2023年01月22日
昨年8月に惜しまれつつ逝去された稲盛和夫氏。京セラ創業からいくつもの挑戦を果敢に行い、結実させてきた「新・経営の神様」の経営の根底には〝京セラフィロソフィ〟という確固たる哲学がありました。いかにして独自の哲学は確立されたのか? 京セラ創業時のエピソードを起点に語られた生前の講話録をお届けいたします。
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経営者は哲学を持たなくてはいけない
私はかねてから、経営者というのは哲学を持つべきだと言っています。
哲学といいますと大上段に振りかぶったもののように思われますが、それほど難しく考えることはありません。要するに、レベルの高い人生観、そういうようなものを持ってほしいのです。
企業経営をしていきます場合、我々企業経営者は常に企業を安全な場所へ、素晴らしい場所へと導くため、あらゆる機会に物事の判断をする必要に迫られます。その判断をする基準になるのが、その人が持っている人生観なのです。ですから、なるべくレベルの高い人生観を持ってほしいという意味で、哲学を持つべきだと言っているわけです。
そういうとちょっと難しく構えているように思われるかもしれませんので、私が京セラという会社をはじめたときの話を交えながら、私のいう哲学というものについてお話ししてみたいと思います。
私は鹿児島で生まれ育って、鹿児島大学を出たあと、京都に出て来て、焼き物の会社に就職をしました。そこで京セラが今やっていますファインセラミックスの研究に従事したのが、社会に出てした最初の仕事です。その会社では足かけ4年、研究畑にいましたが、不幸にして会社の幹部と意見が合わなかったものですから、会社を辞めることになりました。
ところが、それを機に、元の上司とその友人たちがぜひ新しい会社を経営すべきだといって会社をつくってくれました。また、私の部下たちが参加したいと申し出てくれました。それが、京都セラミックという会社で、現在の京セラの前身です。
私は自分の思う通りに経営できる会社ができたと、大変張り切っていました。私と一緒に会社設立に参加した7人の仲間たちも、稲盛和夫が研究開発した技術を世間に問うための場として京都セラミックという会社ができたと大喜びしていました。
それまではいくら立派な研究をし、立派な研究成果が出ても、それを世に問うためには会社の上司や経営者の意見を聞く必要がありました。その結果「それはダメだ」と却下されて、うまくいかなかったケースもありました。
しかし、今度は自分たちのつくった会社なのだから、誰に遠慮することなく、研究開発に没頭できるというので、みんな張り切って会社が始まったわけです。
判断基準となったプリミティブな倫理観
私は鹿児島から出て来てまだ4年しかたっていません。そんな私が、「今日から経営者だ」といわれても、経営のケの字もわからないのです。損益計算書もバランスシートも見たことがない者が「今日から経営者だ」といって経営をやってみても、実はどうすればいいか、全くわかりませんでした。
自分で研究し、作った製品を技術屋としてお客さんに説明することはできますが、それ以外のことについては、何も知らないのです。
ところが、会社をつくったその日から、私を頼って部下が「これはどうしましょうか」と相談に来るわけです。相談をされれば、いつまでも躊躇しているわけにはいけません。判断をしないといけない。大変困りました。
そのとき、私は27歳でした。もう少し年がいっているか、大企業に勤めて管理職の経験が少しでもあったならば、経営とはこんなものだとわかったかもしれませんが、そういうものは何もないのですから、判断のしようがない。
結局、私にあるのは、小さなころに両親やら周囲の大人たちから「これをやってはいかん、これはやってもよろしい」と教えられていたプリミティブな倫理観だけでした。それしか物事の善し悪しを判断する基準がなかったのです。
私は、こう考えました。
“世の中にはうまくいく企業、うまくいかない企業がある。人生も同じだ。おそらく、うまくいっている企業、またはうまくいっている人生というのは、節々で善し悪しの判断をしていった結果の集積なのだろう。その集積が、その会社の今の実績、その人の今の人生となって現れているのだろう。
さすれば、その節々での判断を誤ってしまうと、それまで順調に伸びてきていたのに、一瞬にしてダメにしてしまうという可能性もあるはずだ。判断というのは非常に大事なものなのだろう”と。
しかし、その判断をするための基準になるべきものを私は持っていなかったのです。そこで先に申し上げたように、非常にプリミティブな、両親の教えに準拠して判断するようにしたわけです。
◇稲盛和夫(いなもり・かずお)
昭和7年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年、京都セラミック株式会社(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、代表取締役会長を経て、25年より名誉会長。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ。主な著書に『「成功」と「失敗」の法則』『人生と経営』『何のために生きるのか』(共著/いずれも弊社刊)『生き方』(サンマーク出版)『従業員をやる気にさせる7つのカギ』(日本経済新聞出版社)『成功への情熱』(PHP研究所)『ど真剣に生きる』(NHK出版)『燃える闘魂』(毎日新聞社)などがある。