津波で蔵と街を失ったヤマニ醤油(岩手県)前例のない復活劇【後編】

明治元年創業。岩手県の沿岸・陸前高田で先祖代々続いてきたヤマニ醤油の四代目として、社業に邁進する新沼茂幸さん。お得意様のもとを一軒一軒訪ねて会話を重ね、注文や商品への意見を受ける〝御用聞き〟の文化を愚直に貫いてこられました。
しかしそんな新沼さんは東日本大震災で大切な醤油蔵はおろか、津波で街を押し流されてしまいます。他にはない味と伝統をいかに守り、そこから守り通してきたのか。その前例のない復活劇に迫ります。
〈写真中央が新沼さん〉

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「また醤油造るんでしょう?」

〈新沼〉
そこに襲ったのが東日本大震災です。

押し流される町を見て、どれほど頑強でも形あるものは滅びる。一番強いのは目に見えないものだと気づいたのです。

震災翌日、避難所で再会したお得意様から、「また醤油造るんでしょう?」と言っていただき、ヤマニの味を待っている人がいる、とブランドの力を実感。翌日レシピを確認し、その翌日に社員の無事も確認できました。


そして同日、同業者仲間の花巻市の老舗・佐々長醸造さんに避難所の衛星電話で企業連携の打診をしました。

「私も社員も全員無事です。レシピもあります。ヤマニを支援してほしい。いつになるか分かりませんが、いまは母親の介助を最優先したい」

佐々木博社長は二つ返事で快諾してくださいました。

「焦らなくてもいいですよ、待っていますから」

形は変えても暖簾を守る

震災直後は社員の生活の目途も立ちませんから、一刻も早く退職金と失業保険を受け取れるように全員を即日解雇。震災から9日後に緊急入院させた母の看病をしながらも再建への構想を重ね、母の見送りを果たしてから頭を切り替え「第二創業」に向けて本格的に始動しました。

その構想は、ヤマニ醤油が先祖代々築いてきた暖簾を、佐々長醸造さんと、震災を機に解雇した社員が立ち上げる御用聞きの会社(高田営業所)、この製造・販売を担う二社と共に守っていくというものです。


しかし、気候風土が異なる土地でかつての味を取り戻すのは根気を要する仕事でした。お得意様からは「塩辛い」「ダシが薄い」「色が濃い」と厳しい声の連続でしたが、7年目から「味が戻ったね、おいしい」と日々言っていただけるまでになったのです。

家族や地域の味を守るという初心を忘れず、企業文化として「御用聞き」を前例のない企業体に残せたことが奇跡の復活に繋がったと思います。

まだまだ復興は道半ばですが、事業のカタチが大きく変わっても「一寸千貫」、生きる姿勢さえぶれなければ乗り越えていける。これからも変わらずにヤマニらしさを追求し、後世に遺していく覚悟です。


(本記事は月刊『致知』2022年3月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)
 写真右が新沼さん、左は会社を共に支える奥様

◉蔵も街もすべて押し流された新沼さんは、類を見ない事業形態をつくり出すことで伝統の〝ヤマニ〟らしさを守り、お得意様の手厳しい声をいくつも聞いて、震災前の味を取り戻されました。
この奇跡は、前編で紹介したように「一寸千貫」の思い、誠実に仕事や社員、お得意様を大切にして生きる新沼さんの姿勢が引き寄せたものだと思わずにはおれません。
〈前編はこちら

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