2023年01月28日
『親子で読み継ぐ万葉集』の著者であり、「博多の歴女」として日本の歴史や文化の伝承活動に取り組む白駒妃登美先生。高校生の頃から『万葉集』を深く読み込んでこられた白駒先生が語る歌の解説は、私たちの心に強い感動と日本人としての誇りを呼び起こしてくれます。
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『万葉集』との出逢い
――この『親子で読み継ぐ万葉集』は、白駒先生が尊敬する小柳左門先生との共著になります。初めて『万葉集』に触れる方のために、できるだけ親しみやすい歌をそれぞれ25首ずつ、全部で50首を選んで解説を加えていただきました。竹中俊裕さんの素敵なイラストも添えられており、歌にも全て読み仮名がふってあります。まさにタイトルの通り、親子で読み継いでいただける『万葉集』になっています。
先生にとっても非常に思い出深い1冊であると思いますが、実際に本書を手に取られてどのようにお感じになられましたか。
(白駒)
私にとって本を出版するというのは、手塩にかけて子供を育てるのと同じような感覚なんですね。『親子で読み継ぐ万葉集』の見本を手にした時には大切に育てた娘の成人式とか結婚式で晴れ姿を見たような感じがしました。もう本当に涙でウルウルしています(笑)。
今回は特に『万葉集』に収められた約4500首の中から50首を選ぶという取り組みを、心から尊敬する小柳先生と一緒にやらせていただきました。そして、その50首の現代語訳と解説を何度も何度も書き直しながらようやくできた、難産の末に生まれた本ですから、感激もひとしおなんです(笑)。素敵なイラストを描いてくださった竹中先生、様々なアドバイスをいただいた方々、この本の出版にいろいろな形で関わってくださった皆様への感謝の気持ちで胸がいっぱいです。
――白駒先生が『万葉集』と出会われた原点をお話しいただけますか。
(白駒)
『万葉集』との出会いは高校生の古文の授業です。本当に素晴らしい先生でして、もちろん『万葉集』の一首一首をものすごく深く掘り下げてくださるんですけれども、言葉の意味や文法はもちろん、それだけではなくて、「こういう歌が詠まれるに至った時代的な背景はこうだったんだよ」とか「この歌人はこの歌を詠んだ後、こんな人生を辿っていくんだよ」というお話をしてくださって……。もう私はその授業を夢中になって受けたんですね。それ以降、プライベートで『万葉集』の本を買っては読むようになりました。
ただ『万葉集』を読むというのも本当に素晴らしいことですが、私がお勧めするのは、その歌が詠まれた場所を訪れること。そして、その山であったり川であったり海であったり……その風景の中に身を置いて先人たちと心を通わせる。私はそんなふうにして『万葉集』を心で感じてきたのかなという風に思います。
――だからこそ白駒先生の解説を読むと、いきいきとその歌の情景が浮かんでくるのですね。
(白駒)
ありがとうございます。本当に私には、1000年以上前に生きていた方々が詠んだ歌とは思えないんです。すぐ傍にいてくれる友達が歌を詠んだような感覚を覚えます。感性がみずみずしいですし、時代を超えた普遍的なものが『万葉集』にはありますね。
――その『万葉集』から25首を選ばれるのは、非常に苦労されたのではないですか。
(白駒)
そうなんですよ(笑)。もちろん、一首一首の解説にも思い入れがあるんですけど、いろんな思いを抱きながら50首を選ばせていただきました。
――お知り合いの国語の先生にも意見を聞かれたそうですね。
(白駒)
中学や高校の国語の授業で『万葉集』を教えていらっしゃる方々を何人か知っておりまして……。『親子で読み継ぐ万葉集』は中高生を主な読者に考えて書いたものですから、「どういう歌が中高生にすごく親しみやすく感じられますか」「こういう訳や解説にしようと思うのですがどうですか」などと、いろいろ相談しました。
名作映画のような魅力的な物語
――苦心して選ばれた歌の中から、特に白駒先生のお気に入りの3首とその解説をご紹介いただけますか。
(白駒)
まず1首目ですが、これはおそらくいつの時代でも『万葉集』の人気ナンバーワンの歌だと思います。詠んだのは額田王(ぬかたのおおきみ)です。
「あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る」
(現代語訳:茜色の光に満ちている紫草が美しい野を行き来し、天皇の御料地の野を行き来しながら……ああ、野を守る番人が見ていないでしょうか。あなたがそんなにも袖を振っていらっしゃるのを)
この歌が詠まれたのは第38代、天智天皇の御代です。この時の都は近江、いまの滋賀県にあったんですね。その近江の天皇の御料地に「蒲生野(がもうの)」という紫草が生える野があり、そこに天智天皇以下、宮中の人たちが「薬猟(くすりがり)」に出かけたんです。
どのようなイベントかというと、男性が鹿狩りをして鹿の角を集めます。実は鹿の角というのは薬として当時用いられていました。そして女性が薬草を摘むんですね。これは宮中における一大イベント、いわゆる「大人のピクニック」です。ですから、この歌の冒頭からはピクニックに心が浮き立つ様子、躍動感を感じるんですね。
ところが歌は一転してその後「野守は見ずや」となるわけですよね。もしこれが映画であれば、いきなりここで音楽がガラっと変わって、ちょっと不穏な空気が流れる。
そして最後「君が袖振る」で歌は終わるんですけれども、実は万葉の時代、袖を振るというのは相手の魂をこちらに引き寄せるという意味がありまして、これは求愛の仕草なんです。では、その求愛の仕草をしている「君」とは誰かと言うと、後の天武天皇、この当時は大海人皇子(おおあまのみこ)と呼ばれていました。大海人皇子は額田王にとって、いまの言葉で言うと「元カレ」なんです。元カレが求愛の仕草をしてくるんですね。だから額田王が「そんなことしたらだめよ」って半分たしなめながらも、心にどこか嬉しさを隠しきれずにいる。そういう微妙な女心が読まれたわけですよね。
――ああ、なるほど。
(白駒)
「野守」というのは天皇の御領地を守る野の番人を意味しますが、額田王の旦那様である天智天皇を指しているのではないかと言われています。その天智天皇と大海人皇子は兄弟ですから、まるでドラマの世界がここで展開されているようですね。でも下世話なドラマではなくて、私はこの歌が名作映画を見るような、本当に魅力的な世界を紡ぎ出していると思うんですよね。一首の中で綺麗な起承転結になっていますでしょう。技術的にも素晴らしいですし、大海人皇子の男らしさ、そして額田王の揺れる女心。内容も素晴らしいですよね。
そして、この額田王の歌に対して元カレである大海人皇子が、次のような歌を返しています。
「紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも」
(現代語訳:紫の花が匂いたつように美しいあなた。そのあなたをもし憎いと思っているのなら、人妻であるあなたに私はどうして恋したりなどするでしょうか。いや恋したりはしない)
これは技術的には反語という手法を使っています。「もし憎いと思っているなら、どうしてあなたに恋したりなどするでしょうか。いや恋したりはしない」となりますが、この言葉の裏には、「あなたのことが好きで好きでたまらないんです」という、溢れ出る愛情が隠されているんですよね。
私はこの上の句の「紫草のにほへる妹」という表現が、なんて艶やかで素敵なんだろうと思うんです。紫というのは日本人にとって古来最も高貴な色ですから、その高貴な色がふさわしいあなた、ということですよね。美貌と知性と教養と人間性。そのすべてを身につけたあなた、ということですから、おそらくその額田王に対して大海人皇子は、二人の関係が終わってからも憧れのようなものを抱き続けたのではないのかなと思いますね。
私はこの2首を高校生の時に授業で学んだわけですけれども、なんてかつての日本人は堂々としていたんだろうか、と感動したんですよね。
当時の私は、すぐ人からどう思われるのかを気にして、やりたいこともあまりできず、言いたいことも言えずにいるような、ちょっといまの私からは想像できない女子高生だったんですね。でも、この2首を知って、もっともっと自分らしく生きていいんだなって。そんなエールを送ってもらったような気がしました。
1200年前の日本人に励まされる
――思いのこもった解説をありがとうございます。
(白駒)
1首と言いながら2首もご紹介してしまいました(笑)。2首目をご紹介してもいいですか。
