全盲ろうにして初の東大教授となった、福島智さんを育てた母の覚悟

3歳で右目を、9歳で左目を失明。14歳で右耳を、18歳で遂に左耳の聴力までを失う――。想像しただけでも苦しくなるような暗闇から、「指点字」なるコミュニケーションを駆使して歩き出し、全盲ろう者として世界で初めて大学の常勤講師となった福島智さん。闇に光をもたらしたのは、その「指点字」を考案した母・令子さんでした。親子二人の貴重な対談は、生きることに誠を尽くす大切さを感動とともに教えてくれます。※内容は掲載当時のものです

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9歳まで、見える世界に置いていただいたのだ

――お二人が障害とどう向き合ってこられたか、順番に振り返っていただけますか。

〈福島令子(以下、令子)〉
最初に3歳で右目がやられたんですけど、すごいショックでね。もう1歳の時から兆候が表れて、毎日おんぶしてお医者さんに通って、入院もしたんですけど全然よくならない。そういうことを繰り返しているうちに、外来の若い医者が突然に、

「お母さん、いくら高価な薬を使っても枯れた木には花は咲きませんよ。智君の右目はもう見えないと思います」

とおっしゃったんです。もうびっくりして、家に帰ってすぐに冷蔵庫のイチゴで実験したんです。

智の一番好きなイチゴをお皿に盛って、冷蔵庫の一番上の棚に入れて、最初は智に両方の目で見せたんですよ。扉を開けて、「智、イチゴはどこにある?」って聞いたら、「一番上にあるよ」って言う。今度はいいほうの目に眼帯をして、イチゴを下の棚に移して、「智、今度イチゴはどこにある?」って聞いたら、「同じところにあるよ」って言ったの。それで、あぁ本当に見えへんようになったんやってハッキリ分かったんです。

でもその時に智は、何も見えないと言ったら私が悲しむから、同じところにあると言って見えるふりをしたのね。その言葉に私はまた胸を打たれたんです。こんな3歳の子がと……。

〈福島智(以下、智)〉
博士論文を制作する関係で、私の研究室に送ってもらった母の日記を調べたら、あれは昭和41年の5月でした。細かいことは覚えていないけれど、イチゴの赤い色と、母親がショックを受けたような、何とも言えない表情をしていたのを覚えています。声が上ずって、感情的に大きなショックを受けたらしいことを感じたから、記憶に残っているのでしょうね。

でも、母を悲しませないために幼い私が見えるふりをしたとは思えませんね。単に、何でもいいからイチゴが食べたかったんじゃないでしょうか(笑)。

その次の記憶は4歳の時ですね。見えなくなった右目の炎症が酷くなってきて、医者からもう目を取ったほうがいいと言われて入院したんです。

〈令子〉
交感性眼炎といって、目の炎症だけれども、それがいいほうの目にうつることがあるからできるだけ早く取りなさいと、右目が見えなくなった後に言われたんです。私はそんな残酷なこととてもできんと思って、1年間悩んだんですよ。でも結局、4歳で右目を摘出するために入院したんです。

〈智〉
その頃、私は母に「心臓が止まったら、死んでしまうんか?」みたいなことを聞いたようです。少し前にしんちゃんという近所の友達が電車にはねられて亡くなったので、そのショックもあったと思うんです。4歳の自分がそう言ったというのを母親の日記で見つけた時に、何とも言えない複雑な気持ちになりました。

――その後、残された左目からも徐々に光が失われていった……。

〈令子〉
それはもう本当に苦しかったですよ。真綿でギューッと絞めつけられるみたいに、少しずつ少しずつ悪くなって。お医者さんから「炎症が出ましたね」なんて言われる度に、もう食べ物が喉を通らなくなるんです。

〈智〉
それはそうやろうな。母にとって私は、最初は普通の赤ん坊だったわけですから。

〈令子〉
結局9歳で左目も見えなくなったんですが、それまでに少しずつ悪くなってきたことで、慣れさせてもらったんやなぁとも思っています。

智を連れて眼科に通ったことで、いろんな目の病気があることを知りました。お友達の中には、生まれたばかりの時に目の底にがんが見つかった子もいました。すぐに目を取ったんですけど、お母さんが卒倒して、えらいことになったらしいです。

急激な病で待ったなしに失明される方も多い中、智は9歳まで見える世界に置いていただいたんや、と神様に感謝しました。


(本記事は月刊『致知』2015年9月号 特集「百術は一誠に如かず」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇福島令子(ふくしま・れいこ)
昭和8年静岡県生まれ。16年に中国・青島に渡り、終戦の前年に帰国。病気療養のため高校を2年で中退し、その後、福知山文化服装学院に入学。洋裁の初級教員免許を取得。37年三男の智氏を出産。智氏の闘病生活を支える日々が始まる。平成8年智氏とともに吉川英治文化賞受賞。著書に『さとしわかるか』(朝日新聞出版)がある。

◇福島 智(ふくしま・さとし)
昭和37年兵庫県生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。58年東京都立大学(現・首都大学東京)に合格し、盲ろう者として初の大学進学。金沢大学助教授などを経て、平成20年より東京大学教授。盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初。社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。著書に『盲ろう者として生きて』(明石書店)『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)などがある。

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