目と鼻がない娘・千璃が教えてくれたこと——OFFICE BEAD INC.主宰・倉本美香

目と鼻がない、知的障碍や心疾患などの重複障碍を持って生まれてきた倉本千璃さん。定住するアメリカで千璃さんを出産した母親の美香さんは、重複障碍の娘と向き合う孤独な子育ての中で、一度は自殺を考えるほど悩み苦しんだといいます。その倉本美香さんの歩みや著書『未完の贈り物 娘には目も鼻もありません』は、ミュージカル『ダスク』として上演されるなど、大きな感動と反響を呼んでいます。倉本さんにこれまでの歩みを伺いました。

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「No eyes.」(お子さんには眼球がありません)

(――倉本さんはもともとアメリカにお住まいだったのですか。)

〈倉本〉
私がアメリカに移り住んだのは、日本航空在職中に、ニューヨークへ留学したことがきっかけでした。その時、現地企業に勤めるニューヨーク在住の日本人の夫と出逢って、2001年に結婚したんです。ただ、お互いの仕事のこともあり、最初は日本とアメリカで離れて生活していました。

ところが、結婚した少し後の9月11日にアメリカ同時多発テロが起こりまして、やっぱり家族は一緒にいるべきだなと。それで日本航空を退職し、ニューヨークに行くことを決心したんです。ちょうど30歳を過ぎた頃でした。

(――大きな決断でしたね。)

〈倉本〉
ところが、半年も経たないうちに自分が所属する居場所のない孤独感が大きくなって、先ほど述べたように、日本航空時代の経験などを活かして、日系企業や日本人アーティストのアメリカ進出をサポートする会社を立ち上げました。そんな慌ただしい中で授かったのが千璃だったんですね。

産婦人科医も、保険が利いて日本語ができるという理由だけで選びました。その主治医はいつも冗談ばかり言って、「赤ちゃんは普通に生まれてきますから」っていう気楽な様子だったので、私も初めての出産を前向きに捉えていたんです。海外で出産する場合、両親が手伝いに来ることが多いのですが、私は「大丈夫。生まれたら連絡する」っていう感じでした。

(――安心して初めての出産に臨まれた。)

〈倉本〉
でも、出産の当日、主治医がなかなか来ないんです。あの出産の日のことだけはいまも夢に出てきます。もう生まれそうなのに、看護師さんが「もうちょっと待って、もうちょっと待って」と。

そして主治医が到着し、看護師さんが「プッシュ、プッシュ」と声を掛けてくれた後は、まるで映画のワンシーンのようで……。

主治医は横で立ち会っていた夫に、「ブロンドではなくて黒髪ですよ。よかったですね。あなたの子供です」などと冗談を言っていました。ところが、生まれてきた瞬間、主治医は「カメラの撮影は止めてください!」と夫を制し、千璃を連れて部屋の外にだーっと出て行ってしまったんですよ。一体何が起こったのか、ただ呆然とする他ありませんでした。

(――主治医が何も言わずに千璃さんを連れて行ってしまったと。)

〈倉本〉
早朝に出産して、小児科の先生から「新生児集中治療室に行けば、赤ちゃんに会えます」と言われたのは夜中でした。千璃は新生児集中治療室の、小さなガラスケースのようなものに覆われたベッドの上に、まるで肉の塊のようにコロンと置かれていました。

ケースを覗き込むと、千璃の顔は鼻にかけてぱっくり割れ、穴だけがポンポンと開いていて目はぎゅっと閉じていました。正直、「私が産んだ子供なの?」というのが最初の実感でした。ただ、ボーっとしたまま「可愛いね」って千璃を抱き寄せたのは覚えています。

そして「これから検査がたくさんあるので、部屋に戻ってください」と言われたのですが、戻れないんですね。私がいた病室は二人部屋で、前日に出産した同室の女性のところにはひっきりなしに家族や友人が訪れていました。一方の私は夫と二人きり。その喜びに溢れた雰囲気の部屋にどうしても戻ることができなかった……。