――お願いします(笑)
(白駒)
2首目は私の一番好きな歌人が詠んだ歌です。私の一番好きな歌人は大伴家持(おおとものやかもち)なんです。『万葉集』を編纂した中心人物といわれ、『万葉集』に470首以上を残しておりまして、これは一人の歌人としては最大の数なんです。その家持の470首を超える歌の中で一番好きな歌をご紹介しますね。
「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば」
(現代語訳:うららかに降り注ぐ春の日差しの中、ひばりが空高く舞い上がり、私の心は悲しいことよ。一人静かに物思いにふけっていると)
普通、春というのは例えば植物が芽を出したり、動物が冬眠から目覚めたりする。その生命力を感じる、どちらかと言えば、うきうきする季節だと思うんですよ。ところがその春を迎えた家持は、なぜか心が沈んでいるんです。果てしない悲しみに、もう心が引き込まれて引きずられていってしまうんですよね。
では、なぜこの歌が好きなのかと言いますと、当時、思春期真っ只中だった私は、友達同士でワイワイ楽しくやっていても、ふと孤独感を抱く時があったんですよ。別に意地悪な人がいるわけでもないし、何かされたわけでもないんですけれども、何かふっと、理由はないのに得体の知れない孤独感に襲われる時があったんですね。
私はこういう気持ちって、誰に話しても分かってもらえないだろうなあって思っていました。けれども、この家持の歌を知った時に、「へえ、1200年以上前に生きた家持が、私と同じように、全然悲しむような状況なわけではないのに、深い悲しみに浸っていたんだ」「ああこの悲しみ、この孤独感を時空を超えて分かち合える人がいたんだ」って思ったら、本当に生きる勇気をもらったんですよね。こんな風に時空を超えて思いを分かち合えるってなんて素敵な関係なんだろうって。こういう文化を残してくれた先人たちに心から感謝したいと思いました。
――1200年前の日本人と心を通わせられた。
(白駒)
「優しい」という漢字を思い浮かべていただきたいんですね。人偏に「憂」と書きますよね。おそらく本当の優しさというのは、その孤独感や憂いという暗闇を乗り越えてこそ、身につくんだと思うんですね。そんな人生の本質や人生の味わい深さというのも、この歌が教えてくれたような気がいたします。
母親の愛情の原点
(白駒)
では、最後の3首目ですが、これは息子さんを遣唐使として送り出したお母さんが詠んだ歌です。
「旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我(あ)が子羽ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たづむら)」
(現代語訳:旅人たちが宿をとる野原に霜が降るような寒い夜は、どうか私の息子を柔らかい羽で包んで暖めてやっておくれ。天をゆく鶴の群れよ)
遣唐使は、唐の国と日本の友好の証として、そして当時世界に誇る先進国であった唐から様々なものを学ぶために派遣された人達です。遣唐使に選ばれるというのは大変に栄誉なことですが、航海技術がまだまだ発達していなかった当時、本当にそれは命の危険を伴う旅だったんですよね。もし万里の波濤を越えて大陸に辿り着いたとしても、そこから唐の都・長安は遥か内陸にありますから、まだまだ旅は続くんですね。その長い旅路の中では当然冬を迎えるわけで、大陸の寒さというのは私たち日本人が想像もできないような寒さなんですよ。そんな寒い夜に、その凍える一人息子をどうか、羽で温めてやっておくれという思いを込めて読んだのがこの歌なんです。
「はぐくむ」というのはいまでは「育む」と書きますけれども、「はぐくむ」はもともと羽根の羽を書きまして、親鳥が雛を羽で包んで温めて育てることを「羽ぐくむ」と言うんですよね。
私はこの歌を致知別冊『母』(VOL.2)でもご紹介させていただいたんですけれども、これは子を思う母親の原点だなって思うんです。子育てしているといろんな葛藤があります。いろいろ迷いもあります。うまくいかなくてイライラすることもあります。でもこの歌に立ち返ると、すうっと肩の力が抜けるんですよ。「教育する」とか「育てる」とか考えると、「こうしなきゃいけない!」って、肩にガチガチ力が入るんですけれども、本来は子育てって、はぐくむことだよねって教えられる。その原点に立ち返ると、自然体の自分でいられるんですよね。
