【編集長取材手記】アルバイトから経営者へ 井村屋・中島伸子が語る「逆境の只中でも希望を失わずに生き抜くヒント」


道なき道をひらいてきた女性リーダー

明治29(1896)年に初代・井村和蔵が三重県松阪市で菓子舗「井村屋」を創業して以来、128年の歴史を刻んできた井村屋グループ。あずきを中心に和菓子・冷菓・食品・点心・スイーツなどの事業を展開しており、国内5社、海外3か国6社の計11グループ、売上高446億円、経常利益22億円、従業員数930名以上を擁し、東証プライム市場に上場している一流企業です。

年間3億本を販売する看板商品「あずきバー」は昨年50周年、冬の定番商品「あんまん・肉まん」は今年60周年を迎えるなど、これまで数多くのロングセラーを手掛けてきました。

それだけに留まらず、「やわもちアイス」や「こしあんバー」など、他社には真似できない独自の新商品を常に提供し続けています。

その背景には、「人こそ宝」という創業精神が脈々と受け継がれ、「特色経営」と「不易流行」を追求してきた企業風土がある。こう語るのが、アルバイト出身から同社初の女性社長に抜擢され、現在は代表取締役会長CEOを務める中島伸子さんです。

いまから約50年前、女性の社会進出が難儀だった時代の中で、幾度も試練やハンディキャップを克服し、道なき道をひらいてきました。波瀾万丈な仕事と人生の歩みを辿ると共に、経営理念を浸透させ、社員を育成し、チームの心を一つにする秘訣に迫りました。

人間学を学ぶ月刊誌『致知』最新号(2024年6月号特集「希望は失望に終わらず」)のトップインタビュー欄に中島さんの記事が掲載されています。テーマは「人生のハンドルを握り
扉を開けられるのは自分だけ」です。

ご多忙の中、笑顔で取材に応じてくださった理由

4月4日(木)、入社式を終え、期初の慌ただしい最中にも拘らず、三重県津市の本社を訪ねると、中島さんは笑顔で私たちを迎えてくださいました。というのも、中島さんは『致知』の愛読者なのです。

お目にかかると、中島さんは開口一番にこうおっしゃいました。

「私自身、10年ほど『致知』を購読していて、ノウハウや手段ではない人間としての本質の部分がすごく勉強になりますし、感動した言葉やエピソードを社員にも伝えていますので、喜んで取材をお引き受けしました」

さらにこう続けます。

「先ほどお渡しした名刺にも書いてありますが、今年の経営指針は〝先義後利 そして備えよ常に!〟なんですね。これは1月の能登半島地震があったからではなくて、その前からBCP(事業継続計画)の大事さを強調していて、去年の12月に発表しました。

ご存じの通り、先義後利は古代中国の儒者・荀子の言葉で、日本で広めたのは石田梅岩といわれていますけど、社会のことを考えて義のある正しい道を優先して行う。すると利益は後からついてくると。

このように一年ごとにいまの時代を表すキーワードを定めているわけです。『致知』からよい言葉を勉強させてもらうことが多くて、去年は「知行合一」で、その前は「百万の典経 日下の燈」でした。名刺交換をすると、これってどういう意味ですかってよく聞かれるものですから、『致知』の宣伝をしています(笑)」

そこから2時間にわたりインタビューに応じてくださいました。そこで語られた内容を凝縮して誌面8ページ、約12,000字の記事にまとめました。主な小見出しは下記の通りです。

◇ミッションは「おいしい!の笑顔をつくる」
◇いかに社員を育てチームの心を一つにするか
◇「特色経営」と「不易流行」の追求
◇「あずきバー」が年間3億本売れる秘訣
◇20歳の直前に運命を大きく変えた事故
◇「自分だけの〝プラス1〟」父の手紙を心の支えに
◇目を覚まされた3時間の説教
◇仕事の師・浅田剛夫から受けてきた薫陶
◇アルバイトから経営者へ その源泉にあるもの
◇今期の経営メッセージと大切にしている二つの信条

