2021年、全国大会二冠。星稜中学流「運と徳」を味方にするチームづくり

2021年、石川県代表として全国大会二冠を成し遂げた星稜(せいりょう)中学野球部。予選から全日本少年軟式野球大会まで、単純計算で18連勝しなければ座ることのできない王座に5度もチームを導いたのが、田中辰治監督(現・星稜高校野球部監督)です。

2001年から長くチームを率いた田中監督ですが、就任当初は周囲の期待が薄く、結果も出ない中で胃潰瘍を患い辞任を決意したほどだったそうです。果たしてそこから、どのように立ち上がり、強いチームをつくり上げてきたのか――。「運と徳」を引き寄せるチームづくりに迫ります。

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人生の目標は野球のレギュラーではない

〈田中〉
野球という教科書を使って人生勉強する――恩師である山下智茂先生(星稜高等学校野球部名誉監督)から教わった言葉です。

生徒にとって野球のレギュラーになることが人生の目標ではありません。野球を通してチームワークや思いやり、素直さ、謙虚さ、誠実さといった人間性を鍛錬し、その人間力を以て今後の人生のレギュラーになってほしい。

星稜中学校野球部監督として20年目(掲載当時)を迎えるいま、そういう思いで指導に当たっています。

私たちは石川県予選、北信越ブロック予選、全日本少年軟式野球大会を18連勝して初めて、日本一の栄冠を掴めるわけですが、これまで史上最多7度、私が監督に就任してからは4度の全国制覇を果たすことができました。

だからといって、「これでいい」と満足できる時間はなく、一難去ったらまた一難。目の前の課題に立ち向かう日々です。

「花よりも花を咲かせる土になれ」

そもそも指導者になろうと思ったのは、選手時代に山下先生の後ろ姿に憧れたからであり、山下先生との出逢いが私の人生を変えたと言っても過言ではありません。

星稜中学校野球部に入部し、1年生の時から試合に出場していたにも拘(かかわ)らず、2年次に椎間板ヘルニアを患(わずら)い、選手としての道を断たれてしまいました。高校で部活を続けることはできないと諦めていたものの、

「レギュラーになることがすべてじゃない。山下先生に頼んで裏方として入れてもらったらどうか。おまえの人生に必ず役に立つ」

という父親の言葉に背中を押されてお願いに伺うと、快く受け入れてくださったのです。

山下先生は生徒の人間力を育むことを主眼に置いた指導法で、県外から優秀な選手を集めることなく、就任時全くの無名だった星稜高校野球部を僅か5年で甲子園初出場に導き、常連校へと押し上げた名将です。

「花よりも花を咲かせる土になれ」

という座右銘の通り、決して威張らず謙虚で誠実に私たちと向き合ってくださる山下先生に惚れ込むと共に、その山下先生が野球に集中できる環境をつくろうと、マネジャーとして山下先生が求めるところを先読みし、食事や洗濯などあらゆる面でサポートに徹しました。3年次に夏の甲子園で準優勝できたことは私にとって大きな財産です。

大学の4年間は星稜高校野球部のコーチとして携わり、2001年、24歳の時に校長先生や山下先生から声を掛けていただき、星稜中学校野球部監督に就任しました。

1年目から全国大会に出場したものの、当初は批判の嵐。前監督を慕う選手や保護者が多く、突然やってきた素人同然の若造のことが気に入らなかったのでしょう。「あいつの指導じゃ勝てない」「もう星稜もダメだな」と陰口を叩かれ、悶々としていました。

そのプレッシャーもあったのか、2年目に胃潰瘍で半年ほど入院したことがあります。

これ以上迷惑はかけられない。そう思い、退院後に辞表を持って学校へ出向いた際、校長先生も山下先生も「私が必ず守るから最後までやり遂げ、田中辰治(たつはる)という人間を見てもらえ」と慈愛に満ちた言葉を掛けてくださったのです。

初の全国優勝を引き寄せたもの

どこまでできるか分からないけれども、期待に応えるべく精いっぱいやってみよう。自らにそう誓い、次の日から毎朝5時半に練習場へと足を運び、一人黙々とグラウンド整備や草取り、部室の掃除、近隣のゴミ拾いを始めました。

するとどうでしょう。その姿を見た生徒が一人、二人と手伝ってくれるようになり、近隣の方からも「監督、倒れんといてよ」という励ましの声や差し入れが届き、そっぽを向いていた保護者も、「田中先生は生徒たちのために一所懸命やってくれている。

皆で監督を男にしないか」と保護者会長の方が音頭を取ってくださったことで、協力者へと変わっていったのです。

初めて日本一を手にしたのは7年目、2007年のこと。実はその前年のメンバーが戦力的には最も強く、私自身も全国制覇を意識していました。

ところが、北信越大会の決勝戦に1対0で負けてしまったのです。自らの指導力不足に苛立(いらだ)ちを隠し切れませんでしたが、「ここで自棄(やけ)にやったらダメだぞ」という山下先生の言葉に心を救われ、悔しさを踏み台にして頂点まで駆け上がることができました。

いま振り返ると、2006年のチームは技術レベルこそ高かったものの、目に見えないところが本物ではなかったのかもしれません。

試合で勝つためには技術はもちろん、集中力が不可欠だと思っています。その集中力を鍛えるには練習以外の時間が重要です。

生徒にはよく、「真剣に授業を聴く」「自然とゴミを拾う」「お盆や正月などにはお墓参りに行って、ご先祖様に手を合わせる」「道具や物を大切に扱う」「率先して人のために尽くす」、そういった日頃の人間性が必ず野球に比例すると伝えています。

どれだけ野球がうまくても、授業態度の悪い者に神様は振り向きません。下手でも真面目にコツコツと努力し続ける者に、最後は運が巡ってくるのです。

ゆえに、試合で逆転のチャンスが巡ってくると、下手だけど練習も勉強も一所懸命に取り組んでいる生徒を代打に送ります。するとフォアボールをもらったりヒットを打ったりするのですから、不思議なものです。

僅差(きんさ)の勝負を決するのは、日常生活の中でどれだけ徳を積み、目に見えない大自然の力を味方につけるか。そのことを胸に、これからも人間力を磨いていきたいと思います。


(本記事は月刊『致知』2019年5月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

◉〝人間性も野球も日本一〟を目指し、見事強豪チームをつくり上げた田中監督。日本一を手にする選手、チームはどうやってつくられているのか?
2022年6月号では、実に34年ぶりに大学日本一の栄冠を手にした慶応義塾体育会野球部の堀井哲也監督と、その極意を縦横に語り合っていただきました!

▲『致知』2022年6月号 対談「青少年に人間学をどう伝承するか ~日本一の秘訣は〝木鶏会〟にあり~」

◇田中辰治(たなか・たつはる)
昭和52年石川県生まれ。星稜中学では1年次から活躍するも、怪我により星稜高校ではマネジャー兼三塁コーチャーとして、夏の甲子園準優勝を経験。大学に通いながら星稜高校のコーチを務めた後、平成13年に星稜中の監督に就任。令和3年全日本少年軟式野球大会にて5年ぶり4度目の中学日本一に。その翌月に行われた全日本少年春季軟式野球大会でも優勝し、2冠の偉業を成し遂げた。監督就任以来、史上最多6度の日本一に導いた。著書に『人間性も野球も〝日本一〟』(ベースボール・マガジン社)がある。

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