4期連続・4冠達成! 「富岳」開発プロジェクトリーダーが語る〝壁〟の乗り越え方

スーパーコンピューターの計算性能を競う世界ランキングで、2020年6月から実に4期連続で4冠を達成した「富岳(ふがく)」。同じスパコン「京(けい)」が世界一を獲得した2011年から、8年ぶりの首位を獲得し、日本に明るいニュースをもたらした存在でもあります。そんな「富岳」開発のプロジェクトリーダーを務める石川裕氏に、開発の軌跡と自身の原点を振り返っていただきました。

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次々に立ちはだかった研究の壁

〈石川〉 
「京」では利便性に課題があったこともあり、「富岳」の開発では世界最高水準の計算能力だけでなく、消費電力性能、ユーザーの利便性も兼ね備えた総合力のあるコンピュータを実現しようと当初から計画が進んでいました。

ところが、プロジェクトが始動する頃、問題に直面しましてね。初めは計算速度を重視し、汎用性のあるCPUと計算に特化したCPUを2つ使用する計画でした。しかし、2種類のCPU開発は予算オーバーが明白で、大規模な方向転換を余儀なくされたわけです。

――それで、どうされたのですか。

〈石川〉 
2種類のCPUを搭載させることは諦め、1種類にしました。そして、「エクサマシン(※エクサの単位の演算性能を持つスパコン)をつくる」という当初の旗印を、「『京』の100倍の性能を出す」に変えました。エクサマシンをつくるというのは、ある意味でスピードに特化した目標数値だったため、運転開始後に使用するアプリケーションで「京」の100倍の性能を出そうと掲げ直したのです。

「京」の100倍は1エクサなので、言葉を変えただけで実現すべき性能はあまり変わっていないのですが、目標を変更したことで、ハードウエア開発チームだけでなくアプリケーション開発チームと共により一層協調して設計するようになりました。国家プロジェクトのため、文科省など関係機関から承認を得るのにひと苦労しましたが。

――開発スケジュールや予算の決定にも労力が要ったのではないかと思います。

〈石川〉 
そうですね。もう一つ、大きな壁が立ちはだかったのが2016年のことで、それがまさに期間と予算に関してでした。

フラッグシップ20202020年に一般利用を開始することを目標に名づけられたプロジェクト名ですが、半導体製造技術の動向を見ていると、2020年までに我われが必要としている微細加工技術の開発の雲行きが怪しくなってきていました。そこで計画の大幅な見直しを要求されたのですが、国家予算1,100億円の中で調整しなければならなかったのです。

企業も株主への説明責任などがありますが、このプロジェクトにおいては政府や関係機関など、関連先が非常に多く、その擦り合わせには研究開発とはまた違った苦労をしました。議論を重ねて、承諾してもらうより他ありませんので、何度も説明資料をつくり、何とか製作を続行させることができたという経緯があるんです。

富士山は八合目からが正念場

〈石川〉 
「富岳」が4冠を達成した時の記者会見でもお話ししたことですが、このプロジェクトはまだ8合目をやっと過ぎた段階です。富士山は8合目より上になると、厳しい道が続くといいますので、さらに気を引き締めて進めていかなければならないと思っています。

事実、4冠を達成したとはいえ、その内の一つは全体のCPUの6割程度しか使っていないのです。ハードウエアの故障率はいまだ想定より多く安定しているとは言えませんし、ソフトウエアも全CPUを使ってのジョブ実行に課題が残っています。

特に、なぜその現象が出るのかまだ解明されていないソフトウエアの問題があり、この原因の究明が非常に厳しい。ここが解決できない限り、「富岳」の最終的な役割である、社会課題の解決に何も貢献できません。ですから、これからが正念場だと思っています。

――これからが正念場。

〈石川〉 
そのためにも、オーソドックスですが諦めない心、信念を持つことがとても大切です。

こうした考えは、実は昔から変わっていないんです。僕は中学生の時に、布団に入りながら「自分はいつか死ぬんだ」と思ったことがあります。そう思うと急に怖くなってしまい、その日は一晩中眠れず、いつか死ぬのなら生物として自分の遺伝子を残したい、後世に残る何かを成し遂げたいという感情が込み上げてきたのです。

以来、この思いが自分の行動の根っこになっています。遺伝子を残すことは達成しましたので(笑)、自分が死ぬ時に、「ああ、自分の人生はこれをやってよかった」と振り返ってあの世に逝けるような功績を残したいと思います。

私はこれまで自分の好きなことを仕事にしてきましたが、それがたまたま現代に必要とされている技術だったことが大変幸福なことでした。趣味と仕事が同じで境界がなく、たとえ退職したとしても、晴耕雨読になぞらえ「晴耕雨プログラミング」をして過ごしたいと考えているほどです。

ですから、これからもこの好きな世界で、富士山の頂を目指して歩み続けたいと思います。


(本記事は月刊『致知』2020年10月号 特集「人生は常にこれから」より記事の一部を抜粋・再編集したものです)
◇石川 裕(いしかわ・ゆたか)
昭和35年東京都生まれ。57年慶應義塾大学工学部電気工学科卒業、62年同大学院工学研究科電気工学専攻博士課程修了後、通商産業省電子技術総合研究所に所属。63年から1年間カーネギーメロン大学客員研究員。平成14年東京大学大学院情報理工学系研究科助教授、18年教授。22年同大学情報基盤センター長に就任。26年より現職。令和2年6月より東京大学名誉教授。

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