(――とても辛い状況でしたね。)

〈倉本〉 
翌日も千璃の検査はずっと続き、私たちはひたすら待たされました。そして夜中になって、目の専門医の方に呼ばれ、「No eyes.(お子さんには眼球がありません)」「原因は不明です」と告げられたんです。その専門医の方は、事前に分かっていれば何かできたかもしれないけれど、いまは何も力になれなくて申し訳ないと何度も頭を下げられました。

いま思えば、出産の時の主治医には、エコー検査の大事なメモを見落としていたり、性別を間違っていたり、2つの名前で医師登録をしていたり、不可解な言動が多くあったんです。後にその主治医には医療裁判を起こしました。

生きる力をくれた千璃さんの笑顔

〈倉本〉
アメリカでは保険の関係もあり、出産後48時間以内に退院しなくてはならず、私は千璃を置いていったん自宅に戻ったんですね。すると、千璃を迎え入れるために買っていたベビーグッズがポンと置いてあって、本当に寂しく、胸が張り裂けそうでした。

千璃は様々な検査を受けた結果、後に知的障碍や心疾患が分かるんですけど、現時点では命に関わる状態にはないから、家に連れて帰りなさいというのが病院の結論でした。日本ならそんなふうに病院から放り出されることはなかったのかなって思うことがいっぱいあるんですよ。やっぱり、アメリカには「何事でも自分で責任を持ちなさい」という感じなんです。

(――日本とアメリカの文化の違いを肌で実感されたのですね。)

〈倉本〉 
突然、目が全く見えない娘と一緒に暮らすことになって、どう育ててよいのか途方に暮れました。それに私は性格的に頼み事をするのが苦手で、日本にいる両親や親類を含め、周囲にうまく助けてほしいと言えなかったんですね。

千璃は生後2か月頃から、火がついたように泣き叫ぶようになりました。ミルクを飲むことも拒否して、2時間、3時間、永遠と思われるほど泣き続け、ずーっと抱いているしかない状態でした。

気分転換に外に連れ出しても周りの人が顔を覗き込んでくるのが怖くて、私自身どんどん自分の殻に閉じこもっていきました。せめてもの逃げ場が自宅アパートの屋上や洗濯室だったんですけれど、洗濯室でも泣くのがうるさいと住人や家政婦から怒られる……。

当時、夫は仕事で忙しく、誰も助けてくれない孤独の中で、部屋と屋上を行ったり来たりするうちに、「このまま屋上から飛び降りたら楽になれるだろうな」と次第に考えるようになっていきました。

(――ああ、自ら命を絶とうと。)

〈倉本〉
実際、4か月ほど経ったある日、もう心身共に限界だという時があって。アメリカでは、子供を部屋に一人にするだけで育児放棄・児童虐待として逮捕されてしまいます。それでも、その時の私は泣き叫ぶ千璃をベビーベッドに置いたまま屋上に上がり、フェンスに近づいて、ここから千璃と飛び降りようと決心したんです。

(――倉本さんを最後に思い留まらせたものは何だったのですか。)

〈倉本〉 
健康な身体に産んであげられなくてごめんね。こんなママを許してね。あっちの世界に行ったら、きっとたくさんの景色が見えるよね。そう思いながら、千璃を連れて来ようと部屋に戻りました。すると、さっきまでわんわん泣いていた千璃が、「きゃっきゃっ」と声を上げて笑っていたんですよ。

部屋では私が大好きな音楽グループの曲を流していました。女性ボーカルの伸びやかな声に合わせて、千璃が足をバタバタさせて笑っている。その姿を見た時、この子は一所懸命に生きようとしているのに、私はなんて自分勝手なのだろう、ごめんねって我に返ったんです。ですから、私は千璃に生かされたのだと思っています。

(――千璃さんの笑顔が、再び前を向く生きる力を与えてくれた。)

