2022年02月04日
国際的な学力テストで、かつて世界トップクラスだった日本の子供の読解力の順位が、過去最低の15位に沈んでいます。(「PISA2018」の結果より)読解力、すなわち国語力の低下は、国力の低下にも直結すると、警鐘を鳴らしてこられた齋藤孝先生。こうした喫緊の問題に直面する中で齋藤先生のこれまでの知見を踏まえ、「理想の国語教科書」を通じて国語力の大切さを訴え、死中に活を得ていただきたい、という強い願いのもと、『齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版』が完成しました。齋藤先生が本書の出版に込めた思いや、国語教育の重要性などについて語っていただいたインタビュー記事を特別にご紹介します。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください
国語力の低下は国を地盤沈下させる
私はこの度、致知出版社から『齋藤孝の小学国語教科書』を上梓することになりました。戦後に失われた音読という尊い習慣に光を当てるなど、私はこれまで30年近くにわたり独自の視点で教育・文化の再興に微力を尽くしてきました。この度本書を上梓するのは、コロナ禍という厳しい試練に直面する社会に、自分のこれまでの知見を踏まえた理想の国語教科書を通じて国語力というものの大切さを訴え、死中に活を見出す手がかりを得ていただきたいという願いがあるからです。
人が死中に放り込まれた時、まず何をすべきかといえば、足下を見つめることです。見つめるべき足下とは何でしょうか。それは「知・情・意・体」、すなわち知性、感情、意志、体であり、この四つのバランスが取れた人間になることで足下をしっかり固めることができます。そしてそういう人が増えることによって、国の足下も盤石になっていくのです。そのために必要なのが、国語教育だと私は考えます。
以前対談したお茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦先生が、ご専門は数学であるにも拘らず「一に国語、二に国語、三四がなくて、五に算数」とおっしゃっていたのが、いまも強く印象に残っています。藤原先生はこの言葉を通じて、人間のすべての基盤が言葉にあることを示唆されています。ヘレン・ケラーの自伝を読むと、目が見えず、耳も聞こえず、そのため話すこともできなかった彼女が、恩師・サリバン先生の献身的な導きで言葉を獲得したことにより、闇の底に光が射すように世界が開けていく様子が感動的に綴られています。
このことからも、言葉をしっかりと理解し、自分の中にきちんと収め、そして活用していく国語力を養うことは極めて重要であり、未来を担う子供たちがしっかりした国語力を身につけることが、何より日本という国のベースになることが明らかです。ところが近年、日本の子供の国語力は低下し続けています。OECD(経済協力開発機構)の国際的な学習到達度調査「PISA2018」では、かつて世界トップクラスだった日本の子供の読解力の順位が、過去最低の15位に沈んでいます。
これに比例して、世界における日本の存在感も低下し続けているように思えてなりません。読解力とは、いま自分が直面している事態を的確に把握し、それが意味するものを汲み取る力です。したがって、政治やビジネスの現場に読解力の乏しい人がいくら集まっても、お互いの意図を十分理解することができないためコミュニケーションの質は高まらず、何ら発展的な成果を上げることもできません。死中に活を見出すことなど到底かなわないでしょう。
我が国にとって自然災害は大きな脅威ですが、日本人の国語力の低下はそれに比肩する極めて深刻な脅威であり、国を地盤沈下させる重大な要因となります。このままいまの状況を放置すれば、日本列島がずぶずぶと底なし沼に沈んでいくことになると、私は強く懸念しているのです。
子供の可能性を信じよう
『齋藤孝の小学国語教科書』には、既にお馴染みの夏目漱石や芥川龍之介、ゲーテやシェイクスピアなど国内外の文豪の名作ばかりでなく、『源氏物語』や『徒然草』など古典の名作から、宮沢賢治や金子みすゞなどの詩歌、杜甫の『春望』などの漢詩、坂本龍馬が姉に綴った手紙、さらには松任谷由実、中島みゆき、米津玄師、宮本浩次(エレファントカシマシ)など、現代人の心を捉えるヒット曲の歌詞まで網羅しています。私が最高だと思う作品を厳選し、余すところなく掲載しているのです。
手に取られた方は、その分厚さに驚かれ、子供には難しいのではないかと感じられる方があるかもしれません。
しかしこれまでの教科書は、子供が難しく感じないようにという、大人の一方的な配慮によって、古典などの硬い読み物が少なくなり、知性の精度が下がり、それに伴い子供の国語力がどんどん低下してしまっています。私たちは、もっと子供たちの可能性を信じるべきではないでしょうか。国語教科書には、子供たちに文章に親しむきっかけを与えるために、易しさ、親しみやすさという要素ももちろん必要です。しかしその一方で、最高の知性による最高の日本語に触れる機会を与えることも大切だと思うのです。
この分厚く難しい『小学国語教科書』を小学校の六年間で読み切ったという体験は、必ずやその後の人生を歩んでいく自信となり、支えとなる。それがひいては、日本がこの死中に活を見出す力になると私は考えるのです。
(本記事は月刊『致知』2021年12月号 特集「死中活あり」より一部を抜粋・編集したものです)
◇齋藤 孝(さいとう・たかし)
昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』『楽しみながら日本人の教養が身につく速音読』(いずれも致知出版社)など著書多数 。