そして私たちもこういう親の大きな愛と祈りに包まれていま生かされているんだなと。そのことを考えると、本当にこの命を大切に慈しんでいこうって思える。自分の命はもちろんですけれども、一人ひとりの命がそうやって大切に育まれてきたわけです。だったらお互いを尊重して、命の煌きっていうのを思いやる……そんな社会を実現したいなって。ですから、この歌は私にものすごく深い人間愛を呼び覚ましてくれます。
――感動的なお話です。
(白駒)
実は、この歌を選んだ理由はもう一つありまして、先日、五島列島の福江島で講演をさせていただいたんですね。五島列島は長崎県に属するんですけれども、玄界灘に浮かんでいるんです。そして、その福江島には遣唐使船の国内最後の寄港地があります。そこにこの歌の歌碑が建っているんですよ。
私はその歌碑を見ながらもう涙が止まらなくなりました。なぜかと言うと、その日はお天気に恵まれていたのに驚くぐらい波が荒いんです。地元の方に聞いたら、どんなにお天気に恵まれてもここの波はいつもこんななんだよって。もう足がすくむようなその荒波なんですけれども、遣唐使船はそこから出たらもう外洋なんです。だから、そこが日本の最果てなんです。
足がすくむようなその荒波に対して、一国の文化のために勇気を振り絞って航海に出た人たちがいたんだな、そしてその人たちが無事に帰国して次の時代の文化を担いながらも、多くの英才たちが尊い命を旅の途中で失うこととなった……。私たちは、そんな彼らの存在の上にいま生かされているんだなって思うと、涙が止まらなくなったんです。
―― 一首一首、心に沁み入るような解説をありがとうございます。『万葉集』は、恋愛や子育て、生きる姿勢など、いろんなことを教えてもらえるものなのですね。
(白駒)
私たち日本人にとっては宝物だと思います。おそらく先人たちが後世の日本人である私たちに宛てて残してくれたラブレターじゃないかなって思うんですよね。
(本記事は週刊『致知』Facebook Liveの内容を編集したものです。)
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我が国の文明開化に大きな影響を与え、その啓蒙思想が日本人の精神形成の礎となった福澤諭吉。若くしてドイツに渡り破傷風菌の純粋培養や血清療法の確立など細菌学の分野で多大な功績を上げた北里柴三郎。高い志を立てて困難に挑戦し、日本を近代化へと導いた明治人の気概を象徴するのが、まさにこの二人ではないでしょうか。作家・山崎光夫氏と、〝博多の歴女〟白駒妃登美氏の対談を通して見えてくる二人の偉人の志と生き方に学びます。【詳細・購読は下記バナーをクリック↓】
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45周年、誠におめでとうございます!
2010年夏、私は闘病生活を送っていました。治る見込みがない中、わが子への遺言のつもりで初めての本を執筆。先人は「今、ここ」に全身全霊を注ぎ、天命に運ばれて生きる「天命追求型」の生き方をしてきたことに気づきました。そして自分も残りの日々を天命追求型で生きようと心を決めた、まさにその時に月刊『致知』と出逢いました。『致知』の記事に励ましと確信を得て、今の私があります。
致知出版社様の益々のご繁栄をお祈りしつつ、心からの感謝をこの場を借りて申し上げます。
◇白駒妃登美(しらこま・ひとみ)
昭和39年埼玉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、大手航空会社の国際線客室乗務員として7年半勤務。日本の素晴らしい歴史や文化を国内外に発信する目的で平成24年株式会社ことほぎを設立。「博多の歴女」として年間200回に及ぶ講演や歴史講座を行う。著書に『心に光を灯す日本の偉人の物語』(致知出版社)など多数。 ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。
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