〝チャンピオンサケ〟に輝く銘酒「南部美人」はいかに生まれたか(久慈浩介)

岩手県の内陸北端・二戸(にのへ)の街中に、122年の歴史を刻む酒蔵がある。「南部美人」。全国新酒鑑評会では金賞常連、世界最高級のワインコンテストIWCで〈チャンピオンサケ〉に輝くなど、海外の愛好家も唸らせています。そんな銘酒を手に、日本酒業界のため奔走する五代目蔵元・久慈浩介氏の、止まるところを知らぬ情熱の源泉とは――。

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蔵元の覚悟が酒の味を押し上げる

〈久慈〉
小さい頃、父が朝暗いうちからトラックいっぱいにびんを積んで営業に出て、夜遅くに帰ってくる姿はいまもはっきり覚えています。その時期に蔵を支えてくれたのが山口はじめ杜氏です。父は山口杜氏との二人三脚で、南部美人の味を全国へと広げていきました。

――その中で、久慈さんも自然に家督を継ごうと考えたのですか。

〈久慈〉
いや、初めは蔵から逃げて、教師になろうと考えていたんです。というのも二戸の酒蔵はうちだけで、町のどこに行っても「南部美人の息子」と呼ばれて、とても窮屈だったからです。ターニングポイントは、高校二年生でのアメリカ留学でしたね。ホームステイ先のお父さんにお土産で南部美人を渡したら絶賛してくれて。

ある日の夕食で、僕が何気なく「将来は教師になりたい」と漏らすと、彼が目を見開いて、真剣にさとすんですよ「学校の先生は他の人でもなれる。でも、南部美人を継げるのはコウスケしかいない」と。もう、その後、毎日言われ続けました。異国の地で諭されたことで、余計に心に響いたのかもしれません。

――高校卒業後はすぐ家業に?

〈久慈〉
父の母校・東京農業大学醸造学科に進学しました。父の親しい後輩が教鞭を執っていたんです。その後輩というのが発酵学の権威である小泉武夫先生でした。先生は単に化学式を説明して終わる人じゃなくて、研究室にある珍しい発酵食品の試食をさせてくれたりしていとも簡単に発酵、酒造りの面白さにハマっちゃいました。

先生は授業の最後、日本酒の勉強になるお店を紹介してくれるんですが、忘れられないのは卒業の年、一年生から通っていた銘酒専門店「赤鬼」で飲んだ『十四代』の味です。

大学の三つ上の先輩でもある山形県の高木酒造の現社長の高木辰五郎さんが、熟練の杜氏が病気で引退するという危機に際し、自ら造ったお酒です。日本酒業界では、酒造りは杜氏に任せ、蔵元は営業など対外的な仕事を担うものです。しかし高木さんは味に全責任を負って酒を造った。それまで飲んだどんなお酒とも違う、死ぬほどのおいしさでした。

――それほどまでに。

〈久慈〉
大吟醸だと思って確認したら「久慈君、これは本醸造だよ。一杯400円」。そう言って隣に南部美人の大吟醸をドンと置くんです。うちは一杯3,000円。飲み比べてみるとほとんど差がない……ショックでした。

帰り際、主人に言われたことは忘れません。「どんな酒も、蔵元が退路を断って、覚悟を決めればこうなるよ」。要は「南部美人もこのままじゃまずいぞ」と伝えたかったんでしょう。

なぜ、岩手の酒蔵が海外へ打って出たのか

〈久慈〉
自分で理想の酒を造ろう。そう覚悟を決めて、大学を卒業した1996年、岩手に帰りました。そこからは闘いでしたね。

その頃の南部美人は、杜氏と蔵人のおじさん10人くらいが寝泊まりしていましたが、僕が酒造りの現場に入ることを喜んでくれたのは、山口杜氏だけでした。父には「要らんこと言うなよ」と釘を刺されました。製造部長として現場に入ったものの、昔からの習慣が染みついた高齢の蔵人さんには何を言っても聞き流されました。

――思わぬ洗礼を受けた。

〈久慈〉
酒造りは一人ではできませんから、悩みましたね。すると次の年、年齢を理由に蔵を離れる蔵人が現れまして。これはいい機会だと、杜氏協会から人を呼ぼうとしていた父を止め、社内の若手を醸造に引き入れ、真っ白な状態から教育していきました。

仲間と覚悟を固め合って蔵に戻ったからには、自分が正しいと思う酒造りができなければいる意味がありません。醸造のやり方におかしいところがあれば、すぐ父の部屋に駆け込んで問い詰めました。

何回も胸ぐらを掴み合って喧嘩しましたけど(笑)、いま思えば、父はアクセル全開で進む私を頭ごなしに否定せず、適度にブレーキを踏んでくれていました。おかげさまで2年目、初めて仕込みを任された大吟醸で全国新酒鑑評会の金賞を受賞することができました。

――それでなぜ海外へ出ようと?

〈久慈〉
このまま国内で闘っていても限界があると考えたからです。とはいえ、スマホもインターネットも普及していない、和食もいまほど知られていない時代でした。若い私一人で乗り込んでどうこうできる状況ではなかったですね。

1997年、転機がありました。先輩蔵元たちが日本酒を海外に普及するために日本酒輸出協会を発足させ、僕も誘われて入会しました。間もなく、アメリカ人の会員に日本の文化を伝えるNYのジャパン・ソサエティから、「日本酒の試飲イベントを開いてくれませんか?」と打診がありました。

願ってもないチャンスだと、皆でNYに飛んで試飲イベント、日本酒セミナーを開きました。そうしたら「アメイジング!」「何でこんなフルーツみたいな香りがするんだ?」と質問攻めにあって、時間が過ぎても終わらない。しまいには財布からドルを出して「いくらで買えますか」と。懇親会も大盛り上がりで、あの夜あそこにいた全員が「日本酒は世界で闘える。絶対に世界の酒になれる」って確信したはずです。

――これ以上ない手応えですね。

〈久慈〉
その後も何度かイベントを開いたことで、現地のレストランや卸売りの会社と縁ができ、「デシベル」というNYの日本酒バーが初めて南部美人をメニューに入れてくれることになったんです。チームで掴んだ勝利でした。


(本記事は月刊『致知』2024年5月号 特集「倦まず弛まず」より一部を抜粋・編集したものです)

●久慈浩介さんのインタビューには
・国や宗教の壁を越えて愛される日本酒
・時代に抗い「品質一筋」を貫く
・蔵元の覚悟が酒の味を押し上げる
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