100歳の美術家・篠田桃紅さんが残した言葉

去る3月1日、美術家の篠田桃紅さんが107歳で逝去されました。戦中・戦後の混乱期を経て、水墨による独自の美術を確立。世界的な評価を獲得しながらも、それまでの伝統や世間一般の常識に果敢に挑み続けた生涯でした。『致知』では2013年に表紙を飾っていただきましたが、その人生観、創作に対する真摯な姿勢が現れた言葉を、100歳当時のインタビューからお届けします。

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運命は性格の中にある

――書には幼い頃から親しんでおられたそうですね。

〈篠田〉
えぇ。漢籍の素養があった父の勧めで、5歳の時に習字を始めました。でもおとなしく教わっていたのはうわべだけで、本心はいつも自由に書きたかった。

例えば「川」という字は縦3本と決まっているけれど、私は5本も10本も線を引きたくなる。単に字の意味を伝えるためなら、縦3本で事足りますが、それだけでは書にならない。書く者の心が文字の形を借りて表れるのが書で、その心の力が決められた文字の枠を出ようとするのでしょう。それは私自身の性格というものですよ。

――もともと決まり事に縛られない性分だったのですね。

〈篠田〉
こんなことを言うのも、女学校の高学年だった頃、芥川龍之介の本を読んでいると、次の言葉が書いてあったからです。

「運命は性格の中にある」

その時に、私も、あぁそうだと感じ入りました。人はよく、こういう運命だったから、自分はこんな性格になったんだとか言うじゃない? でもあの方に言わせると、そうじゃないんですね。

例えば私の姉や兄は、同じ家の、同じ両親の元に生まれ、同じように生活しているんですから、言ってみれば同じような運命ですよね。でも世間を見渡しても、お姉さんはとてもよく勉強ができるのに、妹さんはできなかったりする例が随分ある。

だから生まれや育ちなんてものは実は大したことじゃなく、個人個人の性格によって運命がつくられていくものなのだと思います。

――そういう意味では、どんな運命を辿るのもすべて本人の責任と言えるかもしれませんね。

〈篠田〉
まったくそのとおりです。

ですから22、3歳頃、家を出て、書で身を立てようとしたのは二次的な動機であって、第一次は性格によるもの。先生の言うこともあんまり聞かないし、決められたことに唯々諾々と従ってやることが楽しくない。だから誰かの元に嫁いでいくのは、自分には向かないなと思ったんです。

――当時では珍しかったでしょう。

〈篠田〉
えぇ、何しろ、三従の教えがまだはびこっていた時代ですから。幼い頃は親に従い、結婚したら夫に従い、年をとったら子に従う。そのように常に何かに従って生きるのが、戦前の日本女性のあり方でした。ですから自分で何かをつくって生きようなんて、よくよくの変わり者でない限り、考えられなかったでしょうね。

プロとアマとの明確な違い

――創作に臨む上で、日々心掛けておられることはなんですか。

〈篠田〉
それはね、素人なら、きょうは気分が向かないからとか言うこともあるでしょう。玄人はそんなことを言っていたら始まりません。それを表現したものをつくるということが、生きているということなんだから。

きょうはなんだか寂しい、苦しいような心地がして、気分があまりウキウキしない。そういう時は、その時の思いを描かなくちゃ。

我が身が情けなく思われて自己嫌悪に陥ってしまった時、そういうのもまた自分なのだから、それを表現しなくちゃ。仕事なんだから。歯が痛けりゃ、歯が痛い時の作品を描くべきでしょう。それをもって世に生きてきた以上はね。

――それがプロであるということですね。

〈篠田〉
えぇ、プロとはそういうもの。それだからプロだって言えると思う。

ゴルフなんかを見ていても、プロとアマの違いはすぐ分かりますよ。プロはどんな天候であろうが、やる時には必ずやるでしょう。雨が降ったから休もうなんて、そんなに甘い世界じゃない。だからアマはいくらやったって、プロには敵わないんですよ。アマとプロとはそこではっきり分かれるんですね。

――今後はどういったことを念頭に作品づくりをしていかれますか。

〈篠田〉
基本にあるのはやっぱり、自由、と言うのかな。自分というものが元になっていて、その動き得る範囲、心の赴く範囲がベースになっている。

外的制限を設けるとすれば、自分のつくるものはどういうものでありたいかということになりますが、もう既に、いままであるようなものはダメ。古いものはダメ。しかし、新しいというだけでもダメ。強いとか弱いとかいう感じを受けるのも、あまり上等だとは思わない。

――非常に難しい制約ですね。

〈篠田〉
簡単なのよ、新しいものをつくるというのは。いままでにないものをやればいい。また、古いものを真似してりゃ安心ですよ。いかにも伝統的だと褒めてくれる人もあるかもしれない。強いものだって力いっぱい表せばある程度できるし、力まずふわんふわんやっていれば弱いものもできる。でもそういうものは、皆ダメなの。

弱くもなく、強くもない、古くもなく、新しくもない、そしてどこの何様式にもはまっていない。そういうものをつくり得れば素晴らしいと思う。それに近くなっていきたいと思います。おそらく、神様じゃなきゃつくれないわよね。

――それでも、そういうものを追い求めていこうとされる。

〈篠田〉
結局、世の中にある常識というものの強さには、誰も勝てっこないですよ。そこにはあまりにも長い歴史がありますから。少しでも外れれば、非常識なんて悪く言われてしまう。だけどその常識を超えなきゃ、なんにもならないんですよ。常識を超えなきゃ、褒めてくれる人はいないんですよ。だから難しいんです。


(本記事は『致知』2013年7月号 特集「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇篠田桃紅(しのだ・とうこう)
大正2年中国大連生まれ。東京育ち。5歳の時、父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。第二次世界大戦後、文字を離れて墨で抽象画を描き始める。昭和31年渡米し、ニューヨークを拠点にボストン、シカゴ、パリ、シンシナティ他で個展を開催。33年に帰国した後は、壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、東京芝・増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方で、リトグラフや装丁、題字を手掛けるなど活動は多岐にわたり、代表作は欧米、日本の各美術館に収蔵されている。随筆の名手としても知られ、近著に『桃紅百年』(世界文化社)がある。

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