中島さんの取材を通して、アルバイト出身から初の女性経営者となった所以や人間的魅力、同社が時代の風雪に耐え130年近く発展し続けてきた要諦を感じ取ることができました。

絶望のどん底を救ってくれた言葉を支えに

中島さんは23歳の時に、経理事務のアルバイトとして井村屋の福井営業所に入社され、2年後に正社員登用となります。女性が営業職に就くことすらまだ珍しかった時代で、不平等な扱いを受けることもありながら、持ち前の「開き直り精神」「しぶとさ、打たれ強さ」「前向きにチャレンジする姿勢」でどんどん引き上げられ、経営トップに抜擢されました。

原点にあるのは、死者30名、負傷者700名の大惨事となった北陸トンネル列車火災事故に、20歳を迎える2日前に巻き込まれたことです。ご自身は九死に一生を得たものの、たまたま同じボックス席に居合わせた若い母親と3人の男の子の命を助けられなかったことへの後悔、一酸化炭素中毒の後遺症で声が出なくなり、夢だった教師の道を断念せざるを得なかったことへの無念から人生に絶望してしまいます。

3か月の入院生活を終え、退院後も3~4か月は実家で療養しながら何もせずにぶらぶら過ごしていました。ちょうどその時、お父様から届いた手紙にこう書かれていました。

「君は自分の人生をどうするんだ。声が出なくても立派に生きている人はたくさんいる。声が出ないことを気にするんだったら、自分だけの〝プラス1〟を探しなさい。それがあれば必ず人の役に立つ。〝辛い〟という字に一本足せば、〝幸せ〟という字になる。それを忘れずに一所懸命生きていくことが亡くなった人への恩返しであり使命ではないか」

この言葉が何にも代えがたい心の救いとなり、それを支えにして立ち直り、今日まで歩んでこられたといいます。

当時、女性が社会で活躍することは難しかったと思いますが、マイナスの環境の中でいかに希望を見出してこられましたか、と質問した時の中島さんの返答が忘れられません。

「何よりもまずトンネル火災事故を経験したことで、人が生きていること自体が有り難いことであり、尊厳に値すると心の底から思っています。やっぱりあの事故をきっかけに、亡くなった方の分まで働き続けて頑張ることが恩返しになるという思いがずっと根底にありましたし、仕事に貴賤も上下も善し悪しもないっていう考えが染みついていました。

どの仕事も社会に必要だから存在しているのであって、いま自分の立ち位置で一所懸命やる。それが一番大事だと。その上で〝プラス1〟を考えていけば、目の前のことでくよくよしたり、嫌な出来事に直面した時に悩みを抱えなくて済む。そういうマイナスを自分の〝プラス1〟に変えていく方法を見つけていけばいいんじゃないかなって。そのことは常に心懸けてやってきましたね」

取材中、何度も深く頷かされ、時に涙が込み上げてくる、学びと感動に溢れるお話を拝聴することができました。

九死に一生を得る壮絶な体験を乗り越え、アルバイト出身から同社初の女性社長に抜擢された中島さんが語る「逆境の只中でも希望を失わずに生き抜くヒント」とは何か。また、経営理念を浸透させ、社員を育成し、チームの心を一つにし、ヒット商品やロングセラーを生み出す秘訣とは――。ぜひ本誌のインタビュー記事をお読みください。


◇中島伸子(なかじま・のぶこ)
昭和27年新潟県生まれ。50年豊岡女子短期大学教育学部卒業。井村屋製菓(現・井村屋グループ)福井営業所でのアルバイトを経て、53年正社員として入社。経理課長、福井営業所長、北陸支店長、関東支店長、常務取締役総務・人事グループ長、専務取締役などを歴任し、平成31年代表取締役社長に就任。令和5年より現職。

▼『致知』2024年6月号 特集「希望は失望に終わらず」
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