2023年10月16日
コロナ禍の現在も連日予約が絶えない日本料理の名店「賛否両論」。オープンから20年余り、店主の笠原将弘さんはいまも厨房に立ちながら、プロデュースや講演、書籍の出版、ネット動画にも精力的に取り組み、料理に懸ける情熱が止むことはありません。高校卒業後、名料亭「𠮷兆」での修業時代を経て28歳の若さでご両親が残した「とり将」を継ぎ、繁盛店へと導くなど、20代を駆け抜けた氏がいまを生きる若者に伝えたいメッセージとは。
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平等に与えられた時間をどう使うかが人生を決める
〈笠原〉
とり将を繁盛店にすることができたのは、1つの親孝行になったと思います。そして自分の料理にも自信がついた時期に、親父の親友から「君のお父さんはね、息子には銀座とか青山とか激戦区で店をやってほしい、と言っていたんだよ」という話を聞きました。
親父がそう言ってくれるのなら挑戦しようと決意し、2004年、恵比寿に「賛否両論」をオープンしました。32歳の時でした。
𠮷兆での修業時代から常々感じていたのは、日本料理は奥深い一方で、ハードルが高いことでした。自国の料理であるにも拘らず、若い人が気軽に通えない高級店ばかり立ち並ぶ現状に疑問を抱いていたのです。ディズニーランドのように、老若男女問わず楽しめる日本料理店をつくりたい。ワンコース制で価格帯を抑え、その想いを形にしたのが、賛否両論です。
料理人としての「腕」と「舌」はもちろん、内装からユーモア溢れる会話まで、お客さんを心から楽しませる「遊び心」を心掛けたお店づくりが好評を博し、おかげさまでオープン当初から連日満席。2013年には名古屋店を開店し、飲食業界にとって厳しいコロナ禍の現在も連日盛況が続いています。
こう言うと独立後は順風満帆なように思われるかもしれませんが、実は開店から8年目の頃、妻までもがんで失いました。時に憤りを感じながらも、親族に支えられ、仕事に全力投球してきたのです。
だからこそ、僕が20代を生きる方々に伝えたいのは、時間は無限ではない、ということです。大切な人たちの生と死に向き合ってきたからこそ、命の儚さを痛いほど知っています。無駄を省き、効率を求める理由もこの1点に集約されるのです。
平等に与えられた時間をいかに使うか。その意識の有無が人生を決定づけると思います。
いまの時代、やりたいことが見つからないと嘆く人も多いでしょう。アドバイスをするとすれば、とにかく片っ端から挑戦してみることが大切だと思うのです。失敗しても命を取られるわけではありませんし、下手な鉄砲も数打ちゃ当たるように、思いもよらないきっかけが新たな自分自身の発見に繋がるかもしれません。
僕もこれまで、亡き両親と妻を合わせた「4人分」働こうと、お声掛けいただいた仕事は断らずに受けるよう心掛け、とにかく量をこなしてきました。その一つひとつが、血となり肉となって、技術と自信に繋がっていると感じます。
呆然と過ごしていると、人生はあっという間に過ぎ去ります。若いと思って時間を無駄にせず、一瞬一瞬を精いっぱい生き抜いてほしい。そう願うばかりです。
(本記事は月刊『致知』2023年5月号連載「二十代をどう生きるか」より一部抜粋・編集したものです)
◉「突然訪れるチャンスを掴む」「知っているとできるは違う」「楽しいところに人は集まる」等、家族との辛い別れを乗り越えて、料理の道に邁進してきた笠原さんのお話には人生・仕事の要諦が詰まっています。本記事の【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】。
◇ 笠原将弘(かさはら・まさひろ)
昭和47年東京都生まれ。高校卒業後、「正月屋 𠮷兆」で9年間修業し、平成12年実家の焼き鳥屋「とり将」を継ぐ。16年恵比寿に「賛否両論」を開店し、毎月1日で翌月の予約が埋まる人気店に成長させた。25年名古屋に「賛否両論名古屋」を開店。和食給食応援団東日本代表として、子供たちへの食育授業、和食推進活動にも力を注いでいる。著書に『賛否両論 笠原将弘 保存食大事典』(KADOKAWA)『だから僕は、料理をつくる。』(主婦の友社)など多数。