〈倉本〉 
あと、やっぱり大きかったのは仕事です。娘に障碍があることは少数の人にしか伝えていなかったので、千璃が生まれた後も、普通に仕事は入ってきていたんです。在宅勤務と数時間の現場出勤を何とかやりくりして、無我夢中で働きました。仕事を通じて社会と繋がっている、自分は必要とされているんだ、その思いが私の心を支えてくれていました。

一歩一歩

〈倉本〉
状況が変わってきたのは千璃が3歳を過ぎ、ブラインドスクールのプレスクールに通い出した頃でした。午前中は千璃をプレスクールに預けることができるようになり、少し冷静にこれからのことを考えられるようになったんですね。同じ頃に長男も授かって無事出産することができました。

その2年後に次男、その後に次女を出産し、私は四人の母親になりました。いま考えても4人の子を抱え、仕事もしながらよく頑張れたなと(笑)。生活費も、夫婦で働けど働けども千璃の治療費に消え、いつも苦しかったですね。

(——本当に凄まじい状況です。)

〈倉本〉
その後、千璃はいろんな学校を転々とするんですが、最終的には9歳の時に、冒頭に触れた全寮制のスペシャルスクールに入ることができたんです。ただ、9年間傍でずっと見守ってきた親としては、千璃と離れて暮らすのは片腕をもぎ取られるような寂しさでしたし、目が見えない千璃が、家族のことを忘れてしまうのではないかという怖さもありました。

スペシャルスクールに千璃を預けた日のことは、いま思い出しても泣けてきます。いつもと違う雰囲気を感じたのでしょうね、千璃を置いて学校を出発しようとすると、火がついたように泣き始めたんです。その日は激しい雨が降っていましたが、その雨音に負けないくらい千璃の大きな泣き声が廊下に響いて、本当に胸が抉られるような思いで学校を後にしました。

ただ、学校の先生が心からの愛情をもって千璃に向き合ってくださったのは救いでした。スペシャルスクールに入った当初、自分のことは何一つできなかった千璃が、指導を受けるうちにスプーンで食事をしたり、手を引けば歩けるまでに成長していったんですね。

(――親として子供の成長は一番嬉しいことですね。)

〈倉本〉
いまも印象に残っているのは、クリスマスを迎えようという2016年の冬、夫と一緒に千璃の学校を訪れた時のことです。

担任の先生が千璃の右手に白杖を持たせ、「一人で歩いてごらん」と手を離すと、千璃は白杖を持ったままゆっくり足を前に運びました。1メートルも進まないうちに白杖を投げ出してしまったのですが、今度は夫が手を握って一緒に歩きました。「手を離してみて」という先生の声で、夫が手をそっと離すと、千璃は何かを探すように右手を前に出しながら、1歩、2歩、3歩……5歩、6歩と、しっかり自分の足で歩いたんです。

その時のビデオは残っているんですけど、娘が一人で大地を踏み締めている光景には本当に感動しました。普通の一歳の子供ができることに、千璃は10年以上かかったけれど、私は1歳の子供の親が感じる喜びをいま感じることができている。神様はちゃんとこの瞬間を与えてくれたんだ。そう思うと涙が止まりませんでした。


 ★『致知』2020年12月号にご登場いただきました★
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(本記事は月刊『致知』2020年12月号 特集「苦難にまさる教師なし」の記事から一部抜粋・編集したものです)


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◇倉本美香(くらもと・みか)
昭和44年東京都生まれ。学習院大学卒。日本航空の国際線客室乗務員として活躍後、在米日本人の夫との結婚を機にニューヨークに移住。日系企業の米国展開、日本人シェフやアーティストの米国進出をトータルにサポートするビジネスコンサルティング会社OFFICE BEAD INC.を設立。22女の母。一般社団法人 「未完の贈り物」理事。著書に『未完の贈り物』(産経新聞出版)『生まれてくれてありがとう』(小学館)などがある。

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