2023年07月05日
酸素ボンベをつけず、体力と精神力を鍛え上げることで8000メートル級の山々を踏破してきた、無酸素登山家の小西浩文氏。幾度も命の危機に遭遇しながらもそれを見事に回避、その体験を通じて独自の危機管理術を会得した小西氏の「心の習慣」に迫ります。 写真提供=小西浩文氏
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最後の最後まで気を緩めてはいけない
〈小西〉1991年、パキスタンのカラコルム山脈にあるブロード・ピークという山に挑んだ時のことです。頂上に辿り着くまでに予想以上の時間が掛かり、7400メートル地点にある最終キャンプに戻る頃にはもう日が沈みかけていました。
頭は酸欠でボーッとしており、鉛のような体を引きずるように前進している自分がいました。心身共に極限状態にあっただけに目の前にキャンプが見えた時は心底ホッとしました。
私がヒドン・クレバス(雪に覆われて見えなくなっている氷河や雪渓の深い割れ目)に転落してしまったのはその直後のことです。
滑り台のような斜面が数メートル続き、そこからいきなり真下へ落ち込むというすり鉢状のクレバスで、たまたま割れ目付近に体が引っかかったことで仲間に救助され、命拾いしました。
クレバスに落ちたのは運が悪かったから、と思う人がいるかもしれません。しかし、この事故は100%私が引き起こしたものでした。登山家にとってトレース(先行する人が雪を踏み固めた足跡)から外れないことは基本中の基本です。ところが、私はゴールを急ぐあまり、近回りをしようとしてクレバスに転落してしまったのです。
「ゴールはもう間近だ」という気の緩みがすべての原因でした。
山にはいくつもの難所があります。最大の難所を越えられずに遭難する登山家もいますが、最大の難所を越えた、それよりもやや難度の低い場所での事故もまた多いのです。最後の最後まで緊張感を維持できるかどうかは登山家にとって不可欠な条件です。
これはビジネスの世界も同じだと思います。取引先に製品を納入したところ、最終チェックを怠ったばかりに返品されたとか、商談がまとまる最終段階で余計なひと言を言ってしまったばかりに不信感を買って契約が反古になってしまった、というのはよく耳にするケースです。
私はいまでも誰かと何かを契約する場合、入金や支払いが済むまで決して気を緩めることがありません。ゴール直前の気の緩みが危機を招くことを、手痛い経験を通して繰り返し学んだからこその習性なのでしょう。
最後まで諦めなければ人生の勝利者になれる
危機に直面し生き残るための習慣について、登山家としての経験を踏まえながら述べてきましたが、登山に加えて私が直面したもう一つの危機が病でした。
28歳の時、甲状腺がんが見つかり、今度はそのがんが首のリンパに転移していることが判明。31歳までに3回の手術を受け、入退院を繰り返しました。病院のベッドでこのまま死んでしまうのは耐えがたいことで、闘病の身であるにも拘らず、この期間中に8000メートル峰に3回挑戦し、うち2座に登頂しました。
山では終始高熱が続き体力もみるみる衰えていくのが分かります。それでも踏破できたのは
「何としても病に打ち勝ちたい」
という一念があったからなのでしょう。8000メートル級の山に登れば、自分が明日死ぬかもしれないという恐怖は不思議となくなります。あるいは山が私の苦しみを忘れさせてくれたのかもしれません。
3度目の手術から25年後の2018年、咽頭部に新たながんが見つかりました。1か月ほど入院し、首を半分ほど切開する大手術を受けましたが、幸いにして完治し「生き残る」ことの意味を深く噛み締めました。
「百折不撓」という今回のテーマを聞いてまず頭に浮かんだのは私の大好きな「百戦百敗」という言葉です。100回戦って100回負けたとしても、101回目には必ず勝利するという決意を表す言葉として、厳しい登山や闘病の時、いつも私を支えてくれました。
チェスの対局の場合、それまでボードを占めていた黒い駒が、最後の最後に白い駒に取って替わられるということがあります。私は人生というものも終生、そうでなくてはいけないと思うのです。
その時大切なのは、たとえ負けを喫したとしても「これ以上無理だ」「自分はダメだ」と落ち込んだり腐ったりするのでなく、負けた原因を冷静に分析しながら改善策を講じて、次の戦いに臨むことです。しかも、それを単なる自己満足で終わらせることなく、第三者に認めてもらえるだけの努力をすることです。
心が常に前を向き、改善をする努力を続けることさえできたら、その人は最後の最後に必ず人生の勝利者になれると私は思っています。私自身、様々な危機の中で自分を奮い立たせて今日まで前進してきました。これから先もそういう気構えで人生を生き抜く覚悟です。
(本記事は『致知』2020年7月号 特集「百折不撓」より一部を抜粋・編集したものです。)
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◇小西浩文(こにし・ひろふみ)
1962年石川県生まれ。15歳で登山を始め、1997年に日本人最多となる「8000メートル峰6座無酸素登頂」を記録。20代後半から30代前半にかけて3度のがん手術を経験。がん手術の合間に2座の8000メートル峰、ブロード・ピークとガッシャーブルムⅡ峰の無酸素登頂に成功。がん患者による8000メートル峰の無酸素登頂は人類初となる。現在は、経営者向けの講演活動なども続ける。
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