粧品業界の道なき道を切り拓いてきた大経営者
化粧品公害が社会問題となっていた1980年、化粧品販売会社として創業。肌トラブルの原因となる防腐剤などの添加物を一切使用しない業界初の無添加化粧品を筆頭に、世の女性たちが感じる〝不安・不満・不便〟を、〝安心・満足・便利〟に変える商品を次々生み出し、業界の道なき道を切り拓いてきた「ファンケル」。いまや売上高1,108億円、営業利益125億円、グループ社員1,281名を擁し、2025年には創業45周年を迎えます。
「世の中の『不』を解消しよう」という創業理念の下、化粧品事業のみならず、高品質・低価格なサプリメントや青汁、発芽玄米をはじめとした健康食品まで、お客様のニーズに合わせた幅広い商品・サービスを展開しています。
5mlのバイアル瓶に詰めた初めての無添加化粧品
同社を徒手空拳で立ち上げ、今日の繁栄の礎を築いてきたのが池森賢二さんです。日本を代表する経営者のお一人である池森さんですが、過去には仲間と創業した会社が倒産するなど、幾多の逆境に直面してきたといいます。氏はいかにして道なき道を拓いていったのでしょうか。
月刊誌『致知』最新号(2024年9月号)の連載「二十代をどう生きるか」では、池森さんが初登場。無我夢中で仕事に没頭した若き日々に焦点を当て、経営者としての原点に迫りました。
弊誌の取材に応じてくださった理由
6月25日(火)、横浜の本社を訪ねると、池森さんは笑顔で私たちを迎えてくださいました。凛々しい佇まい、ハキハキとした若々しい口調……とても87歳とは思えないバイタリティーに満ち溢れている。池森さんにお会いした印象は、まさにそのひと言に尽きます。ゼロから一大事業を興した経営者だからこそ纏えるエネルギーの高まりを肌で感じずにはいられませんでした。
挨拶に続けて、池森さんはこうおっしゃいました。「取材は久しぶりだから緊張しますね(笑)」と。
実は、池森さんは2019年に経営の第一線を退いて以降、メディアからの取材は受けられていなかったといいます。にも拘らず、なぜ弊誌の取材に応じてくださったのでしょうか。
「親しい経営者仲間には御誌の愛読者が非常に多いんですよ。彼らから『致知』は素晴らしい雑誌だと何度も話を聞いていました。ですから、ご取材のお話をいただいた際は私のような不束者でよければと思い、すぐにお受けいたしました」
池森さんの胸中を知り、強く心を打たれました。そこから60分に亘り、戦中・戦後の壮絶な生い立ちや無我夢中で目の前の仕事に取り組んだガス会社での日々、ファンケル創業期を振り返っていただきました。本記事では全4ページにわたって、そこで語られた内容を一つひとつ詳らかに紹介しています。
↓インタビュー内容はこちら!
▼母に教わった勤勉誠実な生き方
▼与えられた仕事で日本一になる
▼失敗の中に成功の秘訣がある
▼「不」の解消こそビジネスの原点
▼無我夢中の先に掴めるもの
「失敗の中に成功の秘訣がある」――ファンケルの成功を支えたもの
池森さんは1973年、35歳の時に22歳から十数年勤めていたガス会社を退職し、脱サラ向けセミナーで出逢った仲間と独立に踏み切ります。会社は17名の共同出資者が集い、雑貨のアイデア商品販売を営むボランタリーチェーンとして創業しました。年長順にポストを決め、3番目だった池森さんは専務として商品開発に着手します。
しかしながら、全員役員という経営スタイルは意見が全くまとまりません。しまいには、1年経つ頃には社長がノイローゼになり入院、その半年後に副社長が「池森さん、あとは頼む」という手紙を残し、失踪してしまいました。
池森さんは当時を振り返り、次のように述懐されています。
私が社長を引き受け資金繰りに奔走するものの、立て直せるはずがありません。創業から3年弱で6,000万円の借金を抱え倒産しました。
「ああ、これは命を絶ってお詫びするしかないな……」。倒産を迎えた朝の悲壮感は生涯忘れられません。自殺か、それとも蒸発しようか、様々な考えが頭に浮かびました。
大きな挫折を経験された若き日の池森さんの心の支えになったのは大切な家族の存在、そして何より、一貫してきた目の前のことに無我夢中で取り組むという強い信念でした。
ただ、私には守るべき家族がおり、ここで逃げ出したら一生逃げ続ける人生になってしまう。悩みに悩み抜いた末、借金をした相手に謝ろうと心に決めたのです。
それから大阪や名古屋をはじめ、借金をした約30社を行脚し、誠心誠意謝罪しました。結果的に、この決断がよかったのだと思います。中には「顔も見たくない。さっさと帰れ」と冷たくあしらわれたケースもありましたが、大半が「苦労しただろう。だがおたくとの取引は収支がトントン。借金は返さなくていいよ」と、寛大に受け入れてくれたのです。最後に手元に残った借金は、個人保証した2,400万円でした。
さらにこう続けます。
温かい人情に触れ、残った借金は死んでも返そうと決意すると共に、次に事業をやる時は決して借金をしない、会社を潰さないと心に誓いました。この経験があったからこそ、ファンケルはいまだに無借金経営を貫いているのです。
失敗の中には数え切れないほどの学びが詰まっています。失敗を教訓とし、二度と同じ過ちを犯さないように取り組むことが、成功の秘訣ではないでしょうか。
失敗の中には数え切れない学びが詰まっている――含蓄に富んだ教えです。
倒産という最大の逆境を経て、ファンケルの原点となる化粧品販売会社を創業した池森さん。化粧品業界は門外漢だった池森さんは、いかにして業界初の無添加化粧品を実現したのか。その全貌はぜひ本誌をお読みください。