【取材手記】本当の技術は本気のぶつかり合いで伝承される|後藤光雄×奥田政行

~本記事は月刊『致知』2024年7月号 特集「師資相承」に掲載の対談(己のコスモを抱いて生きる)の取材手記です~

この日でないとダメだった

小雨の降りしきる5月1日、東京・銀座。名のある料理店が揃う街の一角、開店前の店に編集部は駆けつけました。

その店とは、山形県の郷土食材をふんだんに使ったイタリアンが楽しめる〈ヤマガタ サン ダン デロ〉。このお店に来たのは、フレンチとイタリアン、独創の道を突き進む二人のシェフによる師弟対談のためでした。

奥田政行シェフ。2000年、地元山形県鶴岡市に地場イタリアン〈アル・ケッチァーノ〉をオープン、国内外の権威ある数々の賞を獲得し、2014年に鶴岡市を「ユネスコ食文化創造都市」認定へと導いた〝天才シェフ〟と呼び声高い人物です。〈ヤマガタ サン ダン デロ〉は奥田シェフの直営店であり、師匠との対談会場として指定されたのでした。

実は、奥田シェフは遡ること9年前、月刊『致知』2015年3月号に登場いただいていました(日本料理界の若手の旗手として、現在も第一線で活躍する「賛否両論」店主・笠原将弘氏との対談)。その記事で修業時代に話が及んだ際、大変厳格な師匠とのある逸話が、編集部をはじめ多くの読者にも衝撃を与えていたのです。

その記事をテーブルに出すなどして会場のセッティングを終えた頃、奥田シェフがお店に到着。挨拶もそこそこに着替えに入られたその数分後、〝師匠〟が顔を見せられました。

その師匠というのが後藤光雄シェフ、現在世界で唯一とされる遠赤外線低温調理のスペシャリストです。

あの奥田シェフが師匠と呼んで憚(はばか)らない後藤シェフとはどんな人物なのか――。調べたところ、今年70歳を迎える後藤シェフは新宿の高級ステーキ店「葆里湛(ホリタン)」にいた30代の頃、特殊な波長で食材を熱し、旨味を閉じ込める遠赤外線オーブンの開発に成功。以来その調理を広めるべく様々な形で活動してきた方だということでした。

人当たりも厳しいのかもしれないと気を張っていたものの、第一印象は意外にも柔和で、人一倍折り目正しい方というものでした。さらに驚いたのは、御年70で現役の風貌、さらには対談の次の週から香港に渡り、生涯最後の挑戦として新店を出すというのです。

〈奥田〉
きょうは僕が駆け出しの頃に薫陶を受けた後藤シェフが香港に新店をオープンされるにあたって、山形から豊洲まで車を走らせて、香港での仕入れの打ち合わせをしてきました。シェフと一緒に店に立つ僕の弟子とも入念な打ち合わせができましたし、『致知』の取材をこの日にしてもらえて本当によかったです。

〈後藤〉
そうだね。昨日から一睡もしていないみたいですけど。

〈奥田〉
はい。きょうでないと時間が合わないので、夜12時半に山形を出て徹夜で来ました。

対談冒頭のこのやり取りで分かるように、多忙な奥田シェフが、山形から何と徹夜で約500キロもの道のりを超えて駆けつけてくださっていました。またこの時点で、後藤シェフは以降年内は日本に帰る予定はなく、まさにこの日を逃しては実現できないベストタイミングでの取材となりました。▲左が奥田シェフ、右が後藤シェフ

一切合切を捨てて〝道〟に入れ

前述のようないきさつで、当日は奥田シェフが後藤シェフを連れて来てくださいましたが、道中から既に当時を振り返ってくださっていたようです。

〈奥田〉
後藤シェフは、例えば、予約が入っていなくても完璧に仕込みをされる。メニュー表にある食材がないなんてことは料理人の恥だと。僕たちが自分の立場の仕事を100%できていないととにかく怒る。皿に指紋がついていただけで、すぐ手が飛んできましたね(笑)。

〈後藤〉
いやあ、ここに来る途中も話したけど、ほとんど記憶がない。まだ35歳前後で若かったから、スイッチが入ると自分の世界に入り込んで、周りが見えなくなっていました。当時のスタッフを集めて、謝りたい気持ちですよ。

