【取材手記】〝ラスボス〟小林幸子が語った母との絆——なぜ60年間歌い続けることができたのか

NHK「紅白歌合戦」への出場34回、近年はネット動画を介して若者からも絶大な支持を集め、来年芸能生活60周年を迎える〝ラスボス〟こと歌手・小林幸子さん。月刊『致知』7月号にて、人気連載「二十代をどう生きるか」にご登場いただきました。10歳でのデビューから過酷な芸能界を生き抜いてきた小林さんの体験から来る言葉、若者に向けられたメッセージには、あらゆる年代に通ずる人生訓が詰まっています。今回はその取材秘話を担当編集者が綴ります。

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ご縁に紡がれて

満開に咲いた桜が散るもなお肌寒さの残る4月下旬、取材は小林幸子さんの事務所で行われました。幼い頃からテレビで当たり前のように拝見してきた小林さんへの取材ということもあり、只ならぬ緊張感のもと伺いました。

しかし、そんなこちらの緊張をよそに明るく溌剌とした様子で颯爽と現れ、「硬派で伝統ある雑誌に取材していただけて光栄です」と屈託のない笑みを浮かべる小林さんに接し、一瞬で緊張が解けると共に思わず心を掴まれたのです。なぜ小林さんが長年に亘って人々を魅了し続けるのか。表裏のない気さくなお人柄に触れ、その答えが見えたように感じます。

本企画の始まりは遡ること半年前、弊誌4月号の連載「致知随想」にご登場いただいた元保護司・中澤照子さんとのご縁でした。実は、中澤さんは小林さんの初代マネージャーを務め、デビュー当時の奮闘を共に歩まれていたのです。いまも互いのYoutubeチャンネルでコラボし合い、プライベートでも交流を深めるお二人は、まるで家族のような特別な絆を育んでおられます。

そんな折、小林さんのデビュー当時の壮絶な苦労話を耳にし、ぜひとも人気連載「二十代をどう生きるか」にご登場いただきたいと中澤さんにご相談したところ、快く協力してくださり、この度の取材が実現したのです。

来年に60周年を控える小林さんは、NHK「紅白歌合戦」への33年連続出場を含む計34回出場をはじめ、歌謡界に数多の功績を残してきた一方、近年はネット動画を介して若者からも絶大な支持を集める、誰もが知る国民的歌手です。しかし、10歳のデビューから辛酸を嘗めた15年間の日々はあまり知られていません。波瀾万丈な下積み時代を通じて、小林さんの歌手としての土台、生き方・働き方がいかに養われたのか? 今回は『致知』7月号に掲載されている内容に加え、紙幅の都合上掲載しきれなかったエピソードを交えつつ、ご紹介します。

小林幸子(こばやし・さちこ)
昭和28年新潟県生まれ。39年『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。54年『おもいで酒』が200万枚突破の大ヒットを記録、日本レコード大賞「最優秀歌唱賞」をはじめとする数々の歌唱賞を受賞。同年NHK「紅白歌合戦」初出場。以降34回出場を果たす。舞台、テレビドラマ、声優、バラエティなど多方面で活躍し、来年芸能生活60周年を迎える。著書に『ラスボスの伝言 小林幸子の「幸」を招く20のルール』(小学館)など。
〔 Ⓒ幸子プロモーション〕

一番の反対者であり、一番の協力者であった母の愛

取材の冒頭、来年60周年を迎えるにあたっての心境をお伺いすると、「山あり谷ありの長い年月を過ごしたけれど、この芸能界で経験した一つひとつが私を形づくっています」との回答が印象的でした。

小林さんが歌手になるきっかけは9歳の時、歌好きのお父様が内緒で応募したモノマネ番組でグランドチャンピオンに輝き、昭和を代表する名作曲家・古賀政男さんから直々にスカウトされたことでした。ところが、家庭的なお母様は生き馬の目を抜くような芸能界への進出に猛反対し、親族会議に発展するほどの夫婦喧嘩が勃発してしまいました。そして擦った揉んだの末、小林さんに決定権が委ねられたのです。

