2023年09月27日
若きリーダー同士の白熱対談
2012年ロンドンオリンピックで金メダルゼロという結果に終わった日本男子柔道。そのどん底から日本男子柔道を復活へと導いたのが、コロナ禍を挟んで2期9年、全日本男子柔道代表監督を務めた井上康生さんです。
様々な改革に取り組み、2016年リオデジャネイロオリンピックでは、全7階級でメダル獲得の快挙を成し遂げ、昨年の東京オリンピックでも史上最多となる5個の金メダルに輝きました。
2015年のラグビーワールドカップで世界の強豪・南アフリカを打ち破り、「ブライトンの奇跡」として世界中を沸かせた日本代表チーム。その中心メンバー(バイスキャプテン)として活躍したのが五郎丸歩さんです。
独特のルーティン「五郎丸ポーズ」でも多くのファンを魅了しました。2021年の現役引退後は、監督やコーチではなく、全く未知の世界に飛び込み、ビジネスマンとしてラグビーの普及に尽力されています。
そんな柔道界、ラグビー界を若き情熱で牽引してきた二人のリーダーの貴重な対談が月刊『致知』2022年8月号「覚悟を決める」で実現。お二人の出会いから、それぞれの活動の原点となった出来事、直面した逆境や困難、人生を開く要諦に至るまで、一歩前に踏み出す勇気と希望が漲ってくる白熱の対談となっています。
好きこそ物の上手なれ
かねてお二人には親交があるという情報を得て、対談の依頼をしたのは2021年11月。それから日程調整を続け、約半年後の2022年6月、対談は都内のホテルニューオータニにて実現。お二人とも身長は180センチを超え、鍛え上げた体格も現役時代とほとんど変わらず、お会いした瞬間からその迫力ある佇まいと存在感、身に纏うオーラに圧倒されました。
とにかく格好いい。やはり、過酷な鍛錬で己の心身を鍛え上げ、厳しい勝負の世界で実績をつくってきた人間には、自ずとそうした〝戦う人〟ならではの迫力が備わってくるのだと身を以て実感しました。
そして実際の対談では、和気藹々とした雰囲気の中にも、お二人ならではの真剣さ、緊張感が漲り、体験に裏付けられた一つひとつの言葉が重みをもってずしりと響き、終始、気づきと感動の連続でした。なぜ井上さんと五郎丸さんは厳しい勝負の世界で結果を出し続けることができたのか、取材を通じてその理由がよく理解できました。
ここではお二人に学んだ人生の要諦を3つ挙げたいと思います。
一つには、「もっと強くなりたい」「もっとうまくなりたい」という主体性と内発性を持ち、自らの意志で誰にも負けない努力と創意工夫を積み重ねることの大切さです。例えば、井上さんは、柔道に打ち込んでいったいきさつを次のように語っています。
〈井上〉
本当に柔道が好きで好きでしようがなく、徐々に実力をつけていく中で、「俺は柔道のために生まれてきた」とさえ思っていました。とにかく子供の頃から、柔道が強くなりたい、自分は強くなれるということを強烈に信じていましたから、非常に厳しい父でしたけれども、「強くなるために何でも耐えるから遠慮せず厳しく指導してくれ」とお願いしたのです。
すると、次の日から本気で鍛えてくれるようになったのですが、とてつもない厳しい指導に「お願いしたのは失敗だったな」と、子供ながらに後悔しました(笑)。
それでも、練習を無理矢理やらされているという感覚、柔道が嫌になることはほとんどありませんでした。柔道が異常に好きで、自分から取り組んでいく。そのような形で柔道の世界に入っていったことが、私の人生にとってすごく幸せなことだったと思います。
とにかく柔道が好きでしようがない、その好きな柔道が強くなるためなら、どんな苦しいことにでも耐えられる――。「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、井上さんのお話から、まず自分が夢中になって取り組める好きなことを見つけること、そしてそれに対して自らの意志で一心不乱に打ち込んでいくことの大切さを教えられました。
「誰かのために」努力する
二つには、自分のためではなく、「誰かのために」という思いで柔道、ラグビーの一道を歩んでいったということです。ただ、自分だけが勝てばいい、強くなればいいという動機ではなく、両親や指導者など恩を受けた方々のため、チームの仲間のために自分はもっと強くならなければいけないし、負けられない。そういう思いを原動力に自らを厳しく律して努力を重ねていったからこそ、お二人は優れた結果を出し続けてこられたのです。
そのことがよく分かるのが、五郎丸さんの学生時代のエピソードです。
〈五郎丸〉
