笑顔は最高のおしゃれ——車椅子のアーティスト・佐野有美さん

生まれつきほとんど手足がないという先天性四肢欠損症を抱える佐野有美さん。しかし、佐野さんはプロの歌手として活動する傍ら、講演活動で全国各地を飛び回り、多くの方々に感動と勇気を与えてきました。佐野さんの前向きなエネルギーの原点はどこにあるのでしょうか、インタビューで語っていただきました。

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現実を初めて痛感した日

(――ご自身の障碍とはどのように向き合ってこられたのでしょうか。)

(佐野) 

私は生まれつき明るく、活発だったんですが、その半面、気が強くて自己中心的な性格だったんですね。

小学校に入学した時は、「なんで手がないの」「おばけだ」「怖い」って言われたり、喧嘩すると「手足がないくせに威張るなよ」なんて言われましたが、その時は「だから何?」って言い返せていたんです。言葉は悪いんですけど、舐められたくない、強くならなきゃ、強くならなきゃという一心でした。でも、それが裏目に出て、本当は友達に感謝しなければならないのに、知らぬ間に自分の行動範囲に周りを縛り付けてしまっていたんですね。

それで6年生の時、友達から「もう有美にはついていけない」って言われ、一人ぼっちになってしまいました。その時ようやく気づかされたんです。私一人で階段も下りられない、ものが机から落ちても拾うことすらできないって……。ちょうどその頃、たまたまお風呂場で鏡に映る自分の姿を見たんです。「何これ? 気持ち悪い。こんな体でよく偉そうに過ごしてたな」と、そこで初めて現実を痛感させられました。障碍を含めて、自分自身の存在が本気で嫌になってしまったんです。

(――ああ、そうでしたか……。)

(佐野) 

それからは、もう私はこんな体だし、支えてもらわなければ生きていけない身だから、自分の意見なんて言える立場じゃないって、周りに対して遠慮するようになってしまいました。中学3年間は明るさもなくなって、自分の殻に閉じこもっていた時期でした。

でも、高校に入学する時に、このままでいいのかなって思ったんです。自分は手足がなくて生まれてきたけど、明るさっていうのはもしかしたら神様からもらったものではないか。それを失っていいのだろうかって。

小学校高学年から中学校にかけて、友達の大切さや感謝の気持ち、学ぶこともいろいろありました。その学びを大切にしていきながら自分を出していこうと思い、高校に進みました。

有美にしかできない役目がある

(――高校ではチアリーディング部に入られたそうですね。)

(佐野) 

はじめはチア部どころか、運動部に入ることすら考えていませんでしたが、一緒にいた友達が「私、チア入りたいんだけど、一緒に見学行こうよ」って誘ってくれたことがきっかけでした。

先輩たちの真剣な眼差し、全身で楽しんでいる姿、そして輝いている笑顔が目に飛び込んできて、それを見た瞬間、私もやりたいって思ったんです。 

けど、実際に踊ることはできないし、無理かなと思いながら、恐る恐る顧問の先生に「私でも入れますか?」と聞いたんです。「ごめんね」って断られると思っていたのですが、「あなたのいいところは何?」って聞いてくださったので、もうびっくりしてしまって(笑)。私が「笑顔と元気です」と答えると「じゃあ大丈夫。明日からおいで」と快く受け容れてくださったんです。

(――素晴らしい先生に巡り合われましたね。入部されてからはいかがでしたか。) 

(佐野) 

最初はみんなの踊りを見ているだけで凄く楽しくて、元気をもらえていました。でも、同い年の子たちがいろんな技術を身につけてどんどん成長していく姿を見た時に、自分は何も変わってないなって思ったんです。

仲間から「踊りを見て、アドバイスを送って」と言われても、踊れない自分が言っていいのだろうかと、また遠慮が出てきてしまって、段々と心を閉ざしてしまうようになってしまいました。クラスの友達とも、距離が上手く掴めなくなってしまって、1年生の終わり頃から、部活も学校も休むようになってしまったんです。

(――そういう状況の中で佐野さんの支えとなったものはなんですか。)

(佐野) 

一番は母の存在が大きかったですね。その当時、自分では「学校やめたい」と言っていたものの、実は止めてほしかったんですよ。だけど、両親には近すぎてなかなか相談できずにいたんです。心配かけたくないという思いもあって。 

そしたらある時、母が台所から凄い足音を立てて、私の部屋に入ってきました。そして物凄く怖い表情で何も言わずに教科書やノート、筆箱なんかをゴミ袋に入れていったんです。「何してるの」って聞くと「だってもう学校行かないから要らないでしょ。捨てるからね」と言うんです。その時に「ああもうダメだ」と追いつめられて素直な気持ちが出たんですよ。「本当は学校行きたいんだよ!!」って。

(――ああ、心の叫びが。)

(佐野) 

その瞬間、母の手が止まって、「なんでもっと早く言わなかったの。そしたらどうしていったらいいか一緒に考えられたでしょう」って抱きしめてくれて。それがきっかけで自分の気持ちを素直に打ち明けられるようになりました。

それと、もう一つ心に響いたのは顧問の先生のひと言でした。

「もう有美には手足は生えてこない。でも、有美には口がある。だったら、自分の気持ちはハッキリ伝えなさい。有美には有美にしかできない役目がある!!」

親にだってそんなこと言われたことなかったので、とても衝撃的だったんですが、その言葉のおかげで自分が変わらなきゃ何も始まらないと思えるようになりました。

そうして学校にも復帰し、チア部でもできることを見つけて、ステージがある時は司会を務めたり、練習中も声出しに徹するなど、自分の役割を見出していったんです。

私がチア部や学校をやめずに続けられたのは、先生や友人、そして両親からのいろいろな言葉に救われたからだと思います。

(本記事は『致知』2013年8月号 特集「その生を楽しみみ その寿を保つ」から一部抜粋・編集したものです。)

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◇佐野有美(さの・あみ)

平成2年愛知県生まれ。先天性四肢欠損症として生まれ、あるのは短い左足と3本の指のみ。小学校から普通校へ通い、豊川高等学校ではチアリーディング部に所属。「車椅子のチアリーダー」として地元マスコミで話題となる。21年高校卒業後、事務員を経験。23年歌手としてメジャーデビュー。アルバム『あきらめないで』は同年「第53回輝く! 日本レコード大賞企画賞」を受賞。今年6月セカンドシングル・アルバムを同時発売。現在、学校、企業、医療、福祉の現場から講演依頼を受け、積極的に活動中。

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