取材では、困惑した表情や泳ぐ視線、心の底から想いを吐き出すような語り口まで、9歳の頃の自分自身を宿すかの如く、ご両親とのやり取りをつぶさに表現してくださいました。それはまるで、小林さんの人生の決断の場に居合わせているような感覚に陥るほどでした。小林さんの当時の心境は、ぜひ本誌をお読みいただきたいのですが、ここでは小林さんの選択を受けた直後のお母様の印象的なお話をご紹介します。


 

〈小林〉
「そう……」。私の選択を受け、落胆した様子で言葉を漏らした母ですが、突然勢いよく立ち上がり、タンスから着物を取り出すと、「畳み方を覚えるまでやりなさい」と厳しく指導されました。

「歌手になったら、男も女も、大人も子供も全く関係ない。一人でできることはすべて覚えなさい」

この出来事は数十年経ったいまでも忘れません。我が子を想う母の強い愛情をひしひしと感じたと共に、歌手として生きる難しさと責任を深く噛み締めました。

 


猛反対していたにも拘らず、小林さんの選択をすぐに受け入れ、行動に移したお母様のお話から、母親としての並々ならぬ意志の強さを感じます。誌面ではこの後次のエピソードに移り変わりますが、実は小林さんとお母様とのお話には続きがありました。

小林さんは続けて、お母様のことを「一番の反対者であると同時に、一番の協力者でした」と語られたのです。その真意は小林さんが国民的歌手となって久しい2001年、お母様との最後の思い出に秘められていました。

親孝行を兼ねてご両親を温泉にお連れした際、「お母さん、まだ私が歌手になったこと反対してる?」と尋ねると、「うん、してる」と即答されたそうです。そしてお母様は笑顔を浮かべ、「幸子、これからは自分の幸せだけを考えなさい。夢はいっぱい見せてもらったし、親孝行はもう余るほどしてもらったから」と答えられました。そこで漏らしたひと言がまるで遺言かのように、旅行の数カ月後にお母様は亡くなられました。

お母様は最後まで歌手活動には反対の姿勢を貫いたものの、どんな時でも小林さんの味方であり、誰よりも傍で支え続けてくださった。親と子の深い絆が、小林さんの力の源であることをひしひしと感じます。現に小林さんの佇まい、語り口からはお母様譲りの決して折れない意志の強さが伝わってきました。

二十代の頃の小林幸子さん

歌うことは生きる手段だった

ここで、小林さんの歌に懸ける想いが垣間見えた体験を一部ご紹介します。様々な要因が重なり、僅か15歳で五人家族の家計を支える一家の大黒柱となった小林さん。一所懸命活動するもレコードの売り上げは鳴かず飛ばずであった下積み時代のお話に、「なぜ辞めることなく歌い続けることができたのですか」と聞き返した際のお話です。


 

〈小林〉
………
一所懸命過ごしていましたが、お客様からビールをかけられたり、レコードのキャンペーン活動では目の前で歌詞カードを捨てられるような屈辱を受けることも日常茶飯事でした。20歳を過ぎた頃には、「神様はレコード歌手としての私をもう見放したんだ」と思いたくなる日もありました。それでも決して口に出さず、反骨精神を抱き歌い続けたのです。

なぜ辞めずに歌い続けることができたのか。それは歌が生活であり、生きる手段だったからに他なりません。もちろん、歌が大好きな事実に変わりはありませんでしたが、私が一家を支えなきゃいけないという責任感が、私をステージに立たせていたように感じます

 


家族を支えるという責任――。お母様をはじめとした愛するご家族の存在が、あらゆる艱難辛苦を乗り越え、努力を惜しむことなく歌手の一道に徹する小林さんの生き方に繋がっているのです。

そうした波瀾万丈の小林さんの下積み時代・レコード売り上げ200万枚を超える大ヒットになった『おもいで酒』に至るまでの足跡には、

◉9歳で下した人生の決断
◉恩師・古賀政男氏に学んだこと
◉努力は必ず誰かが見ている
◉思い込みを捨て思いつきを拾う

など、あらゆる困難・逆境に屈せず、自らの運命を切り開くヒントが詰まっています。ぜひ全文を『致知』2023年7月号連載「二十代をどう生きるか」にてご覧ください。


〈致知電子版〉でも全文お読みいただけます

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