2021年10月29日
福島県内トップ(※)の障碍者雇用率を誇るクラロン。いまは亡き創業者である田中善六さんは、生前、ある「誓い」をメモに残していました。その思いが妻の須美子さんへと受け継がれ、事業の道標となっていったのです。※情報は掲載当時のものです
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誰もが生涯現役
――この度は、社会貢献支援財団による社会貢献者表彰式(2017年11月27日開催)での受賞、おめでとうございます。
〈田中〉
ありがとうございます。でもこれは私の力でいただいたのではなく、外部の方々の助けや、会社を支えてくれている従業員皆のおかげさまなんです。
というのも、いまは亡き主人・田中善六が経営していた頃から主人は神様で、私はどこまでも主従の「従」のほうに徹していきたいと思っていたんですね。ところが16年前に主人が亡くなって、一挙に前に出された時には、果たして私でやってゆけるかしらってことを一番に思っていました。
だから私がいまこうしてあるのは、主人の七光りだと思ってきました。主人のおかげで世に出させてもらって、多くの方々が会社を支えてくださっている。だからもう感謝感謝ですね。
――会社のほうは今年(2018年)で創業63年を迎えると伺いました。
〈田中〉
ええ。創業は昭和31年で、当初は肌着製造を行っていましたが、39年の東京オリンピックの時に、これからはスポーツの時代だと主人が判断して、スポーツウエアの製造販売に切り替えて今日に至ります。
現在、社員は135名おりまして、そのうちに重度を含めた障碍の子供が36名。女性が100名、それから60歳以上が22名。一応定年は60歳にしてあるんですけど、その後の5年間はそれにこだわらないで働きなさいと。65歳を過ぎたら、自分が働きたいという時には一年ごとの更新で、何年いてもいいってことになっているんです。
――誰もが生涯現役で働くことができるというわけですね。
〈田中〉
私はよく言うんですね、死ぬまでいなさいって。以前、うちで葬式を出した従業員もいましてね。その方は78歳でしたけど、明治生まれで56歳の時に入ってこられて、身寄りがなかったものですから、うちで葬儀をしてあげたんですよ。
――そういった姿勢が、会社発展の礎になっているのでしょうね。
〈田中〉
おかげさまで、私が社長になってからの15年間、赤字は出していませんし、主人の代から借り入れは一切ありません。それというのも、皆が守ってくれているんだと思うんです。会社のことを皆が思ってくれている。こうやって私がこの年までやっていけているのも従業員のおかげなんです。
だからこれもいつも言うんですけど、東西南北、どの方向にも足を向けて寝られない。だから立ってもう寝るしかないって(笑)。
「笑顔を絶やすな あいさつはしたか」
〈田中〉
おそらく主人は大変な思いをしたこともあると思うんですけど、私はいつものんびりしていました(笑)。だって私は主人と一緒にいさえすればそれで楽しいから、傍から見れば辛(つら)いことでも、辛いなんてこと全然思わなかった。
とにかく主人と話しているとすごく楽しいんですよ。いつも夜の11時、12時まで喋っている。だから寝るのが惜しいくらい。ただし、主人が言うには、夜には会社の話はするなって。なぜっていったら、寝る前に会社のことをあれこれ話しても、すぐに行動できないから、そういうことは朝に話そうって言うんです。
いまは私一人になって、会社のことは夜にしか考えられないんですよ。朝は忙しくて、とても考える暇がない。その分、夜になかなか眠れなくて、いまはそれが苦痛ですね。
──ご主人亡き後、何か指針にされていることはありますか。
〈田中〉
主人が亡くなった後に、机の中を整理していた際に、メモ紙が出てきたんですよ。
よく見ると、いつも主人が生前に口にしていた言葉でした。
「笑顔を絶やすな
あいさつはしたか
感謝はしたか
油断はないか
満足の一日だったか」
その時に私は思ったんです。あ、これは今後私が生きる道の一つにしようって。それと、これとは別によく言っていた言葉に、「人は一人では生きていけない。皆の助けを借りなくちゃならない。だから人に優しくしてあげなさい」というのがありました。
だから障碍を持った子にはなおさらで、弱者に対して強くなってはいけない。強い人には強くなりなさいとも言っていましたね。
──冒頭、ご主人のことを神様だとおっしゃっていましたね。
〈田中〉
ええ。とにかく主人は慈悲深い人で、困っている人を助けることだとか、人の幸せを願うということに関しては、本当に神様のような存在でした。それだけに相談事が引っ切りなしで、
とにかく自分ができるできないにかかわらず、必ず応えてあげていたんですよ。
やはりその根底には、人を嫌いにならないというのがあって、それは私も真似しています。お付き合いを広げていくと、中には嫌いな人なんかもあるわけでしょう。でも、私はそうなるまいと思っています。昔は心の狭い人間でしたので、主人のように心の広い人間になろうという思いは常に心の中にありましたね。
(本記事は月刊『致知』2018年2月号 連載「生涯現役」より一部を抜粋・再編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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◇田中須美子(たなか・すみこ)
大正14年福島県生まれ。九里学園女子高等学校(現・米沢女子高等学校)卒業。昭和22年田中善六と結婚。31年夫とともにクラロンを設立。平成14年社長に就任。26年会長。