(ラグビーを一緒に始めた一つ上の)兄の高校最後となる冬の全国大会で、私は大きな挫折を体験しました。雨の中の試合でしたけれども、私の一つのミスがきっかけとなって東福岡高校に大敗してしまったんですよ。涙を流しながらプレーしている兄に気づいた時は、脳天を金槌で思い切り殴られたような衝撃でした。
以来、私は自分のラグビー人生を切り開いてくれた兄を、顔に泥を塗る形で部から追い出してしまったという悔しさ、いろんな人に迷惑をかけてしまった、皆に少しでも何か返せればという思いを胸にがむしゃらにラグビーに打ち込んでいったように思います。
高校卒業後は早稲田大学に進んで、全国優勝も経験したのですが、どんなによい結果が出ても、正直に喜べない、「あの日の試合があったよな」っていう思いをずっと引きずったまま生きてきた感じです。
決して天狗になることはなかったですし、むしろ「まだまだ」という思いが常にありましたね。その思いはいまも変わりません。
自分のミスがきっかけで、兄の花道を飾る大事な試合に大敗してしまった。その悔しさ、申し訳なさ、迷惑をかけた人たちに少しでも恩返ししたいという思いをずっと胸に抱き、「自分はまだまだだ」とラグビーにがむしゃらに向き合っていった。誰しも同じような体験をしたことがあると思いますが、それをずっと忘れず、自らの原動力にしていったところに五郎丸さんの素晴らしさとその後の成長と活躍があったことは間違いありません。
井上さんも、ご自身を誰よりも応援してくれていた最愛のお母様を亡くされ、そこから自らを見つめ直し、多くの方に支えられながら、オリンピックの金メダルを掴まれました。「誰かのために」という思いが持つ力の大きさを教えられます。
徹底して自分を信じる
そして三つには、お二人とも徹底的に「自分を信じ、自分が進むべき道は自分で決断してきた」ということです。「誰かに言われたから」「皆がそうしているから」ではなく、最終的には、自分が進むべき道は自分で決めて、成功も失敗も、すべてを自分の決断の結果として受け入れ、前に進む原動力にしてきたのです。どれだけ自分を信じ、覚悟を決められるかが自らの運命を創る――お二人のこれまでの歩みと発せられる言葉は、そのことを説得力を持って私たちに訴えてきます。
お二人は対談の最後にこうおっしゃっています。
「最後は自分で覚悟を決めて、自分を信じて、自分の道は自分自身で決断していくことが充実した人生に繋がっていく」――五郎丸歩
「覚悟を決めて自分を信じる、自分の信念を持った上でどう生きるか、それがすべてではないかと思います」――井上康生
本対談には、「自分の道は自分で決める」「逆境を乗り越えるための発想」「指導者に求められるのは『熱意・誠意・創意』」「覚悟を決めるとは自分を信じること」など、井上さんと五郎丸さんが語り合う、人生・仕事の極意が満載です。あなたの覚悟を決める教えと言葉に出会える本対談。全文は、月刊『致知』2022年8月号「覚悟を決める」をご覧ください。詳細・ご購読はこちら
◇井上康生(いのうえ・こうせい)
昭和53年宮崎県生まれ。父親の影響で5歳から柔道を始める。平成9年東海大学入学。11年バーミンガム世界選手権大会100キロ級優勝を皮切りに、12年シドニーオリンピック柔道100キロ級金メダル、13年全日本選手権大会100キロ級で優勝し、22歳にして3冠王者に輝く。同年東海大学卒業。東海大学大学院体育学研究学科体育学専攻修士課程修了後、綜合警備保障入社。20年現役引退。24年11月より史上最年少で全日本柔道男子代表監督に就任。28年リオデジャネイロオリンピック、男子7階級でメダル獲得。令和3年東京オリンピックでは史上最多5個の金メダルに導き、9月末で監督を退任。現在はJOCパリ五輪対策プロジェクトリーダー、全日本柔道連盟の強化委員会副委員長などを務める。
◇五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
昭和61年福岡県生まれ。両親の影響で3歳からラグビーを始める。平成13年佐賀工業高校入学、3年連続で花園に出場。16年佐賀工業高校卒業。同年早稲田大学入学。1年次よりレギュラーとして活躍し、3度の日本一を経験。17年、19歳1か月で日本代表初選出。20年早稲田大学卒業。同年トップリーグ所属のヤマハ発動機ジュビロ入団。23年、24年と2年連続でシーズンの得点王&ベストキッカー受賞。27年ラグビーW杯イングランド大会で強豪・南アフリカを破る中心選手として活躍。28年仏RCトゥーロン所属。29年ヤマハ発動機ジュビロ復帰。令和2年12月現役引退。3年に静岡ブルーレヴズに入社、クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)を務める。
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