歴史作家が語る、グローバル時代の織田信長論

群雄割拠の戦国時代、加えて第0次グローバリズムとでもいうべき西洋文明との接触の時代を生きた武将・織田信長。日々生と死に向き合うような熾烈な時代の狭間で、信長はいかにして運命を切り拓いたのでしょうか。童門冬二氏と安部龍太郎氏、作家のお二人に信長の多面的な魅力と底力について語り合っていただきました。
※対談の内容は2007年当時のものです。

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「信長は円筒形の人間」

〈安部〉 
僕は織田信長にとても大きなこだわりがあるんです。

信長は、日本人として初めて西洋文明、西洋列強と向き合うことを迫られた為政者でした。彼が生きた時代は西洋でいえば大航海時代で、スペイン、ポルトガル両国が世界植民地支配体制をつくろうとしのぎを削っていました。両国の影響力が東アジアに及び始めたのがちょうど信長の頃です。信長がそれにどう対処したかを見ることは、今日のグローバリズムの中で日本がどう生きるかを探る上でも大きな示唆を与えてくれると思います。そういう意味で、信長から目が離せないんです。

〈童門〉 
確かにそうですね。信長というのは、円筒形の人間だと僕は思っています。どの方位から光を照射しても十分堪えうる存在で、切り口はいくらでもある。だから、いまおっしゃったように現代に照らして学ぶべきことがたくさんあるし、これから時代が変われば変わるほど、彼の存在からまた違ったことを発見できますよね。

〈安部〉 
信長が流通に深く関わっていた側面も見逃せないと思います。

織田家は木曽川河口の津島に勝幡城を構えて本拠地にしていましたから、伊勢湾海運と非常に密接に繋がっていました。大消費地である京都と大坂に繋がる流通路の喉首を握っていたわけで、そこから入ってくる収益はものすごく大きかったのです。日本の大名というと往々にして石高何万石という形で計られがちですけれども、信長の場合、ドル箱である港を押さえていたので、他の大名と違って自由に拠点を移すことができたのだと思います。

〈童門〉 
だから彼には土地を広げようという考えがあまりなかったんですね。

信長は岐阜で撰銭令という、銭を選ぶ法律を出しています。日本は当時まだ鋳造能力がなかったから、中国の銭を使っていました。だけど欠け銭とか焼け銭とか、悪貨が非常に多いので、これはいかんということで、良貨を使えという命令を出しています。

それから、いまお話に出た伊勢、いまの三重県に、当時は60数か所も関所があって、そこでいちいち通行料を取っていました。信長は、これは物流の妨げになるということで全部撤廃しました。ですから、信長が物流、経済を重視して、一つ所に命を懸ける〝一所懸命〟の土地至上主義から遥かに脱却していたという安部さんのお考えには賛成ですね。

〈安部〉 
港を押さえていただけでなく、自分たちも船を持って交易に従事していました。だから必然的に流通、経済に対する目が磨かれたのでしょうね。

日本人離れした精神構造

〈安部〉 
信長が運命を切りひらくために最初にやったことは、自分の親衛隊をつくることだったと思います。

信長の父親の信秀というのは、尾張一国の軍勢を率いて、今川や斎藤道三といった強大な敵と対等に渡り合っていた。それぐらい人望と力があった人なんですが、室町時代的秩序を壊そうというところまで発想が及ばなかった。結局、あれだけの実力がありながら、ついに尾張下四郡の守護代家の一奉行という肩書のまま、42歳で急死してしまったわけです。

信長はそれを見ていて歯がゆくて仕方がなかったんだと思うんですね。どうしたらこの状況を切り抜けていけるかということが、彼の若い頃のテーマだったと思うんです。

そこで彼は、14、5歳の頃から自分の親衛隊をつくり始めました。織田家の家臣の次男坊三男坊、それから町の不良どもを取り込んで、700~800ぐらいの親衛隊を組織しました。それに徹底した軍事訓練をやらせて、こいつらと一緒に運命を切りひらいていくという決断を、随分早い時期からするんですね。彼が、織田家の嫡男とも思えぬ大たわけだ、と揶揄されていたのは、まさにその時期なんです。

19歳の時に信秀が亡くなって家督を継ぐと、すぐにその親衛隊を率いて父を裏切った連中に復讐戦を挑み始めました。それで勝てるところまで自分の親衛隊を磨き上げていったことが、彼が最初に成し遂げたことじゃないでしょうか。

〈童門〉 
群雄割拠する中で、彼が運命を切りひらくことのできたもう一つの要因として、神や仏に縛られなかったことも大きいですね。(武田)信玄も(上杉)謙信も法号で、お坊さんになってからの名前です。しかし信長はそんなものはつけません。逆に安土城の下の摠見寺に石ころを1個飾って、これが俺だと。日本で最初にバースデーを祝ったのは彼ですが、その日は皆摠見寺の石の前にお祝い金を供えろなんて言っている。それから安土城も、普通は天を守る閣と書くんですが、彼の場合は天の主の閣の天主閣ですから。

だからもともと信仰心がなかったのか、それとも歌舞伎精神によって自ら断ったのか、とにかくそういうものに対する「ねばならぬ」とか「やってはいけない」、このネバーとマストを取り除いたことが、彼が割合に自由に動けたもう一つの大きな要因でしょう。それを人為的にやっていたのだったら、その精神力はすごいですよね。場合によっては、自分がゼウスだと考えていたのかもしれない。そうなると、まさしく狂の世界に踏み込んでいたことになります。だけど、そこまでいかないと、ああいう思い切ったことはできなかったでしょうね。

とにかく彼の精神構造を見てると、日本人じゃない、ゲルマンに近い感じを持ちますよ。

(本記事は『致知』2007年9月号 特集「運命を切りひらく」より一部を抜粋・編集したものです。)

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◇童門冬二(どうもん・ふゆじ)
昭和2年東京都生まれ。東京都庁にて広報室長、企画調整局長等を歴任後、54年に退職、本格的な作家活動に入る。第43回芥川賞候補。平成11年勲三等瑞宝章を受章。歴史に題材を求めながら、組織と人間をテーマに据えた作品には定評がある。著書に代表作『小説上杉鷹山』をはじめ『松陰語録』『小説佐藤一斎』など多数。

◇安部龍太郎(あべ・りゅうたろう)
昭和30年福岡県生まれ。久留米高専卒業後、図書館勤務等を経て小説家に。平成2年日本全史を網羅した短編集『血の日本史』でデビュー。平成6年発表の『彷徨える帝』は山本周五郎賞と直木賞の候補に。他の著書に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『生きて候』など多数。

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