〈小説・徳川家康〉が面白くなる!【2】戦に負けて勝負に勝つ:武田信玄に大敗して得たもの

現在、月刊『致知』で連載され、幅広い層から支持を得ている「小説・徳川家康」。2023年2月号(1月1日発刊)で第67回を数える本作の著者・童門冬二さん〈写真右〉は御年95でなお健筆を振るわれています。

家康という人物の何が、そこまで体を突き動かすのか――? 連載開始にあたり、NHKの人気番組「その時歴史は動いた」の司会などで知られる松平定知さん〈写真左〉と語らっていただいていました。

今回は、家康という人物の器量を培った、1572年の三方ヶ原の戦いでの大敗、また主君信長からの無理難題といった多難の時代を読み解いていただきます!
 ※本文は『致知』2016年9月号掲載

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【1】時代を切り開いた男の〝負け続けた〟幼少期

評判を上げた負け戦

〈童門〉
家康は桶狭間の戦いの後、今度はかつての敵であった織田信長と同盟を結びました。そこから海道一の弓取りとして名を上げていくわけですが、その間に何度も痛い目に遭わされたのが、戦国最強と謳われた武田信玄でした。

〈松平〉
中でも大きな転機となったのが、1572年の三方ヶ原の戦いだと思います。冒頭に申し上げた家康の「待つ」という姿勢は、この戦いで信玄に滅茶苦茶な負け方をして学んだと私は思うんです。

あれは信玄がいよいよ上洛を決意して甲府を発ち、浜松城の家康に何の挨拶もなく近くの三方ヶ原を通過しようとした時に起きたんですね。

〈童門〉
家康にしてみれば、人の家に土足で上がってくるような信玄の振る舞いが頭にくるわけですよ。信長からは、手を出したらえらい目に遭うからやり過ごせと言われるけども、飛び出してしまう。

〈松平〉
信玄が三方ヶ原をどんどん登っていくのを見て、家康はしめたと思いました。登り切ったら後は下っていくしかないから、そこを後ろから突けばさしもの武田軍団も壊滅するだろうと。

ところが三方ヶ原を登り切ると、武田軍団が全員こっちを向いて待ち構えていた。たちまち阿鼻叫喚の戦が始まって大敗を喫してしまった。家康は恐怖のあまり糞尿を垂れ流しながら逃げ帰るんですね。

しかし彼が偉いのは、その自分の惨めな姿を後日絵師に描かせて、戒めとして残したんですよね。

〈童門〉
顰像ですね。リメンバー三方ヶ原だと。あの敗戦の痛みを俺も忘れないけど、お前らも忘れるなよと、家臣たちへの研修のテキストにした。それが後の体制を築く一つの礎になったわけですね。

〈松平〉
この戦で彼は、男の度胸とか、男の意地とかいうものは、人生の成功においては何の役にも立たないこと、退くべき時は退くことの大切さを学んだんじゃないかと思うんですね。他の武将と違って、徹底的に待つという姿勢を涵養するきっかけになったのがこの戦いだったのかなと思います。

〈童門〉
家康の名も上がりましたね。同盟相手の信長への信義に厚く、負けることを承知でも武士の意地を貫く。徳川家康という武将は大したもんだと、逆に負け戦が評判を上げることに繋がったわけですよ。

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幾度もの「九死に一生」を経て

〈松平〉
その後家康は、信長から大変辛い難題を押しつけられますね。家康の正室の築山殿と長男の信康が武田のスパイだと讒言されて、二人を殺せと命じられてしまう。その讒言をしたのが、信康に嫁いでいた信長の娘ですよ。

〈童門〉
五徳ですね。

〈松平〉
築山殿は今川義元の姪で、五徳は自分の伯父を殺した信長の娘ですから、ただでさえ諍(いさか)いの多い嫁姑の中でも最悪の間柄でした。その五徳の讒言を信長は聞いてしまうんですね、自分の娘が可愛いから。

それで妻と息子を殺せと命じるほうも命じるほうですけど、家康はそれを承諾してしまう。信康は大変優秀な嫡男でしたから、家康にとっては苦渋の選択だったでしょう。

〈童門〉
信長が信康を殺すように命じたのは、自分の嫡男の信忠より信康のほうが遙かに優秀なのを危惧した、とも言われていますね。

〈松平〉
家康の心の痛みは途轍もないものだったでしょうけれども、三方ヶ原で手痛い敗戦を体験していたからこそ、耐え抜くことができたのかもしれませんね。

その後さらに、本能寺の変という大きな転機を迎えますね。

〈童門〉
あれはビックリしたでしょうね。さすがの家康も予想していなかったと思うんです。

時は1582年に武田家を滅ぼした直後でした。家康はその軍功で、長年望んでいた駿府、駿河、信濃なんかを信長から正式にもらったので、安土城へお礼に行った。気をよくした信長に案内人をつけられて、堺や京都や大坂を見物していた最中でした。

信長の末期における右腕、左腕というのは明智光秀と羽柴秀吉で、あの時に柴田勝家とか丹羽長秀といった古参の忠臣たちは、本社の中枢にいなかった。現代に照らせば、新しいIT社会にはついていけないだろうというんで地方に飛ばされていたんです。

一方の秀吉は農民のネットワークを持っていたし、光秀は浪人出身で各地の事情に通じていて、信長は彼らの情報収集力を買っていたんですね。

〈松平〉
結局、家康の接待で無防備な信長の近くに軍隊を持っていたのは、光秀しかいなかったわけですよね。

信長が死んだという知らせを受けた時、次にやられるのは自分だと家康は察知する。三河への帰路を普通に帰ったのでは、光秀は必ず待ち伏せしているだろうからと、なんと、志摩半島を縦断して伊勢に出て、そこから海路三河に戻りました。その時に逃亡を助けたのが服部半蔵や茶屋四郎次郎と言われています。信長が死んだという情報を得るのも早かったんですね、家康は。

〈童門〉
一番早かったんじゃないですか。 

〈松平〉
そんなふうに、家康という人は九死に一生を得る体験を何回もやっているんですね。


(本記事は月刊『致知』2016年9月号 特集 「恩を知り恩に報いる」より一部を抜粋・編集したものです|写真=2009年11月号 対談時)

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◇童門冬二(どうもん・ふゆじ)
昭和2年東京都生まれ。東京都庁にて広報室長、企画調整局長を歴任後、54年に退職。本格的な作家活動に入る。第43回芥川賞候補。平成11年勲三等瑞宝章を受章。著書は代表作の『小説上杉鷹山』(学陽書房)をはじめ、『人生を励ます太宰治の言葉』『楠木正成』『水戸光圀』(いずれも致知出版社)『歴史に学ぶ成功の本質』(ロングセラーズ)など多数。
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◇松平定知(まつだいら・さだとも)
昭和19年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、44年NHK入局。高知放送局を経て東京アナウンス室勤務。「連想ゲーム」「NHK19時ニュース」「モーニングワイド」「その時歴史が動いた」など看板番組を担当。「NHKスペシャル」は100本以上。平成19年に退局。現在、京都造形芸術大学教授。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』(小学館)などがある。

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