〈奥田〉
誤解のないよう読者の皆様にお伝えしておくと、当時の料理界というのは、たくさんの腕利きのシェフが皆、名を上げようと群雄割拠していた時代でした。シェフになればスパルタ教育が当たり前、勝ち上がってきた弟子だけ拾う。どこもそうだったんです。

ここだけを見れば、頭ごなしに叱られていたのだと思ってしまいそうですが、奥田シェフの目には、少し違うものが見えていました。

〈奥田〉
店に入ってすぐ、大変なところに来てしまったと分かりました。その日は予約が少なくて休憩が長めだったので、裏でラジオをつけて大相撲の実況を聴いていました。そうしたら後藤シェフがやって来て「切れ!」と。

別の日、今度は漫画を持ち込んでいました。そうしたら「漫画なんて読むな!」。スポーツ新聞を読んでいたら「『日本経済新聞』しか読むな!」。どうしてかなと考えて、ああ、一切合切を捨てて「道」に入れと言っているんだなと一人で納得しました。

〈後藤〉
そういう素直さ、心構えは初めからよかった気がします。

〈奥田〉
そこからシェフの言うことの答えを自力で探し始めました。

どんな世界でも、師匠のすべてを弟子が初めから理解することはできないものでしょう。その中にあって、師弟関係を成り立たせるものは何か。後藤シェフと奥田シェフの関係を見ると、弟子は簡単に心を閉ざさず、目の前の師の教えを受け止め、学ぼうとすることこそが大事。師弟関係を深める第一歩は弟子の姿勢にあることを教えられます。

それはたった1年半の出来事だった

なぜ、徹底的なスパルタ教育を受けながら、奥田シェフは折れることがなかったのか。なぜ後藤シェフはそこまでの指導を施していたのか。なぜ、二人は世界の高みで腕を振るい続けているのか。表題「己のコスモを抱いて生きる」とはどういうことか――。

本対談では両シェフが互いに知らなかった裏話を含め、料理の世界に留まらずあらゆる業界業種に通底する腕の磨き方、引き上げられる人の共通点、自分の道を切り拓く心得について語り合っていただいています。


折しも、2か月前に発刊された『致知』5月号に掲載された和食の神様・道場六三郎さんのインタビュー記事に、道場さんがご両親に教わったという言葉がありました。

「修業とは我を削っていくことだよ」

修業は、自分の中に湧いてくるエゴと向き合い、闘い、削っていくこと。奥田シェフに言わせればこうなります。

〈奥田〉
好きにならないと吸収できません。拒否すると絶対ダメです。

まずは相手を無理やりにでも好きになる。受け止める。そうして初めて様々なものが入ってくることを教えられました。そういう師と弟子の呼吸の連続の中でこそ、本当に大切な技術が入ってくると言えるでしょう。

後藤シェフと奥田シェフが同じ厨房で働いていたのは、30年以上も前のことだそうです。当時の関係がいまも続いていることに驚きますが、しかしそれ以上に意外だったのは、その期間が何と僅か1年半だったという事実です。それがどれほど濃密な時間だったのか。ぜひ本誌の対談記事を通して味わっていただければ幸いです。

▼対談内容はこちら!▼

■料理人にゴールはない
■修行には段位がある
■好きになれば吸収できる 呼吸も目で見える
■チャンスを掴み、引き上げられるコツ
■俺はきょう 自分に戻ろう
■「ここにコスモがあるんだよ!」
■故郷を照らす光を求めて
■師の志を継いで新たな旅へ
■時代が求める師資相承

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◇後藤光雄(ごとう・みつお)
昭和29年東京都生まれ。高校卒業後、東京のレストランを中心に修業を積み55年渡仏。63年「葆里湛」伊勢丹店にて低温調理遠赤外線を開発。平成7年より17年まで「ア・ヴォートル・サンテ」オーナーシェフ。25年香港「葆里湛」で低温調理遠赤外線を伝授。同店休業に伴い帰国後はパーソナルシェフとして活躍、令和6年より再開店。

◇奥田政行(おくだ・まさゆき)
昭和44年山形県生まれ。高校卒業後、東京で7年間修業し、26歳で鶴岡ワシントンホテル料理長就任。平成12年「アル・ケッチァーノ」を鶴岡市に開店。16年より「食の都庄内」親善大使。令和元年文化庁長官表彰受賞ほか受賞多数。近著に『パスタの新しいゆで方 ゆで論』(ラクア書店)『日本再生のレシピ』(共同通信社)など。

▼『致知』2024年7月号 特集「師資相承」
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