2021年03月15日
東日本大震災で津波に襲われ、特に大きな被害を受けた宮城県南三陸町。僅かな時間で町が押し流され「地獄絵図」と化した当時の町で、勇敢にも営業をやめることなく、さらに行き場を失った被災者たちに部屋を提供したホテルがあります。宿泊業の他に経営する水産工場が軒並み流されながら、町のために奮い立った女将の阿部憲子さん。その使命感に勇気をいただきます。
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待ったなしで夏を迎えて
――最大何名の方をホテルで受け入れたのですか。
〈阿部〉
一番多い時で600名の皆様が生活されていました。ただ、水の問題がクリアできたら700名はお世話できたと思います。それが残念ですね。
――水の問題というのは?
〈阿部〉
この地域は4か月間断水が続きました。普通、4日間でも辛いのに4か月ですよ。よく皆さん頑張り抜いたと思います。春先のまだ水が冷たい頃、川で洗濯する姿があちこちで見られました。
幸い私どもには貯水タンクがありますので、町から20トンの給水車が来てくれたんです。最初は十数日ぶりにお風呂に入って、皆さん大喜びされましたので、「こういう時にホテルには大きな役割があるな」と思ったのですが、それでもホテルが普通に営業するには300トンの水が必要なんです。「観洋は避難所だから」と大手企業の支援で80トンに増やしていただきましたが、足りません。
ですから、お風呂は週に2回、お手洗いは館内にたくさんあっても外の仮設トイレを使っていただき、洗い物ができませんからお食事は紙皿で、という措置を取らざるを得ませんでした。
――ホテル業で水が使えないのは致命的ですね。
〈阿部〉
当然、掃除に使うならもっと別なことに使いたいということで、お掃除もできません。夏が近づいてくると大量にハエが発生するなど、衛生面での心配が募ってきました。感染症など出してしまったら一大事です。また、暑さから「冷房を」という声もたくさんあったのですが、当館の冷房は水がないと使えない設備なんです。
その時、海水を水に変える装置があると分かって、人を介して支援をお願いしたのですが、「民間会社に支援はできない」と。
――観洋さんは避難所になっているのに。
〈阿部〉
「私どもでなくていいので、この地域にお願いします」と頼んでも、「誰が責任を取るのか」「誰が立ち会うのか」と。6月も下旬に入り、もう、待ったなしの状況でしたから、「責任は私どもが取ります」とお願いして、最終的には「避難所だから」ということで設置できました。それで水が使えるようになったんです。
そういう意味では、観洋は公的な避難所じゃないということで支援物資が届かなかったり、後に回されることが多かったのですが、我われのような施設はお風呂もあり、トイレも寝具類もたくさんあります。避難所としては学校の体育館より適しているのではないかと感じております。
――住民の皆様の受け入れはいつまで続けられたのですか。
〈阿部〉
8月には仮設住宅が完成し始めたので、8月いっぱいで一段落しました。
実はここが避難所になった時に、災害の専門家の方から阪神・淡路大震災では仮設住宅に移り住んだ後、引きこもりになって自殺した人がたくさんいたというお話をお聞きしました。だから、なるべく被災された方が部屋から出るように仕向けてください、という指導を受けたんですね。
しかし、それまで体育館でまったくプライバシーがなく、ダンボールの上で寝ていらした方々が、やっとお布団で寝られるようになったのに、部屋から出てくださいと言うのは実は難しいことでした。
――確かにそうでしょう。
〈阿部〉
そこで考えたのは、館内でコンサートやお芝居、手芸などのお教室など、いろいろなイベントをやってみようと。
引きこもりの予防もありましたが、仮設住宅に移られたら、また狭い部屋で先の見えない生活が始まります。せめて観洋での避難生活は楽しかったと思っていただきたい。ボランティアの方々からも観洋で被災者の方たちを元気づけたいというご要望もありましたので、館内でたくさんの催し物を企画してきました。
そうして少しずつ皆様が仮設住宅に移り始めた8月、私と幹部社員が当館のコンベンションホールのステージ裏に呼び出されたんですね。行ってみますと、幕が開いて、そこには避難されていた住民の皆様が揃っていました。
「いままでありがとう」と、私どもに対して感謝の集いを開いてくださったんです。各フロアごとに感謝の言葉の寄せ書きの色紙と、花束をいただいて……。
まさか被災された方からお礼をいただくとは夢にも思ってもみなかったので、目頭が熱くなりました。ああ、私たちの思いや取り組みが伝わっていたんだなと。そして、これからが本当の意味で復興へのスタートだと決意を新たにした一日でした。
(本記事は『致知』2012年3月号 特集「常に前進」より一部抜粋・編集したものです) ◎最新号申込受付中! ≪人間力を高めるお供に≫
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昭和37年宮城県生まれ。58年東洋大学短期大学卒業後、家業である南三陸ホテル観洋に従事。以来同ホテルを切り盛りし続ける。