経営危機を救った北洋建設の伝統——長原和宣×小澤輝真

覚醒剤中毒から立ち直った体験を基に、元受刑者雇用や刑務所での講演活動に力を尽くすドリームジャパン社長の長原和宣さん。創業以来、500人を超える元受刑者を雇用して多くを更生に導いてきた北洋建設社長の小澤輝真さん。志を同じくする二人の経営者に仕事、人生のヒントを語り合っていただきました。今回はその対談から小澤さんの原点をご紹介します。

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「北洋建設は僕が継ぐ」

〈長原〉
小澤さんは早くから家業に入ろうと思っていたのですか。

〈小澤〉
いえ、最初は全く別の道に行こうと思っていました。中学では「CANCER」というバンドに加入して音楽活動に熱中していましたし、同時にボクシングにも興味を持って高校ではボクシング部創設に取り組みました。 

両親はそんな私に反対することもなく、特に母は70万円もするドラムを買ってくれ、先生にも習わせてくれました。自分を信頼して好きなことに取り組ませてくれた母には感謝しかありません。 

ところが、生徒会にも諮(はか)り、顧問になってくれる先生も決まっていたのに、校長先生が「ボクシングは危ない」と、急に反対して廃部になってしまったんです。それで、校長先生に直談判に行ったのですが、「危険だからだめ!」の一点張りなので、押し問答の末、最後は「ふざけるな!」と啖呵を切って、高校を中退しました。入学してから6か月後のことです。

それならバンド活動1本で食べていこうと思いましてね。髪の毛をピンク色に染め、耳にはずらりとピアスをつけ、活動資金を得るために仕事探しを始めました。

〈長原〉
ああ、髪の毛をピンクに染めて仕事探しを。

〈小澤〉
髪の毛が花のようにピンクですから、最初に花屋さんの面接に行ったのですが(笑)、担当の人から「なんだその頭は!」と怒鳴られ、目の前で履歴書をびりびりに破かれてしまったんです。 

その時に思ったのは、確かに見た目はふざけているかもしれないけれど、両親は建設業をやっているし、親戚も多い、使いようによっては花屋の売り上げもすごく上がったのにということでした。 

見た目だけではその人の本当の価値は分からない、どんな人だって使いようによってはその会社やお店に欠かせない人材になるんです。この時の理不尽な経験は、いま元受刑者を積極的に雇用する私の信念にも繋がっています。 

〈長原〉
見た目だけで人は判断できない。本当にその通りですね。

〈小澤〉
それで、その後も1年近く就職活動を続けたのですが、どの企業からも採用してもらえず、結局は見かねた親族の紹介で製版会社に勤めることになりました。 

ところが、これでバンド活動に打ち込める、そう思った矢先、脊髄小脳変性症で父が50歳の若さで亡くなったんです。脊髄小脳変性症は、小脳が萎縮して言語障害や体の機能障害が表れる難病で、遺伝することもあります。

しかも、以前から父が闘病のために入院していたこと、社員がゆっくり過ごせるように新しい社員寮を建てたことなどもあって、当時の北洋建設の業績はそれほどよい状況ではありませんでした。 

〈長原〉
大変な逆境でしたね。

〈小澤〉
父が亡くなった後、母が社長に就いたのですが、もう必死になって家族や社員のために働いている姿を見ていると、初めて自分が家業を継がないとだめだという思いが込み上げてきたんです。 

そして「母さん、僕が助けてあげるから頑張って。北洋建設は僕が継ぐ」と母に伝え、家業に入ることを決めたんですね。1991年、18歳の時のことでした。

経営危機を救ったもの

〈小澤〉
ただ、後継者として努力を重ねていく中でも、父が亡くなった後の北洋建設は、非常に苦しい状況が続きました。

これは私が入社間もない頃のことでした。本来なら母を支えるはずの専務が、集金した売り上げ500万円を持ち逃げしたんです。18歳の私も、取引先に頭を下げて回りました。すると、どこも支払いを待ってくれ、中には「長男のあなたが北洋建設に入ったんだから待つ」と言ってくれた人もいました。その思いに応えるためにも、もう死に物狂いで働きました。

5年後の1996年には、別の役員が1700万円もの空手形を回して、行方をくらましてしまいました。この時にはさすがに経営が行き詰まり、廃業を決め、社員たちを集めてこう言ったんです。

「今月は給料が払えるが、来月以降は無理だ。会社を畳むから、払えるうちに辞めてくれ」

当然、全員辞めていくのだろうな、これで楽になれると思っていました。ところが、当時7、8名いた元受刑者の社員も含めて全員が、「給料はいりません。会社がなくなると困ります。他に行くところがないんです。会社が大変なら俺たちが一所懸命頑張ります。だから働かせてください」と口を揃えて言ってくれたんです。涙を流している元受刑者もいました。

〈長原〉
元受刑者の社員が涙を流して会社に残ってくれた……。

〈小澤〉
社員のためにも絶対にこの会社を潰してはいけない。そう強く思いました。それから恥ずかしいという気持ちを捨て、ありとあらゆる取引先に「うちはこういう事情で潰れます」と頭を下げて回ると、後に黙って大口の仕事を回してくれたんです。青年会議所の企業も大学の改修工事の仕事を回してくれました。それに対して社員も懸命に働いてくれました。

社員や取引先、仲間の助けで、北洋建設はなんとか倒産の危機から息を吹き返すことができたんですね。

〈長原〉
社員が辞めずに一所懸命働いてくれたのも、取引先が協力してくれたのも、やっぱり、日頃の小澤さんの姿勢や人柄、人間性があったからこそだと思います。

〈小澤〉
思い返せば、当時は元受刑者を積極的に雇用する企業は少なかったですから、社員も会社に恩義を感じてくれていたのかもしれません。また、北洋建設は現場での事故が極端に少なく、「中小企業無災害記録金賞」をもらっていました。それも、仕事を回してもらえた理由になったのでしょう。

そうして母から経営を引き継いだのが2014年、40歳の時でした。


(本記事は月刊『致知』2020年7月号 特集「百折不撓」から一部を抜粋・編集したものです)

◎2020年7月号 特集「百折不撓」では、長原さんと小澤さんのお二人に、「生きていえるのではなく、自分は生かされている」「心に寄り添い、本気、本音で向き合う」「誰しも立ち直る力を持っている」など、受刑者雇用に懸ける思い、人生の困難や苦難から立ち直るために大事なことを語り合っていただいています。本対談を掲載の2020年7月号は【致知電子版】でお読みいただけます。

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◇小澤輝真(おざわ・てるまさ)
昭和49年北海道札幌生まれ。創業者である父の死に伴い、18歳で北洋建設に入社。平成24年父と同じ難病「脊髄小脳変性症」を発症。放送大学教養学部、日本大学経済学部卒、放送大学大学院修士課程修了(犯罪者雇用学専攻)。受刑者雇用の実績が高く評価され、「東久邇宮文化褒賞」「東久邇宮記念賞」、法務省より「法務大臣感謝状」、札幌市より「安全で安心なまちづくり表彰」など受賞・表彰多数。

◇長原和宣(ながはら・かずのり)
昭和43年北海道帯広生まれ。高校中退後、61年陸上自衛隊入隊(平成2年夜学にて高校卒業)。除隊後、運送業に従事。その頃、覚醒剤中毒に陥るも克服し、平成13年に長原配送(現・ドリームジャパン)を創業。現在、事業経営と共に、一般社団法人ナガハラジャパンドリームを設立し、前科者の更生活動を全国で推進。就労支援を行う日本財団「職親プロジェクト」にも力を入れている。

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