2023年12月09日
2022年12月に日本の海の防衛を担う重職である海上幕僚副長に就任し、2023年7月には初の著書となる『海軍兵学校長の言葉』を上梓した海将の真殿知彦さん。明治から昭和に至る激動の時代に、近代的な海軍建設とその人材育成に心血を注いだ海軍兵学校の歴代校長の言葉や生き方には、いまの私たちが学ぶべき点が多くあると言う真殿さんに、深刻な内憂外患に直面する日本に求められるリーダーの条件を語っていただきました。
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自らの言葉を自ら実践する
〈真殿〉
……たくさんいますけれども、ここでは二人を挙げたいと思います。一人は先に少し触れた、海軍兵学校第三十代校長(1918年~1920年)を務めた鈴木貫太郎です。
鈴木は海軍兵学校の校長になる前、二等巡洋艦「宗谷(そうや)」の艦長をしていた頃に、候補生たちに対し「奉公十則」という言葉を示しているんですね。
「奉公十則」の中で私にとって特に印象的なのは、「窮達(きゅうたつ)を以って節を更(こふ)べからず」と「易き事は人に譲り難き事は自らこれに当たるべし」の二つなのですが、鈴木の生涯を辿ると、まさにその言葉の通り、貧しさや栄達に惑わされず己の信念を貫き、人がやりたがらない困難を選んで生きた人だと感銘を受けました。
例えば、これは第二次世界大戦の末期、戦況が悪化した1945年4月のことですけれども、重臣会議は77歳の鈴木を総理大臣に選び、昭和天皇が組閣の大命を下されます。自分は軍人なので政治は絶対やりませんと一度は固辞(こじ)するのですが、「この国家危急(ききゅう)の重大時期に際して、もう他に人はいない」との昭和天皇のお言葉を受け、遂に鈴木は総理大臣を受諾し、終戦への流れをつくるのです。
〈―─自ら困難を引き受けた。〉
〈真殿〉
海軍兵学校長時代も、第一次世界大戦の終結間もない頃から、既に台頭する二大海軍国、英米に対抗する海軍力を保有する必要性を生徒に訓示していますし、共産主義思想から日本古来の思想を護る必要性も語っています。また武士道教育、歴史教育、徳を育む教育についても充実させました。
自ら発した言葉を自ら実践するというのは、誰にでもできることではありません。その点では鈴木こそ日本海軍最高の人物、リーダーであると私は考えています。
〈―─言ったことを実践する。簡単なようで一番難しいことです。〉
〈真殿〉
それからもう一人は、1942年に校長に就任した井上成美(しげよし)です。この頃の日本では、国粋主義的な教育や敵国の言葉である英語を排除する運動が高まっていました。海軍兵学校の採用科目から英語を廃止する動きも出てくるのですが、井上校長はこれをきっぱり拒否するんです。
また目先の戦争にいかに勝つかという教育が重視される中で、「普通学」の大切さを説き続けました。その真意について井上はこう言っています。
「あと2年もすれば日本が戦争に負けることははっきりしている。その時社会の荒波の中に投げ出されるこの少年たちに、社会人として生きていくための基礎的な素養だけは身につけさせておいてやるのが私たちの責任だ」
〈――時代の先を見据えていた。〉
〈真殿〉
ええ、周囲の反対に屈することなく普通学や英語教育の継続を断行した井上校長の強い信念には感服いたしますし、目先の風潮に惑わされず10年、20年後の姿を見据えた教育を行った見識、先見の明(めい)には、現在の私たちも学ぶべきところが多くあるでしょう。
・ ・ ・ ・ ・ ・
真殿さんのインタビューには
・愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ
・荒れた学校だった当初の海軍兵学校
・どんなリーダーがいるかで人も組織もがらっと変わる
・いま日本に求められる理想のリーダー像
など、時代を切り拓くリーダーシップの要諦が満載です。本記事の詳細・購読はこちら【「致知電子版」でも全文お読みいただけます】
◇真殿知彦(まどの・ともひこ)
昭和41年千葉県生まれ。平成元年防衛大学校を卒業後、海上自衛隊入隊。第2飛行隊長、第1航空隊司令、海上幕僚監部防衛課長、第2航空群司令などを経て、28年海上自衛隊幹部候補生学校長。29年統合幕僚監部防衛計画部副部長、30年横須賀地方総監部幕僚長。令和2年海上自衛隊幹部学校長。4年より海上幕僚副長に就任。著書に『海軍兵学校長の言葉』(三和書籍)。