「敵方」だった山形・庄内藩士の心を動かした西郷隆盛の訓え

江戸幕府倒幕と明治維新において最大の功労者と讃えられる西郷隆盛。その言行・訓言を43の項目で纏め上げた『西郷南洲翁遺訓』は名著として読み継がれ、福沢諭吉、内村鑑三、三島由紀夫など、後の世に影響を与え続けています。もともと薩摩の敵方であった庄内藩の藩士たちによって編纂されたという「遺訓」――その経緯と私たちが学ぶべき訓えを、西郷隆盛の妻・イトの実父の玄孫である若松宏さんに語っていただきます。

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『西郷南洲翁遺訓』が生まれたわけ

〈若松〉
『西郷南洲翁遺訓』は西郷さんの残した言葉や教えを編纂した本です。山形の庄内藩の藩主以下の方々が鹿児島の西郷さんの元を7回も訪れて、西郷さんの一言一句を書き取ってまとめたのです。

薩摩藩と庄内藩は幕末には敵対関係にありました。庄内藩は幕府方として江戸市中取締の任に当たり、薩摩藩は倒幕を目指していました。

そんな中、薩摩藩士が西郷さんの命を受けて江戸に上り、浪士を集めて江戸で騒動を起こしました。騒ぎを起こした浪士たちが逃げ込んだのが江戸薩摩屋敷だったため、幕府は薩摩藩が裏で糸を引いていると疑いました。

歴史上、これは西郷さんの指示だといわれますが、事実は違います。西郷さんが指示したのは将軍に嫁いだ島津斉彬公の(養)娘・篤姫の救出と江戸の状況の把握、その後の京都同時挙兵でした。

しかし、手柄を立てようと浪士たちが西郷さんの意思を自分なりに解釈して行動してしまった。結果、薩摩藩邸は庄内藩の新徴組・見廻り組等に襲撃され、焼き討ちに遭いました。西郷さんに江戸城下の焼き討ちや金品強奪略奪の企図は全くありませんでしたが、総指揮・任命責任を取りました。

この事件は戊辰戦争(鳥羽伏見)のきっかけとなりました。西郷さんは戦争を江戸で終わらせるつもりでしたが、長州藩が積年の恨みを晴らすために会津藩を討つことを主張し、結局、戦争は北陸・東北・北海道へと拡大していきました。

戦いに敗れた庄内・会津藩は厳しい処罰が下ると覚悟していたのですが、西郷さんの庄内の殿様や武士や庶民に対する処遇は類を見ない驚くほど寛大なものでした。感激した庄内の人たちは、ぜひ西郷さんの教えを受けたいと、明治3年から7回にわたって鹿児島まで来て学ばれたのです。その数は第一陣が2名、第二陣が76人とも78人ともいわれます。

中でも、伴兼之や榊原正治といった人たちは庄内藩主の命で西郷さんの武屋敷に最後まで残り、西郷さんの一言一句をすべて書きとめて庄内に送りました。この二人は西南戦争の時に西郷さんと共に戦い、伴兼之は田原坂の戦いで3月20日に、榊原正治は人吉城の戦いの御船で負傷して5月10日に亡くなりました。

こういう経緯があるため、山形の人たちの西郷さんに対する思いは非常に強く、明治22年2月11日に憲法発布の恩赦で西郷さんが赦免されると、すぐ翌年に『西郷南洲翁遺訓』を発行して、全国に6名遣わし、1000数十冊を配布し西郷さんの教えを広めたのです。

「敬天愛人」の教えるもの

〈若松〉
『西郷南洲翁遺訓』については、いままでたくさんの方が解説していますが、大事なのは、やはり山形の方たちが最初につくった原文です(荘内南洲会発行・西郷南洲顕彰会発行・西郷家当主発行は原文です)。

それを読んで、私なりに西郷さんが何を言おうとしていたのかを研究しました。結果、24、25、26の3項目に西郷さんのすべてが集約されているのではないかと考えるようになりました。ここで述べられているのは有名な「敬天愛人」の教えです。

24 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。

(道というのは天地自然のもので、人はこれに則って生きるのだから、天を敬うことを第一の目的とするべきである。天は他人も自分も等しく愛してくださるから、自分も自らを愛する心をもって他人を愛することが大事である。)

ここは「敬天愛人」という教えの序論にあたると考えています。大地や空や雲といった自然を敬い、人間のみならず植物や動物などすべての生き物を愛しなさい。人の手ではつくれないこれらのものを敬い愛しなさいというのが、西郷さんの最も言いたかったことではないかと思うのです。天(自然界)・人(生物界)を疎かにした結果が新型コロナウイルスの感染拡大であり、様々な自然災害ではないかと思います。それ故に「敬天愛人」の教えをいま一度想い、見直す時ではないでしょうか。

では、そんな重要な教えがなぜ24番に置かれているのか。ここに『西郷南洲翁遺訓』の秘密が隠されています。それは、24日が西郷さんの月命日だということです。

西郷さんは明治10年9月24日に亡くなりました。それを忘れてはならないという理由で、24番に最も大事な「敬天愛人」を入れたのだと考えるのです。
 (後略)


(本記事は『致知』2021年3月号 特集「名作に心を洗う」より一部を抜粋・編集したものです)

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【著者紹介】
◇若松 宏(わかまつ・ひろし)昭和35年鹿児島市呉服町生まれ。西郷隆盛の妻イトの実父岩山八郎太源直温の玄孫。幼少期より、祖父・父からの岩崎行親先生の敬天舎同人で、郷中教育の興国学舎舎生として、鹿児島三大行事や伝統行事に参画して深く関わる。父方の岩山家は、先祖に足利姓を持つ武士・軍人一族で、初代陸軍大将西郷隆盛の志を受け継ぎ、陸上自衛隊に38年間勤務。平成26年に定年退官。現在「西郷隆盛銅像展望ホール K10カフェ」経営者・店長として西郷隆盛の事績や思いを語り継ぐ取り組み、各種講演活動に力を尽くしている。

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