再建から64年。大阪新世界のシンボル・通天閣は悲運の解体からいかに立ち直ったか

大阪・浪速区の街中に聳え立つ通天閣の姿を、テレビなどを通じて目にしたことのある方も多いでしょう。7月3日は、その完成を記念して制定された「通天閣の日」。しかしこれは、現在の通天閣が建った日ではありません。大正元年に建設された初代通天閣は第二次世界大戦中、火災と戦局の悪化によって解体を余儀なくされます。その通天閣がいかにして現在のように再び立ち上がり、活況を呈するようになったのか。『致知』人気連載「致知随想」から、通天閣観光・西上雅章社長(現会長)の歩みをご紹介します。

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通天閣の再建なくして、新世界の復興はない

〈西上〉
平成24年7月3日、大阪のランドマーク・通天閣は、初代竣工から100年の節目を迎えた。通天閣に見守られて育った一地元民として、通天閣観光の社長として、この日を迎えられたことは何物にも代え難い無上の喜びである。

ここ新世界は戦前、東京の浅草、神戸の新開地とともに三大演芸映画の町といわれる歓楽街だった。しかし、戦争によって姿は一変。大空襲で町は焼け野原となり、食料物資は欠乏し、人々の心は荒廃してしまった。

その後、徐々に興行館が再建され、復興を遂げていく中、ただ一つ欠落しているものがあった。かつて新世界に聳えていた通天閣がそれである。

通天閣は明治45年に創建され、当時日本一の高さを誇るシンボルタワーだった。ところが、昭和18年に火災が発生。強度不足となり、解体を余儀なくされた。

「通天閣の再建なくして新世界の復興はないやろ」

数人の商店主の間でこのような声が上がったのは戦後間もなくのこと。とはいえ、再建には莫大な費用がかかる。さらに初代通天閣のあった場所には既に民家が立ち並んでいた。お金も土地もないゼロからのスタート。「もし通天閣が再建できたら町中を逆立ちして歩いたるわ」「うどんで首吊ったるわ」と揶揄する者もいた。

復興のシンボル

そんな中、新世界町会連合会の雑野貞二会長の案で、地元の住民から出資を募り、会社を設立して再建しようという計画が動き出した。集まった金額は約5千万円。こうして昭和29年に通天閣観光は設立された。

大阪市の協力を得て、建設用地が確保され、地元の建設会社である奥村組の奥村太平社長が一部自腹を切って建設を請け負ってくださった。

役所や建設会社、そして地元の人たちの、なんとか復興のシンボルとして通天閣を再建したいという熱い思いが歯車を回し、昭和31年10月28日、二代目通天閣は完成したのである。その翌年、年間の来塔者数は155万人を記録。創業10年では延べ一千万人に上った。

ところが、である。昭和40年代に入ると、公害が社会問題に発展。光化学スモッグによる大気汚染が深刻化し、展望台の客足が遠のいた。さらに、追い打ちをかけるようにオイルショックが襲来。狂乱物価の影響で来塔者数は一時期、19万人にまで落ち込んでしまった。そのような受難の時代に私は通天閣観光に入社したのである。

当時社長を務めていた私の父は危機的状況を打開しようと、将棋大会を催したり、かつて新世界の名物だったアメリカ生まれの福の神「ビリケンさん」の像を半世紀ぶりに復活させるなど、様々な手を打った。その懸命な努力によって、なんとか経営は持ち堪え、徐々に収益を上げていった。

そうして私が経営のバトンを受け継いだのは平成15年のこと。社長に就任して間もなく、私がお客さんに交じってエレベーターに乗っていると、「入場料600円は高いな」という声が聞こえてきた。負けん気の強い私は「これじゃアカン。600円を安く感じてもらわな」と思い、全社員に向けてこう話した。

「高さで通天閣を売る時代は終わった。これからは来ていただいたお客さんに思い出を売っていかなアカン。それは何かと言ったら、大阪らしさ。つまり、笑いであり、面白さや。そうやってお客さんを呼んでいこう」

まず、ビリケンさんを前面に出し、来ていただいたお客さんに福を持って帰ってもらおうと考えた。

神社にあるような普通のおみくじでは面白くない。何かいいアイデアはないかと思案を巡らせ、アメリカ生まれの神様からヒントを得てルーレットでおみくじを選んでもらうようにした。また、大阪弁を喋る通天閣ロボットや、豊臣秀吉が金の茶室をこしらえたことをモチーフに、黄金のビリケンの間をつくった。

通天閣は恋人

塔の高さや都会的な雰囲気では一番になれないが、世界一エンターテインメント性の高い塔にはできる。たとえチープであっても大阪らしい面白いアイデアを次々と形にしていき、社長就任時に年間約70万人だった来塔者数を120万人にまで伸ばすことができた。

私の座右銘は「一念通天」。目的意識を持って一心に打ち込んでいけば、その努力は必ず天に届き、物事を成し遂げることができる、という意味だ。

このたび100周年を迎えることができたのはまさに一念通天、時代の風雪に耐えながら先人たちの熱い思いを今日まで受け継いできたからに他ならない。

初代通天閣は「庶民に娯楽の場所を提供する」という理念のもとにつくられた。戦前、演芸映画の町だった新世界は、いまでは串カツの町になっている。町は生き物であるから、これから10年、20年先、新世界は姿を変えていくだろう。しかし、「庶民に娯楽の場所を提供する」という創建時の志は忘れずに、活気ある町をつくっていきたいと思っている。

私の父は社長時代、よく「通天閣は恋人や」と言っていた。その時は格別気に留めることもなかったが、いまになってその言葉がよく理解できる。

私は365日中、350日は出社している。通天閣が好きで仕方がない。60を超えたが、まだまだ現役。次なる100年に向けて、世界一面白いタワーをこれからも追いかけ続けたい。

(本記事は『致知』2013年4月号 連載「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

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