2023年11月28日
◎今年、仕事でも人生でも絶対に飛躍したいあなたへ――
東京オリンピック・パラリンピックに向けた渋谷の再開発など、数々の大規模プロジェクトを手掛けてきた東急不動産ホールディングス。50年以上にわたって同社に身を置き、現在は会長として社の発展を牽引している金指潔氏に、若い頃から一貫して大切にしてきた仕事に対する心構えについて語っていただきました。
《1月号開始は22日(水)まで》
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生きた組織論を現場で学ぶ
——お若い頃はどんな仕事に携わってこられましたか?
〈金指〉
入社してから実に50年以上の歳月を過ごしてきましたので、いまとなっては化石みたいな話ですが(笑)、最初の5年くらいは不動産屋の本業である不動産仲介の仕事に取り組み、次の5年くらいはプレハブ住宅の開発に勤しんでいました。
ところが、プレハブ住宅は見事に大失敗をして100億円以上の赤字を出してしまったんです。それで入社10年目の昭和52(1977)年に、現在の東急ホームズの前身となる東急住宅販売への出向を命じられました。ある意味では島流しみたいなものです。
以来、平成10(1998)年に52歳で東急不動産の取締役関西副支社長として戻るまで、何と21年間グループ会社で過ごしました。
——21年間も。
〈金指〉
東急住宅販売には300人くらいの社員がいましたが、私の仕事は人員整理で、人から恨みを買って随分辛い思いも味わいました。でも、何とか乗り切り、最終的に対応する職場のなかった技術系の職能を持つ人たちが30人くらい残ったんです。
そうしたら、本社の社長から「おまえは残った社員と一緒に会社をつくれ」と。で、東急ホームビルダーという工務店を設立し、建売住宅の施工を始めました。昭和55(1980)年、34歳の時です。
——突如、30人の社員を抱える立場になったのですね。
〈金指〉
ただ、モノをつくる職人さんは一人もいませんでしたから、東北各県を回って大工さんを集めてきましてね。学校も出ていない、口の利き方もぞんざい、気に入らないことがあればトンカチを投げ飛ばしてくる(笑)。
けれども、モノづくりに対する誇りや繊細さは人一倍強い。そういう職人たちと20年近く一緒に仕事をしてきたわけですが、私はそこでたくさんのことを学びました。
おそらくこの現場経験がなければいまの私はいないでしょうし、私自身の生き方を決定づけたと言っても過言ではありません。
——それほど大きな影響を受けられたと。
〈金指〉
当然のことながら建設現場で一番重宝されるのはモノをつくれる職人さんであり、私のような事務屋は役に立たない。だから、最初は全く相手にしてもらえませんでした。そういう中で、自分は現場で何ができるのか必死に考え、みんなの分の弁当を買い出しに行ったり、寒い日にはドラム缶に火を焚いたりもしました。
すると、次第に彼らが私を受け入れてくれて、いろいろなことを教えてくれるようになったんです。中でも「後工程はお客様」「怪我と弁当はてめえ持ち」という二つの言葉はいまも大切にしています。
——どういう意味ですか?
〈金指〉
一軒の家が建つまでには13~15の職種の職人さんが関わっているのですが、例えば、基礎屋が家の土台となる基礎を平滑に打たなければ、大工が柱や屋根を正確に組み立てられないし、大工がそれをやらなければ、建具屋がドアをつくれない。
このように前の工程の人が自分の仕事をきちっとやり遂げると共に、後の工程の人がやりやすいように環境を整えていくことで、いい家が生まれるんですね。これが「後工程はお客様」ということです。
それから、「怪我と弁当はてめえ持ち」というのは、要するに仕事はすべて自己責任であって、人のせいにしないと。いま振り返ると、こういう「生きた組織論」を学ぶことができたのは幸いでした。
本記事では、東急不動産ホールディングス会長の金指 潔氏に、街づくりに懸ける思い、事業発展の秘訣、リーダーとしての心得について語っていただきました。それらはそのまま後世へのメッセージとして心に響いてきます。
◉『致知』2019年8月号 特集「後世に伝えたいこと」◉
インタビュー〝意志あるところ道はひらく〟
金指 潔(東急不動産ホールディングス会長)
↓インタビュー内容はこちら!
◆終わりは新たな始まり
◆事業の原点は「お客様のため」
◆トップ自らが学び続ける
◆震災復興支援を通じて学んだこと
◆リーダーは志と覚悟
◆生きた組織論を現場で学ぶ
◆「この仕事は自分の天職だ」
◆経営判断の拠り所となるもの
◆運や巡り合わせを引き寄せる秘訣
◇金指 潔(かなざし・きよし)
昭和20年東京都生まれ。43年早稲田大学政治経済学部卒業後、東急不動産入社。52年から平成10年までの21年間、グループ会社に出向する。常務、専務を経て、20年社長に就任。25年ホールディングス体制に移行。27年より現職。