背丈を越えるボツ原稿を書き続けた10年間——作家・北方謙三を支えた父の言葉

ハードボイルド小説界の巨匠でありながら、『三国志』『水滸伝』等歴史大作も手掛けるなど多方面で活躍してきた北方謙三氏。しかし、作家としてのスタートは順調ではありませんでした。不遇の時代も決してペンを離さず、書き続けることで今日を築いてきたという北方氏がいまも大切にする「父の言葉」とは。

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三つの試練に導かれて

体験というのは、たぶん小説を書く時の10%ぐらいの核にはなっていると思います。あとはその体験に、いろんな願望や想像力が加わって小説になっていくんだろうと思いますね。

ですから私の20代の10年間というのは、肉体労働をしながらひたすら小説を書き続けたわけですが、その間のボツ原稿がどのくらいあるかというと、400字詰めの原稿用紙を積み上げて、背丈を越えます。

あの10年間はいったい何だったのかとよく考えるんです。そしてあれは青春だったと思います。青春というのは意味のあることを成し遂げることじゃないんです。どれだけ馬鹿になれたか。どれだけ純粋で一途になれたか。

それがあの背丈を越えるボツ原稿だとしたら、捨てたもんじゃないと思いますね。

青春時代にすべてを完成させようと思っていると、チマチマと小さくまとまった生き方になってしまうだろうと思うんです。けれども私は10年間馬鹿になって突っ走った。転がっては突っ走り、転がっては突っ走り、それの集積が背丈を越えるボツ原稿の山。これはなかなかのものだと思うんですよ。やってる最中はとんでもなかったですけど。でも途中で書くのをやめようとは、不思議と思わなかったんです。きっと私は小説の神様から、小説を書けと言われてこの世に生を受けたんだと信じるしかないんですね。周りからは何度もやめろと言われましたよ。

同窓会に行くと、仲間はみんな一流会社で活躍している。「北方、何やってるんだ?」と聞かれて「小説を書いている」って言ったら、肩をポンと叩かれて「おまえは偉いな」と。その偉いなって言葉の中に、多少の侮蔑と哀れみが入っているんです。

父親には「小説家は人間のクズだ!」と言われていました。自分の倅がそんなものを目指しているなんて思いたくないとずっと言っていました。その親父が、私がみんなからやめろ、やめろとめった打ちにされている頃、ひと言だけ言ってくれたことがあるんです。

「男は十年だ」と。

10年同じ場所で頑張っていると、見えるものは見えてくるし、できることはできるようになると。その時は、何言ってやがるんだと思いましたけど。

その親父が60歳の時に心臓発作でパタッと倒れて、そのまま亡くなったんです。その頃には週刊誌の連載を何本も抱えるようになっていたので、親父が横たわっている側で線香を絶やさないようにしながら、締め切り間近の原稿を書き続けました。

その時に初めて思いましたね。確かに男は十年。親父の言った通りだったなと。残念ながらそれを伝えようと思っても、親父はもう目を開いてくれませんでしたが。


(本記事は『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』より一部抜粋・編集したものです)

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◇北方謙三(きたかた・けんぞう)
昭和22年佐賀県生まれ。中央大学法学部卒業。56年『弔鐘はるかなり』でデビュー。58年『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞、60年『渇きの街』で日本推理作家協会賞長編部門、平成3年『破軍の星』で柴田錬三郎賞、18年『水滸伝』(全19巻)で司馬〓太郎賞をそれぞれ受賞。他に『三国志』(全13巻)『楊令伝』(全15巻)など多数。

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