2024年08月11日
酸素ボンベを使わず、世界の8,000メートル峰の山々を6座登頂してきた無酸素登山家・小西浩文氏。28歳という若さでがんを患いながらも決してうろたえず、8,000メートル峰の山々に挑み続けることができたのは何故か。周囲から不可能といわれる目標に臆することなく立ち向かい、乗り越える上で大切な心構えをお話しいただきました。 写真提供=小西浩文氏
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命が最も輝く場所を目指して
〈小西〉
がんと診断された直後、2か月間の入院治療を余儀なくされ、毎日1時間の放射線治療を受けました。しかし、私は手術後翌々日から病室でスクワット等のトレーニングを始めました。他にも都内の高層ビルの階段を往復することで、高度差1,000メートルの登り降りを行うなど、鍛錬を怠ることはありませんでした。
当時の私は極限まで自らの体を追い込んでいたのです。8月の猛暑日でも冬用ジャケットとズボンを着用して鍛錬を重ね、母からは「あの子はおかしい」と言われる始末。実際、体のセンサーがおかしくなっていたのかもしれません。
そして退院後すぐヒマラヤに向かう準備を進めていると、今度はそのがんが首のリンパに転移していることが判明したのです。結果的に31歳までに3回の手術を受け、入退院を繰り返しました。
周囲からは、「やめたほうがいい」と散々言われましたが、それでも山にこだわり続け、この期間に万難を排して8,000メートル峰に3回挑戦し、2座の登頂を果たしたのです。体力・免疫力は目に見えて低下し、登山中は終始体調が優れず、高齢者が多く発症するとされる帯状疱疹に罹るなど、思うように登れない最悪のコンディションが続きました。それでも登頂できたのは、「何としても頂上に行く」という並々ならぬ思いの強さがあったからに他なりません。
私にとって自分の生命が最も光り輝くのは、8,000メートル峰の頂に立つことでした。その輝きを掴むチャンスすら得られず死ぬのは耐え難いものです。「たとえ命を落としてでも、国際線の飛行機が飛ぶ空の高さまで自分の脚で登っていきたい」という信念が、私を頂上まで導いたように思います。
これは何も私が超人的な人間だから成し得たことではありません。誰もが有する〝心〟の力を信じ抜き、腹を括ることができるか否か。その違いが、人生の命運を分ける決め手になると実感しています。
(本記事は『致知』2023年8月号 連載「二十代をどう生きるか」より一部を抜粋・編集したものです)
◉本記事には、「恐怖に打ち克つ」「己の心と体のみで勝負する」「運を強くするために」等、死と隣り合わせの環境下で生き抜いてきた小西さんの足跡には、困難に屈しない「心」と「体」を養うヒントが詰まっています。本記事の【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】。
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◇小西浩文(こにし・ひろふみ)
1962年石川県生まれ。15歳で登山を始め、1997年に日本人最多となる「8000メートル峰6座無酸素登頂」を記録。20代後半から30代前半にかけて3度のがん手術を経験。がん手術の合間に2座の8000メートル峰、ブロード・ピークとガッシャーブルムⅡ峰の無酸素登頂に成功。がん患者による8000メートル峰の無酸素登頂は人類初となる。現在は、経営者向けの講演活動なども続ける。
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