2024年03月14日
トップセールスとして自動車業界を牽引したのち、BMWやダイエーをはじめとした大企業の経営職を歴任。2009年からは横浜市長を3期務め、待機児童数全国ワーストワンからゼロを実現した林 文子氏。職を転々とした20代を経て、31歳の時に車販売に辿り着いた林氏は、いかにしてトップセールスへと上り詰めたのでしょうか。駆け出し時代を振り返っていただき、仕事に打ち込む中で掴んだ営業の究極についてお話しいただきました。
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一つひとつの出逢いに感謝する
〈林〉
ようやく男性と同じ仕事ができる。胸を躍らせる私に割り当てられたのは、飛び込み訪問でした。
もちろん、飛び込み訪問はおろか、営業経験さえありません。思いあぐねて本屋を訪れた時、偶然手に取った営業の指南書には「一日100軒訪問した」と記されていました。そうか、一日100軒回ればいいんだ。本の教えを素直に受け入れ、実践に移していったのです。
朝は誰よりも早く出社し、9時半には鞄と名刺を持って会社を飛び出す。ともかく言葉を交わした際は1軒と数え、100軒に到達するまで一日中歩き回りました。
インターフォン越しに断られても辛いという気持ちは一切ありませんでした。毎日いろんな人に出逢えることが楽しくて仕方がなく、お客様と心が通じ合う瞬間を経験するうちに、この仕事こそが天職だと心底思いました。
ある奥様はクルマを買う気はないと言いつつも自宅に上げてくださり、お茶までご馳走くださったのです。不思議と奥様のことが忘れられず、後日再び訪ねました。
「風邪をひいて、きょうは出て行けないの」。元気のない奥様に接し、何かお役に立ちたいという思いに駆られ、困り事はないか尋ねました。「牛乳を切らしている」と言葉を漏らされるや、「買ってきます!」とご自宅を飛び出す。そうして牛乳パックを買ってお届けすると大層喜んでくださったのです。
この出来事を機に、はっと気がつきました。私は勝手にお客様の家に押しかけている、いわば招かれざる客である。だからこそ単にクルマを売るのではなく、「林さんが来て助かった」と感謝される仕事をしようと思い至りました。
以降はお宅に飛び込み、お客様の御用聞きをするようになりました。庭のお手入れや演劇チケットの手配まで、困り事はすべて請け負う。受け入れてくださるお客様に感謝を抱き、謙虚な気持ちで懸命に尽くしていったのです。
一見遠回りに見える地道な活動ですが、辛抱強く続けていくにつれ、一人ひとりのお客様とのご縁が育まれ、紹介の輪は広がっていきました。自ずと実績にも繋がり、平均的な販売員の実績が概ね年間40台のところ、80台を売り上げることができました。
営業の究極は、お客様のほうから販売員を喜ばせたいと思ってもらえるか否かです。
どんな人に出逢ったとしても、このひと時を気持ちよく過ごし心の底から楽しかったと思っていただきたい。その心掛けで日々過ごすことで、一人のお客様の後ろには10人のお客様がいるように、思いがけない出逢いに結びついていくものです。
一つひとつの出逢いを心に刻み、感謝を持って接することで、後々よい結果が巡ってくることをお客様から教えていただきました。
(本記事は月刊『致知』2024年3月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)
本記事では他にも、「母から学んだ勤勉な生き方」「人生を変えた車販売との邂逅」「目の前のことに一所懸命励む」をはじめ、林さんの若かりし頃を振り返っていただきました。紆余曲折を経て、天職に巡り合った林さんの足跡には、運命を開く要諦が詰まっています。全文は本誌をご覧ください!【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】
◇ 林文子(はやし・ふみこ)
昭和21年東京都生まれ。40年都立青山高等学校卒業後、東洋レーヨン(現・東レ)に入社。52年ホンダの販売店に入社しトップセールスとして活躍。その後平成11年ファーレン東京社長、15年BMW社長、17年ダイエー会長兼CEOなどの経営職を歴任。21年横浜市長に当選し、3期を務め上げた。現在はコーエーテクモ他2社の社外取締役を務める。著書に『会いたい人に会いに行きなさい』(講談社)『一生懸命って素敵なこと』(草思社)など多数。
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