『夜と霧』と被災体験——絶望的な環境といかに向き合うか 医師・石木幹人

医師として地域医療に携わる傍ら、V.E.フランクル『夜と霧』の読書会を数年にわたって開いてこられた石木幹人氏。アウシュビッツでの過酷な収容所生活を描いたこの本を読み続けるのは、東日本大震災の被災者や、その一人でもある石木氏自身を励まし、心を癒やすためでもあるといいます。『夜と霧』に学ぶ、人生の苦しみとの向き合い方、読書会に注ぐ思いを語っていただきました。
※インタビューの内容は2019年当時のものです

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『夜と霧』と被災体験

――石木さんは、岩手県陸前高田市で医師として活動する傍ら、ビクトール・フランクル博士の『夜と霧』の読書会を続けられていると聞きました。

〈石木〉 
いまの読書会をスタートしたのは2014年の春ですから、今年で6年目です。30代から80代までの幅広い世代から約10人が月に1回、地元の公共施設に集まって、『夜と霧』を少しずつ輪読しながら、それに対する感想を皆で思い思いに語り合っているんです。現在3回目の通読をしているところですが、これとは別にフランクル博士関連の本を読むこともありますね。

『夜と霧』に描かれているのは、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所で地獄のような生活を生き抜いた精神科医であり心理学者でもあるフランクル博士の生々しい体験ですが、読書会では博士の思想や考え方を掘り深めるというよりも、むしろそこに書かれた内容と自身の人生を照らし合わせながら、感じたことを素直に分かち合うことに主眼を置いています。

というのも、参加者のほとんどは東日本大震災の被災者で、私のように家族を津波で失った人もいれば、家を流された人もいます。自分たちよりももっと苛酷な環境を生きながらも人間らしい精神を崩すことのなかったフランクル博士や収容所の人たちの体験を読みながら、時に共感し、時に励まされる中で、ある種の癒やしを感じていくんですね。

――似たような苦しみを経られたからこそ、分かる世界があるのでしょうね。

〈石木〉 
先日読んだところには、強制収容所の養蚕ベッドにぎゅうぎゅうに押し込められ、上を向いて寝ることすらままならないような状態でも、睡眠が苦痛を取り去ってくれた、という場面がありました。

「ああ、あの時も同じだったね」と、震災後の避難所生活と重ね合わせながら感想を述べる人が何人もいました。プライバシーが何もない中でも孤独に浸れる僅かな時間に皆安らぎを感じていたんです。『夜と霧』の一文に出合うことがなかったら、そういう体験を思い出すことも、思いを分かち合うこともなかったでしょう。

人生の最後まで残る態度価値

――長年、フランクル博士の著書を読み続けてきて、改めて思われることはありますか。

〈石木〉 
博士は人生の価値を創造価値、体験価値、態度価値の3つに分けています。人生で自ら何かを創り出すのが創造価値、仕事や山登りなどいろいろなことを体験するのが体験価値、何かあった時にその人がどういう決め方をするかが態度価値ですね。博士はこのうち態度価値だけは人生の最後の最後まで残る、と言っています。

『夜と霧』を読むと、飢餓寸前の状態でも仲間のためになけなしのパンを分け与えたり、死にゆく人のために祈りを捧げる態度価値を持つ人たちがたくさん出てきますでしょう?

――そうですね。

〈石木〉 
私には呼吸器外科の医師になった当初、何人もの肺がん患者さんを救えなかった苦い思い出があるんです。患者さんに余命告知をせずに、嘘を嘘で塗り固めるような時代でしたから、医師としても余計に苦悩が大きかったですね。

そういう中で、余命幾ばくもない人にも何とか生き甲斐を見出していただきたいという強い思いがありました。患者さんと話す時も、なるだけそういう話題に誘導していきました。「石木先生は他のお医者さんと、どこか違いますね」とその頃、よく言われていましたが、いま思うと、フランクル博士の教えが心のどこかに入っていたからなのかもしれませんね。

震災後、救護所を回っていると、「こんな辛い目に遭ったので、もう何もする気になりません」と言う人たちにたくさん出会ってきました。そういう人にも何とかやる気を出してほしい、生き抜いてほしいという思いで、寄り添いながら話に耳を傾けてきたんです。

――態度価値の大切さを、さりげなく伝えてこられた。

〈石木〉 
そういえば、震災から数か月経った頃、街を歩いていてふと気づいたのですが、まだ瓦礫が片づいていない場所に、ちょっとしたスペースを見つけて作物を植えていた人がいる。かと思えば、津波による塩水の浸水はあったが、瓦礫の入らなかった田んぼで田植えが始まり、秋には被災しなかった田んぼと遜色のない稲が立派に育っているんです。

5月か6月くらいだったでしょうか、海のほうを眺めていたら、何か木造物が見える。あれ? 流されたはずの養殖の筏ではないかと思っていたら、数日後の新聞に「もう養殖を始めた漁師がいる」と書かれていて、これには私も大変勇気づけられましたね。

「それでも人生にYESと言う」

――『夜と霧』でフランクル博士は、生きる意味を見出し絶望的な環境を乗り越えていく人たちの姿を描いていますが、それとも通じるところがありますね。

〈石木〉 
そうですね。私は被災体験やフランクル博士の話を通して、その人に与えられた役割をしっかりと果たしていくことこそが大事だということを学びました。私が後世に何かを伝えるとしたら、そのことです。

震災当日、病院屋上から廃墟と化した市の全景を眺めながら、私は「残った山手の診療所だけでは、とても対応しきれない。さて医療の復旧をこれからどのように進めるべきか」と考えました。高田病院は市で一番大きな病院で、幸い医療スタッフのほとんどが生き残りましたので、「これは何とかなる」と確信したんです。

ゼロからのスタートでしたが、一か月後にはコミュニティセンターの一室を借りて一般診療ができるようになり、一年後には仮設ですが、入院病棟のある病院が完成しました。医療の復興がなければ市の復興はないという一念で頑張ったこともあって、予想以上の早さで医療体制が整っていったように思います。

震災後、少しずつ商店が動き出したりする様子を見ると「病院もグズグズしてはいられない」と尻を叩かれる思いがしましたし、住民の方々も「病院がこんなに頑張っているんだから、俺たちも負けちゃいられない」という気持ちになられたのではないでしょうか。

――一人ひとりが自分の役割を果たすことで、街は復旧していったのですね。

〈石木〉 
嬉しかったのは、震災で意気消沈して、こちらが何を言っても「自分はダメだ」とばかり言っていた人が、やる気を取り戻してプレハブの建物で食堂を始めるようになられたことです。フランクル博士の言葉に「それでも人生にYESと言う」とありますが、そういう気持ちで人生を生きていくのはとても大事なのだと思います。

(本記事は『致知』2019年8月号 特集「後世に伝えたいこと」より一部を抜粋・編集したものです。)

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◇石木幹人(いしき・みきひと)
昭和22年青森県生まれ。46年早稲田大学理工学部卒業。54年東北大学医学部卒業。岩手県立中央病院呼吸器外科長兼臨床研修科長を経て、平成16年県立高田病院院長。26年3月に岩手県医療局を退職後もなお陸前高田市で地域医療の復興に携わる。

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