士魂商才の人・渋沢栄一の幼少期—— 人格の根を養ったものとは?

昨年4月に2024年度に刷新される新一万円札に肖像が描かれるとの発表があったほか、2月に開始する今年のNHKの大河ドラマにも取り上げられ、いま再び大きな注目を集めている渋沢栄一。「日本の資本主義の父」として理と情を併せ持った渋沢の人格は、如何にして培われたのか――幼少期の環境にその根を学びます。
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両親の薫陶と「智情意」

〈田口〉
尾高藍香の指導については『雨夜譚』によく出てきますが、ただ字面を追うだけで古典を読んだ気になってはダメ、自分の意見として語れるように読めと言われたと。ですから、渋沢栄一は実践的に頭脳を駆使することを毎日繰り返しながら、『論語』をはじめ「四書五経」を勉強したんです。

〈渋澤〉 
渋沢栄一の父も「四書五経」をよく読んでいたそうですね。

〈田口〉 
朝、食事をしている時に、父親が「栄一、いま何を読んでいるんだ」と。「『論語』を読んでおります」と言うと、「何か気に入った章句はあるか」。こういう章句ですと答えると、「それはどういうふうに解釈しているの」と聞くっていうわけですよ。「私はこういうふうに解釈しております」「そうか。それはいいね。でも、こういう解釈もあるんだぞ」と言って新しい解釈を教えてくださったと。これが我が家の朝食の姿だと述懐しています。素晴らしいですよ。

〈渋澤〉 
少年期にそういう学びの鍛錬を積んだことが渋沢栄一の人格の根を養ったのでしょうね。

師・尾高藍香の指導もさることながら、やはり両親の影響も非常に大きかったと思います。

渋沢栄一の父は、自分は百姓だからずっと百姓をやるんだという感じで、とても生真面目なタイプでした。もちろん渋沢栄一も真面目さは持っていますが、高崎城を乗っ取ろうとしたことからも明らかなように、性格は全然違った。だけど、父が偉いと思うのは息子を縛らなかったことです。

〈田口〉 
京都に出て尊王攘夷運動をやろうとした時、渋沢栄一は親族に害が及ばないよう勘当してほしいと父親に頼み込む。父親はその要求を呑んで、しかもお金を出してやるんですよね。

〈渋澤〉 
おまえはおまえの人生だということで、自分とは違う息子のことをちゃんと認めている。

一方、母はすごく情に厚い人だったようですね。村にハンセン病の女性がいて、村人は皆怖がって逃げてしまうところを、風呂場で背中を流してあげたり、その御礼に持ってきたおはぎをおいしいと言って食べたり。分け隔てなく人に接する情愛の心を持っていた。渋沢栄一はそういう両親の影響を受けて、理と情をどちらも兼ね備えた人物になったのだと思います。

山の向こうに広がる世界への好奇心

〈田口〉 
渋沢栄一の人格の根を養ったものとしてもう一つ強調したいのは、渋沢家が農業の傍ら藍玉の製造販売を手掛けていたことです。

藍玉というのは藍染めの原料ですが、藍を植えつけ藍葉を採取し、その藍葉を乾燥させた後、水に湿らせながら撹拌し、発酵させる。それを再び乾燥させることによって蒅(すくも)をつくり、さらに蒅を突き固めることでつくられます。藍の栽培に欠かせないのが干鰯(ほしか)や鰊粕(にしんかす)で栄養をふんだんに与えないといい藍に育たない。ちょっとでもサボったらダメになってしまう。

要するに卓越した技術でもって手間隙をかけることはもちろん、投資商品ですから、ビジネス感覚とイノベーション感覚がなければできない商売です。

当時の税制は米ですよね。米というのは非常に薄利で、それを前提にして税制が決まっていたから、利幅の大きい藍や生糸は儲かって仕方がない。だから、江戸時代の農民といったら食うや食わずの生活で毎日泥まみれになって働くというのが一般的な姿ですが、渋沢家は全く違うんです。

〈渋澤〉 
渋沢栄一は13歳の時から藍の仕事に従事しています10代の少年が父の真似をして、「この藍の出来はよくないね」と言って、周りの人たちがびっくりしたっていう逸話もありますけど、さらにはつくった藍玉を信州まで納めに歩いていたじゃないですか。

〈田口〉 
尾高藍香と一緒に行くこともあれば、お祖父さんと一緒に行くこともあったようですね。このお祖父さんがまたすごい商売人で、その道中で藍の目利きの極意を伝授するんですよ。

〈渋澤〉 
机上の学問ではなく、自分自身が干鰯を仕入れて藍を育てて藍玉をつくって売りに行く。その実践が尊いですよね。

不思議なのは、なぜ渋沢栄一のような世界観を持つ青年が深谷という田舎から出てきたのか。来年、渋沢栄一の大河ドラマが放送されますよね。もし自分が台本を書くのであれば、絶対に入れたいシーンが一つあって、これは私の想像なんですけど、藍玉を背負って平地の深谷から険しい山々が聳え立つ信州へ行く。

そこで山を上がっていくと次の山の頂上が見えて、その山をまた上がっていくと、次にもっと高い山が見えて……と。だから、常に山の向こうに何があるんだろうという好奇心が、渋沢栄一の世界観を広げたんじゃないかなと。深谷だけで商いをやっていても十分に豊かな人生を全うできたはずで、

なぜ敢えてそこを飛び出したのかというと、山の向こうにある世界への好奇心が原点だと思います。

〈田口〉 
山の向こうに希望を持つ。明日に希望を持つ。そういう心境だったのでしょうね。


(本記事は『致知』202011月号 特集「根を養う」より一部を抜粋・編集したものです)

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◇渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)
天保11(1840)~昭和6(1931)年。現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれる。一橋家に仕え、慶応3(1867)年パリ万国博覧会に出席する徳川昭武に随行し、欧州の産業、制度を見聞。明治2(1869)年新政府に出仕し、5年大蔵大丞となるが翌年退官して実業界に入る。第一国立銀行を開業し総監役、頭取となった他、王子製紙、日本郵船、東京瓦斯、帝国ホテル、東京電力など多くの企業の創立と発展に尽力した。 

◇田口佳史(たぐち・よしふみ)
昭和17年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、日本映画社入社。47年イメージプランを創業。著書に『ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義』『人生に迷ったら「老子」』『横井小楠の人と思想』『東洋思想に学ぶ人生の要点』など多数。最新刊に『佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方』(いずれも致知出版社)。

 ◇渋澤健(しぶさわ・けん)
昭和36年神奈川県生まれ。44年父親の転勤で渡米。テキサス大学卒業後、UCLAでMBA取得。JPモルガン、ゴールドマン・サックスなどでの勤務を経て、平成13年シブサワ・アンド・カンパニーを創業。20年コモンズ投信を設立。渋沢栄一の玄孫。著書に『渋沢栄一 人生を創る言葉50』(致知出版社)など多数。

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