ONになった利他的遺伝子を大切にせよ(村上和雄)

一斉休校、オリンピック延期、緊急事態宣言発令――。新型ウイルスの爆発的な感染拡大によって、日本社会は言いようのない不安に覆われています。この非常時を、どうすれば明日への希望を失わず生き抜けるのでしょうか。実に60年余り研究者として歩み続け、生命の神秘と向き合ってきた村上和雄さんに、私たちが普段使うある〝言葉〟に隠された日本人の知恵、その大きな役割について語っていただきました。

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誰もが口にする「●●●●●」には深い意味がある

〈村上〉
「ありがとう」を漢字にすると、「有り難う」。つまり、有り難いこと=めったにないこと=奇跡という意味があり、もともと仏教に由来しています。

ある時、お釈迦様が阿難という弟子に、人間に生まれたことをどれくらい喜んでいるかと尋ね、阿難が答えに窮していると、お釈迦様は次のような譬え話をしました。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その亀は、百年に一度、海面に顔を出す。
 広い海には一本の丸太が浮いている。その丸太の真ん中には、小さな穴がある。丸太は、風に吹かれるまま、波に揺られるまま、西へ東へ、南へ北へと漂っている。
 阿難よ、百年に一度浮かび上がるその目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、丸太の穴に、ひょいっと頭を入れることがあると思うか」

「とてもありえないことです」

「ところが、阿難よ、私たちが人間に生まれることは、その亀が、丸太棒の穴に首を入れることがあるよりも、難しいことなのだ。有り難いことなのだ」

そう教えたのだそうです(「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え」より)。

私たちは人間として生まれてきたことを当たり前のように思っていますが、実は何億年、何兆年に一度しかないような稀なことなのです。遺伝学者の木村資生(もとお)氏は、人間に限らず、生物の細胞一個の誕生は「一億円の宝くじに百万回連続して当たるほどすごいことである」と言っています。それは、まさしく「有り難い」ことなのです。

日本語の「ありがとう」は、生まれてきたことに感謝を表す言葉なのです。貧乏であろうが、病気であろうが、運が悪かろうが、どんな状態であっても、生まれてきた限りはありがとう。そんな意味を持つ言葉なのです。

「おかげさま」というのも、他の国にはない言葉です。あるアメリカ人に「おかげさま」を教えたら、「何のおかげですか?」と不思議がられましたが、日本語の場合は、誰のおかげか分からなくても通じます。自分を産み育ててくれた両親のおかげ、ご先祖様のおかげ、太陽のおかげ、水のおかげ、空気のおかげ、地球のおかげ、大自然の恵みのおかげ……。つまるところは、サムシング・グレートのおかげということになるのです。

日本人は古来、すべてのものに神を感じていました。目に見えないものに対する敬虔な気持ちをもって生きてきた民族です。ですから、何に対しても「おかげさま」と言うことができるのでしょう。

もっと言うなら、日本人には震災であろうが病気であろうが、自分がどれほど辛いことに直面していたとしても、「おかげさま」と感謝の気持ちを持てる素質があるということなのです。

ONになった利他的遺伝子を大切にすべき

〈村上〉
以前、ダライ・ラマ14世法王の科学者との対話に参加した際、法王は私の手を握り、

「21世紀は日本の出番ですよ」

とおっしゃいました。

法王は、日本は西洋の文化を取り入れてきたが、古くからの伝統をなくすことなく、うまく融合させているともおっしゃっています。

確かに日本という国は、外からたくさんの文化を取り入れていますが、無条件に受け入れるのではなく、日本に根づくものだけを取捨選択して取り入れてきました。西洋からの様々な知識や技術を取り入れる一方で、西洋のように自然と敵対し、自然を支配しようという考えではなく、自然を敬い、自然と共に暮らす生き方を「自然に」続けてきました。

こうした自然と調和のとれた日本人の精神や文化が、混乱と不安に満ちたいまの世界に必要だと、ダライ・ラマ法王はおっしゃるのです。私たちも、日本という国、日本人という民族を、外からの声を参考にしながら見直していく必要があるのではないでしょうか。

さて、これからの日本の役割として私が強く感じるのは、人間が本来持っている利他的遺伝子をONにする生き方を伝えることです。

東日本大震災以降、人のために、世の中のために生きたいと思う人が、これまで以上に増えてきました。多くの日本人の心の中で利他的遺伝子がONになったことで、このような変化が起こったのです。

さらに、震災時には海外から多額の義援金が届けられ、援助に駆けつけてくれた人もたくさんいました。多数の応援メッセージも届きました。私たち日本人がこのことにどれだけ勇気づけられたか分かりません。

悲しく辛く忘れてしまいたいような大震災ですが、それでも、この大震災をきっかけに、日本人ばかりではなく、地球上のたくさんの利他的遺伝子がONになっているのは間違いありません。

未曽有の大災害に見舞われた日本は、その痛みを抱えながらも、世界がより利他的になっていくようにリーダーシップを発揮して、社会をよくしていく行動をとる必要があります。

それがダライ・ラマ法王のおっしゃる「21世紀は日本の出番」ということなのだと、私は思っています。


(本記事は『致知』2020年4月号 連載「生命科学研究者からのメッセージ」から一部抜粋・編集したものです)

◇村上和雄(むらかみ・かずお)
昭和11年奈良県生まれ。38年京都大学大学院博士課程修了。53年筑波大学教授。平成8年日本学士院賞受賞。11年より現職。23年瑞宝中綬章受章。著書に『スイッチ・オンの生き方』『人を幸せにする魂と遺伝子の法則』『君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話』(いずれも致知出版社)など多数。

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